表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/22

飛鳥、飲み会にて思い切り惚気る

 飛鳥の頭の中は、どこかふわふわとしていた。レモンサワーのせいか、さっき抱きしめられたのが効いたのか、それとも――もう、自分でもよく分からない。気がついたときには、誠の腕にしがみついていた。彼の席は、いつの間にか飛鳥の左隣に入れ替わっている。……あれ? いつ入れ替わったのだろう。

「まこと、あったかい……」

 声に出したかどうかも曖昧だった。普段の自分ならこんなことは言わないはずなのに、口が勝手に動いている気がする。たぶん、言っている。飛鳥は誠の肩にそっと頬を預けた。髪が彼の服に触れてくすぐったかったが、離れたくはなかった。

「ふふ……もうずっとこうしてよっか……」

 周囲の笑い声も、グラスが触れ合う音も、今の飛鳥には遠く低く響いていた。

(あー……わたし、なにしてるんだろ)

 そんな小さな理性が頭をよぎるが、もうどうでもよかった。誠がすぐそばにいて、彼の匂いがちゃんとする。胸の奥がきゅーっと締め付けられ、なぜか泣きそうになる。でも――同時に、ひどく幸せだった。

「……好きだよ」

 小さく呟いた。聞こえていない確信はあったが、口にできただけで満足だった。飛鳥がそっと誠の手に触れると、彼の指先は少し冷たく、そして優しかった。離したくない一心で、飛鳥の指にほんの少しだけ力がこもる。

 

 ***

 

 ざわざわとした笑い声とグラスの音が、急にボリュームを上げたように鼓膜へ戻ってきた。店員が「ラストオーダーですー」と告げる声が響く。

(……あれ?)

 霧が晴れるように世界がはっきりとしていき、みんなの姿が見えてくる。もちろん誠もいる。飛鳥は確かに彼の隣に座っていた。けれど、何かがおかしかった。周囲の視線が、一斉に自分たちに集まっているのだ。今、何か口走ってしまっただろうか。……いや、まだだ。まだ言っていない。だからこそ、今言ってしまおうと思った。

「ねえ、聞いてよー」

 飛鳥は誠の肩に寄りかかったまま、あえて声を張り上げた。

「ほんとはね――あたしたち、ずっと前から付き合ってたんだー」

 その瞬間、居酒屋のテーブルの音がぴたりと止まった。一瞬にして静まり返る。

(ああ……言っちゃった)

 それなのに、胸のすくような快感があった。

「ちょ、ちょっと飛鳥、なに言って――」

 誠が慌てて腕を引っ張ってきたが、飛鳥は頑なに離さなかった。

「だって、ほんとじゃん?」

「酔ってるだろお前……!」

「……うん、酔ってるよ?」

 にこっと笑い返してみせる。しかし、単なるアルコールの勢いだけではなかった。

「でもね、ずっと我慢してたの。隠すの、苦しかったもん」

 破裂したように、周囲のざわめきが戻ってくる。

「マジで!?」

「え、そうなの?」

「でもお似合いかもー」

 誰かが驚き、誰かが笑い、誰かが信じて、誰かが疑っている。

(それで、いいや)

 このまま誠の彼女としてここにいたい。飛鳥はそう願いながら、また彼の肩に頬をくっつけた。やっぱり、あったかい。とろりと、視界が心地よく滲んでいった。

 

 ***


「最初はねー……まことのこと、ほんっと嫌なやつだと思ってたの」

 気づけば、飛鳥の口は滑らかに動き続けていた。グラスを片手に持ち、ほっぺたを誠の肩にぴったりと寄せ、傍目から見てもベタベタの様相だった。周りの空気がざわつくのを感じたが、止める気なんてさらさらない。

「なんかさー、いっつも冷たくて、なんか自分だけ正しいって感じでさ。ムカつくし、話しててもつまんないし……って思ってたの。最初は」

「ちょ、ちょっと飛鳥、やめ――」

 誠はあからさまに焦っていた。しかし、飛鳥は絶対に彼を解放しなかった。

「でもねー、なんか……気づいたら、見ちゃってたのよ。目で。あ、今日もいるなーとか、また同じコンビニ寄ってるーとか、こっちは見てないのに、なんか気になっちゃっててさ」

 くすっと笑う飛鳥の胸に、少しだけ気恥ずかしさが湧く。

「で、わたしから告白して――……あれ?ちがうか。まことから、だっけ?」

「いや、それは――」

「えーどっちだったかなー。もう忘れちゃったー。でもさ、なんか、気づいたら付き合ってた、って感じ?ね?」

 顔を至近距離まで近づけると、誠は完全にキャパシティをオーバーして固まっていた。それを見た周囲が、一気に爆発する。

「マジかよ」

「うわ、それは知らんかった」

「えー!え、ほんとに?ずっと前から?」

 男の子たちはあからさまにショックを受けた顔をしていたが、飛鳥にとってはどうでもいいことだった。対照的に、女子たちは一様にニコニコしている。

「言われてみれば、そんな気してたー」

「うんうん、最近いつも一緒だったしね」

「飛鳥ちゃん、まことくんの前だけ、めっちゃ柔らかい顔するよね」

「わかる!なんか、恋してるって感じー!」

 その言葉が嬉しくて、飛鳥はもう一度誠に寄りかかった。

「ね、まこと?ばれちゃったねぇ?」

 誠は何も言わなかったが、耳の付け根が真っ赤になっている。

「ふふ……なんかさ、もう、いいかなって思ったの。こうやって言っちゃっても。だって、好きなんだもん、わたし」

 グラスを置き、誠の指をぎゅっと握りしめる。ちゃんとあたたかい、本物の彼がそこにいた。

「ねえ、これ、夢じゃないよね?」

 こぼれ落ちた言葉に誰も答えはしなかったが、それでもよかった。今の飛鳥は、誠のそばにいられる、ただそれだけで十分に幸せだった。

 

 ***

 

「ねえねえ、みんな、聞いてくれる?」

 飛鳥はグラスをくるくる回しながら、誠の腕にくっついたまま、みんなに向かって声をかけた。

「なんかね……まことって……お兄ちゃんみたいなの」

 一拍、妙な間が空いた。

「……え?」

「お、お兄ちゃん?」

 飛鳥はふにゃっと締まりのない笑みを浮かべて続けた。

「だってさ〜、後ろからぎゅーってされると、なんかもう……ふわ〜って、なるの。あったかくって、甘くって、やばいの」

 ざわっ、とした直後、店内が爆発したような悲鳴と笑いに包まれた。

「ちょ、飛鳥ちゃん!?それ、アウトじゃない!?」

「えっ、後ろから!?お兄ちゃんって!?ちょ、ちょ、やばいやばい!」

「いやもう、どんな夜送ってんの誠くん!!」

「むりむりむり、情報量が多すぎるって!!」

 誠はその場で両手で顔を覆い、完全に沈黙してしまった。

「……だから言っただろ……止めろって……」

 その絞り出すような小さな声は、飛鳥の耳にだけ届いた。しかし飛鳥は誠の腕を引っ張り、無邪気に笑ってみせる。

「だいじょーぶ、みんな優しいから怒んないもん」

(ね、まこと……もうちょっとだけ……惚気させて?)


 ***


「もうわかった、完敗だわ」

 誰かが降参するようにテーブルを叩いた。

「ふたり、好きすぎ!」

「おめでとー!」

 巻き起こる拍手の中、飛鳥はわけも分からず笑っていた。誠の肩にしがみついたままで。

「じゃあさ、もういっそ……キス、しちゃえば?」

「それそれー!」

「見たい見たい!」

「えっ……」

 誠の身体がびくついたのが伝わってくる。

「キスしようよ、ね?」

 飛鳥はまっすぐに、誠の顔を見上げた。

「酔ってるよ、飛鳥……」

「……キス、したくないの?」

 その瞬間、少しだけ――ほんの少しだけ、飛鳥の心がすうっと沈んだ。

「あ……違う、そうじゃなくて……」

 焦る誠の声を聞きながら、飛鳥はすでにうつむいていた。

「そっか……わたし、うるさかったよね……ごめん」

 そのとき、ふわっと頬にあたたかい感触が触れた。それが誠の唇だと気づいたのは、ほんの一秒後のことだった。顔を上げると、誠が真っ赤な顔で照れくさそうに笑っている。

「……したかったに決まってんだろ」

「……ん」

 その一言で、飛鳥の中のわだかまりは完全に溶けて消えた。

「きゃーーーーーっ!!」

「はい、拍手〜〜〜!」

「幸せかよ……!」

 歓声と拍手、からかいと羨望の入り混じった声が響く。しかし、今の飛鳥にはすべてが遠い世界の出来事のようだった。目の前には誠がいて、その瞳が、自分だけを真っ直ぐに見つめてくれていたから。

(……夢なら、覚めなくていいな)


 ***

 

 居酒屋のざわめきが、次第に遠ざかってゆく。拍手の音も、笑い声も、誠の唇の熱も、すべてが遠くへ。

(あれ……?)

 身体がふっと沈み、深い水の中に吸い込まれていくような感覚のあと、やわらかい浮力でゆっくりと浮かび上がった。どこかから聞こえる街の雑雑とした音。信号機、車のエンジン音。湿った夜風と、肩越しに伝わる絶対的なぬくもり。

「……ん……」

 飛鳥が目をあけると、街灯の明かりがにじんで見えた。彼女は誠におんぶされていた。白いシャツの背中がすぐ目の前にあり、自分の頬がそこにぴったりと触れている。

「……あれ……」

 喉から掠れた声がこぼれた。

「……起きた?」

 肩越しに、誠の低い声が届く。

「……うん……」

 そう答えるのがやっとだった。頭がぽわんとして、まだ夢の中に片足を残しているような心地だった。

(……夢だったの、かな……みんなの前でキスしたり……あんな話したり……)

 けれど、飛鳥の中には鮮明な感触が残っていた。誠のぬくもり、声、そして背中からトントンと伝わってくる彼の鼓動。それが現実か夢かなんて、もうどうでもよかった。

(まこと……)

 飛鳥はそっと彼の背中にしがみついた。この人が抱えてくれるのなら、もう一度深い眠りに沈んでもいいとさえ思った。

 

 ***


 コツ、コツ、と誠の足音がアスファルトに規則正しく響いていた。飛鳥はまだ彼の背の上にいた。頭はぐらぐらとしていたが、妙に心地よかった。肩に当たる夜風は冷たいのに、誠の背中は驚くほどあたたかい。まぶたの裏で、通り過ぎる街の明かりが揺れていた。

「……まこと」

「ん?」

 背中越しに、小さな返事が返ってくる。

「……あたし、いまどこ?」

「駅のほう、歩いてる。タクシーつかまえようと思って」

「ふぅん……」

 飛鳥は曖昧に答えた。まだ半分は夢の住人だった。そんなとき、誠が苦笑混じりに言った。

「……飛鳥、めちゃめちゃ酔ってたなー。すげぇテンションだったぞ」

「……そっかぁ……」

(やっぱ、夢じゃなかったのか……)

 飛鳥の顔が、じんわりと熱くなる。

「なにしゃべったか、覚えてる?」

「……んー……ちょっとだけ」

 それは嘘だった。本当はほとんど覚えていた。けれど、全部覚えていると言うのが急に恥ずかしくなったのだ。誠の背中がクスクスと小刻みに揺れるのが伝わってくる。

「そりゃよかった。覚えてたら、恥ずかしくて死ぬだろなーって思ってた」

「……ひど」

 不満を口にしつつも、飛鳥はもう一度、彼の大きな背中にぴったりと身を寄せた。

 

 ***


 それでも、飛鳥にはまだ分からないことが多かった。あのとき、トイレの前の廊下で何を話したのか。その前はどうだったのか。自分はいつから、あんなに彼に甘えるようになっていたのだろう。キスは……本当にみんなの前でしてしまったのだろうか。どこまでが夢で、どこからが現実なのか。その境界線は、まるで水に溶けるインクのように流れて消えていく。

(まこと……)

 おんぶされたまま、飛鳥はゆっくりと再び目を閉じた。誠の背中は変わらずあたたかく、肩越しの匂いも、歩くリズムも、すべてが愛おしい記憶だった。もうすぐ家に着く。けれどその前に――もう少しだけ、このままで。ほんの少しだけ、誠の背中に甘えていたかった。

(……ねえ、まこと。もし、あれが全部夢だったとしても……。わたし、すっごく幸せだったよ)

 心の奥底だけでその言葉を呟き、飛鳥は静かに眠りに落ちていった。世界で一番あたたかい、たったひとつの背中に包まれながら、夜の街を運ばれてゆく。


 ***


 アパートの階段を誠は飛鳥をおんぶしたまま上がる。飛鳥は本当はもう酔いも眠気も醒めて、でも離れたくなくて黙ってしがみついていた。

「……ただいま」

 誠はそう呟いて、彼女の部屋の鍵を開けた。足音を立てないように部屋に入ると、まず靴を脱がせ、冷たい手をそっと拭いてやる。脱ぎかけのカーディガンを整え、水の入ったグラスをベッド脇に置き――最後に、薄手のブランケットをふわりとかけた。

(……これで、大丈夫だろ)

 そのまま、立ち上がりかけたとき――

「……まこと」

 かすかな声が、背中から届いた。誠は振り返る。飛鳥は、明確に覚醒した瞳で、こちらを見上げていた。

「……もう帰るの?」

「うん、今日はもう、寝たほうがいいよ。明日また――」

「やだ」

 彼女は小さく首を振った。

「……ちゃんと、恋人だって、証明して」

 言葉は甘く、でもその奥に、確かな意志があった。

「え……」

 戸惑う誠に、飛鳥は身体を起こしながら言う。

「……お薬、飲んでるから。だいじょうぶ」

 頬が赤いのは、まだ酔いのせいだろうか。それとも、さっきよりもずっと、真っ直ぐな感情のせいなのか。

「……飛鳥……」

 誠の声は、ほんの少し震えていた。彼女は、小さな手でシーツをつかみながら――それでも、視線をそらさずに言った。

「……夢じゃ、ないよね?」

 誠は、返事の代わりに、そっと歩み寄った。もう迷いはなかった。今夜、この瞬間――彼女の隣にいることこそが、答えだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ