第1話 最悪の誕生日
あと三分。
俺──門田露澪は、安物のデジタル時計を睨みながら、ベッドの上で正座していた。
時刻は、四月四日、午後十一時五十七分。
十六歳最後の三分間を、俺は祈るような気持ちで過ごしていた。
世間一般で言えば、誕生日なんてものはめでたい日なのだろう。
友達からメッセージが届いたり、家族からケーキを用意してもらったり、ちょっと豪華な夕食を食べたりする日だ。
だが、今の俺にそんな浮かれた気分は一切なかった。
「頼むぞ……何も起きるなよ……」
俺は両手を合わせ、神様か仏様か、あるいはこの世界を管理している何者かに向けて祈った。
別に贅沢は言わない。
金持ちになりたいとか、イケメンになりたいとか、明日から身長が十センチ伸びてほしいとか、そんなことは全く願っていない。
ただ一つ。
何も起きないでほしい。
それだけだった。
時計の表示が切り替わる。
午後十一時五十八分。
「あと二分か……」
やけに時間の進みが遅く感じる。
心臓の音だけが妙に大きい。
ドクン、ドクンと、古いアパートの薄い壁を突き抜けて隣の部屋まで聞こえるんじゃないかと思うほどだった。
俺が住んでいるのは、築四十年を超えるボロアパートだ。
六畳一間。風呂とトイレは一応別。壁は薄い。床は少し傾いている。冬は寒く、夏は暑い。
高校生が一人で暮らすには少々心細い環境だが、家賃は安い。
俺にとっては、それで十分だった。
豪華な部屋に住みたいとは思わない。
人生に刺激も求めていない。
平凡で、安全で、なるべく面倒の少ない暮らし。
それこそが俺の理想だ。
時計を見る。
午後十一時五十九分。
「来るなよ……来るなよ……絶対来るなよ……」
声に出した途端、何だか逆に来そうな気がしてきた。
こういうこと言ってると、来ちゃうんだよね。
「押すなよ!絶対に押すなよ!」と言った奴が、背中を押されて熱湯風呂に叩き落とされるのと同じだ。
俺は時計から目を離せないまま、息を止めた。
数字が変わる。
四月五日、午前零時。
十七歳の誕生日。
その瞬間──
俺の全身が、ぼうっと淡い光に包まれた。
『おめでとうございます』
「…………」
『貴方は、スキルに選ばれました』
「…………」
頭の中に、女性とも男性ともつかない無機質な声が響いた。
俺はしばらく固まっていた。
何かの聞き間違いではないかと思った。
だが、身体を包んでいた光は確かに存在していたし、今も視界の端に淡い光の粒が漂っている。
「え……」
力が抜けた。
俺はベッドからずり落ち、そのまま床へ膝をついた。
「えぇ……? マジで……?」
自分でも驚くほど、心底嫌そうな声が出た。
普通の十七歳なら、ここで歓喜するのかもしれない。
だが、俺にとっては──
「最悪だ……」
最悪の誕生日プレゼントだった。
◇◆◇
今からニ十年前。
世界中に、突如として謎の門が出現した。
門の向こうには、地球上には存在しない怪物や植物、鉱石、そして不可思議な空間が広がっていた。
人々はその門を異世界へと通じる入口と考え、やがてその内部をひっくるめて、こう呼ぶようになった。
《ダンジョン》。
なぜ出現したのか。
誰が作ったのか。
本当に異世界へ繋がっているのか。
その辺りは、ニ十年経った今でもよく分かっていない。
ダンジョンから得られる未知の鉱石や植物、怪物の素材は、エネルギー、医療、建築、食品など、あらゆる分野で利用されている。
今やダンジョン産業は、世界経済を支える巨大産業の一つだ。
もっとも、当然ながら良いことばかりではない。
ダンジョンには怪物がいる。
牙や爪を持ち、炎や毒を吐き、人間を見つければ平然と襲いかかってくる連中だ。
銃やミサイルもある程度は有効だったが、ダンジョン内では現代兵器の性能が極端に落ちることがある。
そこで必要とされたのが、『スキル』を持つ人間だった。
ダンジョンが現れたのと同じ頃から、人類の一部に不思議な能力が発現し始めた。
炎を操る力。
傷を癒やす力。
身体能力を高める力。
物体を遠くから動かす力。
種類は様々だが、それらはすべて『スキル』と呼ばれている。
スキルが発現する可能性があるのは、十七歳の誕生日を迎えた瞬間。
世界中の十六歳が、誕生日前日の夜になると、日付の変わる瞬間を緊張しながら待つのだ。
発現率は、およそ二十人に一人。
決して高くはない。
そしてスキルに目覚めた者は、ダンジョン内の怪物を倒すことでレベルが上がり、身体能力や魔力が成長していく特殊な体質へ変化する。
そのため、スキルを授かった人間の多くは、探索者になる。
ダンジョンへ潜り、怪物を倒し、未知の資源を持ち帰る職業。
危険ではあるが、人気も収入も高い。
特に有名な探索者ともなれば、動画配信やテレビ出演、企業広告だけで一般人の生涯年収を軽く稼ぐ。
俺のクラスにも、探索者に憧れている奴は多かった。
いや、多いどころではない。
ほとんど全員だ。
人気探索者の配信を見ては盛り上がり、自分がスキルを得たらどんなチームを組むか、どのダンジョンへ挑むか、昼休みに毎日のように語り合っている。
だが、俺は違った。
探索者なんて、絶対になりたくない。
だって危ないし。
怪物は怖いし。
怪我は痛いし。
死ぬ可能性だってある。
有名探索者の動画では格好よく編集されているが、現実には毎年多くの探索者が重傷を負い、命を落としている。
俺はそんな職業に就くくらいなら、公務員になりたかった。
安定した給料をもらい、夕方五時には仕事を終え、帰宅してアニメを見ながらゲームをする。
休日には昼まで寝て、近所のスーパーで半額になった惣菜を買い、誰の邪魔にもならず、誰にも邪魔されずに過ごす。
地味? 結構だ。
俺にとっては、それが最高の人生だ。
「なのに、スキルかぁ……」
俺は床に座り込んだまま、頭を抱えた。
スキルを授かったからといって、法律上、必ず探索者にならなければならないわけではない。
一般企業で働くこともできるし、公務員試験を受けることだってできる。
だが、世間はそう簡単には許してくれない。
スキルを持っているのに、なぜ探索者にならないのか。
人類のために力を使うべきではないのか。
恵まれた才能を無駄にするのか。
親戚、教師、友人、役所、探索者協会。
ありとあらゆる場所から、そうした圧力を受けることになる。
例えるなら、全国模試で偏差値七十五を取っている高校生が、大学には行きませんと宣言するようなものだ。
本人の自由だと言う人はいても、心の底から同意してくれる人は少ない。
おそらく明日、学校でスキルが発現したと知られれば大騒ぎになる。
教師からは進路変更を勧められ、クラスメイトからは羨ましがられ、探索者志望の連中からはチームに誘われるだろう。
面倒くさい。
想像しただけで、胃が重くなった。
「とりあえず……確認だけするか」
スキルを授かった人間は、特定の言葉を口にすることで、自分の能力を確認できるらしい。
テレビでもネットでも、何度も見たことがある。
正直、少し恥ずかしい。
誰も見ていない部屋の中で言うだけなのに、何となく恥ずかしい。
俺は小さく咳払いをした。
「ステータス、オープン……」
何も起きなかった。
声が小さかったのだろうか。
こういうものは、もっと堂々と言わないと駄目なのかもしれない。
俺は周囲を見回した。
当然、誰もいない。
意を決して、少しだけ大きな声を出す。
「ステータスオープン!」
ピコンッ、と軽い音が鳴った。
「出た……」
目の前の空中に、青白い半透明の画面が現れた。
手を伸ばしても触れられない。
だが、俺が顔を動かせば、それに合わせて画面も視界の正面へ移動する。
これがステータスウィンドウか。
スキル所有者にしか見えないと言われている、謎の表示。
実際に見ると、何とも不思議な感じだった。
画面には、俺の名前と能力値が表示されている。
──────────────────
名前:門田露澪
性別:男
年齢:十七歳
LV:1
STR:10
AGI:11
INT:12
MAG:10
──────────────────
「まあ、普通だね」
十七歳男性の平均値は、すべて十前後だと言われている。
敏捷性と知力が少し高い程度で、他は平均。
特別強くも弱くもない。
我ながら実に地味だ。
平穏を愛する俺にふさわしい能力値とも言える。
「問題は、スキルだけど……」
画面を目で追うと、表示が下へ移動した。
──────────────────
《固有スキル》
【一撃必死】
効果:攻撃した対象は爆発四散して死ぬ。
使用回数:一日五回。
※注意:すべての使用回数を使い切らなかった場合、スキル所有者が爆発四散して死にます。
──────────────────
「…………」
俺は瞬きをした。
もう一度、文章を読む。
読み間違いかと思った。
だが、何度見ても書いてある内容は変わらない。
「……何これ?」
思わず声が漏れた。
いや、こんな物騒なスキルある?
攻撃した対象が死ぬ。
しかも、ただ死ぬのではない。
爆発四散して死ぬ。
何でわざわざ爆発させるのだろう。
普通に倒すだけでは駄目だったのか。
スキルを作った奴は、爆発に何か特別なこだわりでもあるのだろうか。
そして、その下。
一日五回。
使い切らなかった場合、スキル所有者が爆発四散して死ぬ。
「……いや、意味分かんないんだけど」
使用回数に制限があるのは、まだ分かる。
強い力を何度も使えないのは、ゲームでも漫画でもよくある話だ。
だが、なぜ全部使わなければならないのか。
しかも、使わなければ俺が爆発四散するらしい。
「誰が考えたんだよ、これ」
俺は画面を閉じようと手を振った。
すると、ステータスウィンドウは煙のように消えた。
部屋に静けさが戻る。
「……夢かな」
俺は呟いた。
そう考えるのが一番自然だった。
日付が変わる直前まで緊張しすぎて、変な夢を見ている。
あるいは寝落ちしていて、全部夢の中の出来事なのかもしれない。
頬をつねってみる。
「……痛い」
普通に痛かった。
だが、夢の中でも痛みを感じることはあるらしい。
多分。詳しくは知らない。
「まあ、いいか……」
考えるのをやめた。
俺は昔から、理解できない問題を無理に考え続けるのが嫌いだった。
明日は高校二年生の始業式だ。
朝も早い。
本当にスキルが発現しているなら、市役所へ届けを出す必要もあるが、それは学校が終わってから考えればいい。
爆発四散がどうとかいう説明文も、今は本気にしなくていいだろう。
そもそも、攻撃しただけで相手が爆発するなんて、現実的ではない。
これはきっと何かの間違いだ。
俺はベッドへ戻り、掛け布団を持ち上げた。
その時だった。
カサッ。
「…………」
布団の脇で、小さな音がした。
聞き覚えのある、不吉な音。
俺はゆっくりと顔を向けた。
床の上を、一匹の黒い虫が走っていた。
艶のある平たい身体。
素早く動く六本の脚。
長い触角。
「…………」
黒い虫も動きを止めた。
俺とそいつの視線が合った。
気がした。
「オワァァァァッ!?」
俺は叫びながら飛び上がった。
ゴキブリだ。しかも、かなり大きい。
いつからいた。
どこから入った。
まさか、さっきまで俺が座っていたベッドの下に潜んでいたのか。
そんな疑問は一瞬で頭から吹き飛んだ。
ゴキブリが再び走り出す。
「ウォワーーーッ!?!? こ、こっち来んな!」
俺は手近にあった雑誌を掴み、慌てて丸めた。
一撃で仕留めなければならない。
下手に逃がせば、今夜は眠れなくなる。
どこかに潜伏していると分かっている部屋で、平然と眠れるほど俺の神経は太くない。
「止まれ! 止まって、マジで!」
止まるわけがない。
ゴキブリは床を横切り、ベッドの下へ逃げ込もうとする。
「そこは駄目だぁぁぁ!」
俺は丸めた雑誌を振り上げた。
狙いを定める余裕などなかった。
ただ必死に、黒い虫めがけて振り下ろす。
バシンッ!
雑誌の先端が、ゴキブリの背中を捉えた。
その瞬間──
俺の右手が、淡く光った。
「えっ?」
次の瞬間。
──カッ!!
ボガァァァァンッ!!
六畳一間のボロアパートに、轟音と爆炎が広がった。




