飛鳥と七海、ファミレスでひみつを共有する
休日の昼、ファミレスはほどよく混んでいた。子ども連れのテーブルでは笑い声が弾み、奥のブース席では女子高生たちがスマホの画面を見ながら盛り上がっている。ホールの奥では、厨房に向けて料理を運ぶスタッフの姿がチラリと見えた。店内に流れる控えめなBGMと、グラスのぶつかる音。そんな喧騒の中、窓際から少し奥まった席に、飛鳥と七海は向かい合って座っていた。飛鳥の手元にはタブレット。画面を閉じたばかりの指が、まだ微かに熱を残していた。七海は前のめりになって、ストローでグラスの氷をかき混ぜながら、じっと彼女の表情を見ていた。
「……最後のシーン、これって」
飛鳥が、ふいにぽつりと漏らす。その視線の先には、二人から少し離れた、壁際の小さなテーブルがあった。空席だが、どこか印象的な雰囲気を湛えている。七海は口元を綻ばせ、うなずいた。
「そうです。このお店をモデルにしました。最後に出てくる店員さんは、飛鳥さんですよ」
飛鳥は反射的に自分の髪に手をやる。今日の髪はおろしている。ポニーテールではないのを確かめると、頬にじんわり熱が差した。向かいの七海は、ストローをくるくる回しながら、くすっと楽しそうに笑う。
「……あのさ、虎が助けに来るところ」
言いながら、飛鳥は指先でテーブルの縁をなぞる。七海の目が輝いた。よくぞ聞いてくれたというように。上半身を少し乗り出すようにして、声に弾みが混じる。
「はい、あれは『スペースコブラ』のオマージュです」
飛鳥は深く息を吐き、苦笑を浮かべた。
「七海、そういう引用するの好きだよね……」
「ふふふ」
嬉しそうに笑う。その顔はまるで、小説ではなく“秘密の宝物”を見せた後の子どものようだった。
***
「で、どうでした?」
ストローの先で氷をコツンと弾きながら、七海が問いかける。飛鳥は、しばらく言葉を探すように唇を結び、ようやく言った。
「……面白かったけどさ。これ、ネットに投稿してるんでしょ?反応とか、どうなの?」
七海の表情が、すこしだけ陰った。グラスの縁を指先でなぞきながら、彼女は静かに言う。
「あまりなくて……いいね!とかブクマはいただくんですけど、読者さんがどう受け止めてるのか」
「えっちな小説読むつもりで来た人は、ちょっと戸惑うんじゃないかなあ」
飛鳥は、慎重に言葉を選んだ。
「そうですよね」
七海はうなずいた。笑みをたたえているが、目はすこしだけ遠くを見ていた。
「復讐……みたいな気持ちが、こういうのを書く動機になってるのかもしれません」
「復讐?」
飛鳥が眉を寄せる。テーブルの下で、足を少し組み直した。柔らかいクッションシートがかすかに軋む。七海は、すこし恥ずかしそうに目を伏せ、淡く微笑んだ。
「前に言ったでしょう。わたしの中に“羆”がいるって」
「うん、覚えてる」
「日頃は抑えてるんですけど、時々暴れ出すんです。……今回の小説もそう。あの編集者さんに言われたことが悔しくて、つい」
飛鳥はまじめな顔でうなずいた。少し口を開きかけて、けれど言葉にならず、グラスに視線を落とす。
「……なにかを人に晒すって、しんどいことだよね」
そのひとことに、七海はそっと目を閉じて、静かにうなずいた。
***
「私さ、むかし少しだけ配信やってたんだ。顔出して、日常を話すやつ」
飛鳥が、気を紛らわせるように言った。
「飛鳥さんが?」
七海はグラスを持ち上げかけた手を止め、目を丸くする。
「意外でしょ」
「えっちなやつですか?」
「違うってば!すぐそっちに持っていこうとする」
思わず笑ってしまった七海は、両手を合わせてぺこりと謝る。
「全然有名とかじゃないよ?ネットの片隅でやってるだけ。学校のこととか、家族の話とか、だらだら喋ってさ。あー、思い出してきた。アコギ弾いて歌ってみた、とかもやったな。……完全に黒歴史」
「いいじゃないですか。若さゆえの過ちです」
「過ちって言ってるじゃん!」
「踊ってみたくらい普通ですよ。最近の若い子なら」
「踊ってはない!」
「でも歌ってはみたんですよね?」
「……そうだけど」
「音源、残ってないんですか?」
「ないし。あっても聞かせないから安心して」
「ちぇー」
「ちぇ、じゃない」
ふたりの声に混じって、近くの席の子どもが笑い声を上げた。それがまるで、会話の続きを祝福するようで、二人ともすこしだけ笑った。
***
ゆるい空気の中、飛鳥がぽつりと言った。
「当時はそれなりに楽しかったんだよ。……クラスの子が知らない私。ここなら違う私でいられる、って」
七海は真面目な顔で、耳を傾ける。
「でも、いつからか変なコメントが増えて。顔出してたから、見た目をいろいろ言う人が出てきてさ。前から来てくれてた人と、そういう輩とでコメントが荒れたりもして」
その声は、少しだけ硬くなっていた。
「"可愛いね"とか"どこの学校?"とか聞いてくるのもあって。そのうち"制服見たい"とか、怖いし……気持ち悪くなってきて」
飛鳥は肩をすくめ、氷の溶けかけたグラスに目を落とした。
「もう、めんどくさくなって、全部やめた。アカウントも消して」
ふいに、七海の手が伸びた。テーブルの上で、そっと飛鳥の手に触れる。その手はあたたかく、なにも言わなくても、
「わかってる」
と伝えるようだった。飛鳥はその手を見つめ、微笑んだ。もう大丈夫、とでも言うように。
***
「誠さんは知っているんですか?」
七海が、そっと声のトーンを落とした。ストローで氷を軽くつつきながら、飛鳥の目をのぞき込む。
「知らない、言ってないから。七海に初めて話した」
飛鳥は視線を少し逸らし、グラスの曇りを親指でぬぐうようにしながら答える。七海はふっと微笑んだ。安心させるように、柔らかなまなざしを添えて。
「また、二人だけの秘密ですね」
その言葉に、テーブルのまわりの空気が、ほんの少しだけあたたかくなる。
「……配信飛鳥さん、見てみたかったですね。きっとファンになって、スクショとか撮ってました」
そう言って、七海はいたずらっぽく笑った。
「七海も怖いよ!」
飛鳥は思わず吹き出し、肩を揺らして笑った。二人の笑い声が、ファミレスの喧騒に小さく混ざっていった。
***
「そういえば今日は、誠さんと瑞希さんのデートですね」
七海の言葉に、飛鳥はしかめ面をした。
「……ねえ、横浜デートだってよ。瑞希、すごい張り切ってた」
「またそんな顔して」
飛鳥は、残った氷だけになったドリンクを一気に飲み干す。グラスの中で、カラン、と氷が跳ねた。七海が言う。
「今頃、えっちしてますかね?」
「ぶっ……!」
吹き出しそうになって、飛鳥は思わずむせた。
「なんでみんなそういうこと言うの!まだお昼だよ!」
「ふふふ。虎さん曰く、定番のオチです」
「擦り過ぎると鮮度が落ちるよ?」
ふたりのテーブルに、ドリンクバーの音と共に、軽やかな笑い声がふわりと溶けていった。




