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兄妹の部屋  作者: 真好


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9

 ドアを閉めた瞬間、食欲をそそる香りがふわりと鼻をくすぐった。


「……カレーだ」


 蒼大が呟くと、芽生も鼻をひくつかせて言った。


「久しぶり……家の中で嗅ぐ、カレーの匂い」


 三人は靴を脱ぎ、リビングへと上がった。母はキッチンにいた。真剣な表情で味見をしていたが、三人の姿を認めると、パッと明るい笑みを浮かべた。


「あら、お帰りなさい」


 蒼大と芽生は、反射的にぺこりと会釈した。


「あの……この度は、本当にありがとうございます」


 蒼大に続き、芽生も言葉を重ねる。


「行くところがなくて困っていたので……本当に助かりました。ありがとうございます」


「いいのよ、気にしないで」


 母が食卓を指差して手招きした。


「まだ食べてないんでしょう? 座って待ってて。カレー、すぐ準備してあげるから」


 蒼大は食卓へ向かおうとして、リビングの片隅に置かれた仏壇に目が釘付けになった。この家のリビングにも、当然のようにそれは置かれていた。配置も、何もかもが自分の家と同じ。蒼大は吸い寄せられるようにそちらへ歩み寄りそうになったが、踏みとどまった。なぜか、これ以上近づく勇気が出なかった。芽生も同じだったのか、遠目から仏壇を見つめるだけで、それ以上は動こうとしなかった。


「さあ、座って座って」


 母が再び促すと、蒼大と芽生は並んで食卓についた。一方、悠人は座る前にテーブルをじっと見下ろし、母に問いかけた。


「……なんで、三人前しかないんだ?」


「あ、私はいいの。三人でゆっくり食べて」


「なんでだよ。母さんもご飯まだだろ? 一緒に食べよう?」


「いいわよ。私がいると、ほら、あの子たちも気まずいかもしれないし……」


「そ、そんなことないです!」


 芽生が慌てて手を振った。


「全然気まずくなんてありませんから。一緒にいかがですか?」


「そうだよ。母さんがそんなふうに遠慮する方が、かえって気まずい。ほら、一緒に食べよう」


 悠人は有無を言わさずキッチンへ行き、もう一人分のカレーを運んできて空いている席に置いた。


 母はしばらくもじもじとしていたが、やがて少し照れたような、ぎこちない笑みを浮かべて言った。


「……じゃあ、そうさせてもらおうかしら」


 どこか照れくさそうにしている彼女の様子に、蒼大は少し呆れてしまった。思わず鼻で笑ってしまったが、幸い誰にも気づかれずに済んだようだ。ほどなくして芽生の向かいに悠人が、蒼大の向かいに母が腰を下ろした。


「久しぶりに作ったから、口に合うかどうか……」


 母が少し不安げに微笑む。


「家出をしてきたとのことだから、あまり長く引き止めるのは難しいかもしれないけれど。とにかく、落ち着くまでは気楽に過ごしていいからね」


「ご迷惑をおかけしてすみません」芽生が頭を下げた。「ありがたくいただきます」


「ええ、たくさんあるから。足りなかったら遠慮なく言ってね」


「じゃあ、いただきます」


 悠人が号令をかけるように言うと、四人は手を合わせ、カレーを口に運び始めた。


 しばらくの間、静寂の中に食器の触れ合う音だけが響いた。当然ながら、悠人の世界の母も、見た目は蒼大の知る母と変わりはなかった。雰囲気や仕草はもちろん、家着や髪型までそっくりだ。ただ、一点だけ決定的に違うものがあるとすれば、それは「目」だった。


「なんですか?」


 蒼大が少しぶっきらぼうに尋ねた。母があまりに熱心に自分を見つめていたからだ。


「僕の顔に、何か付いてますか?」


「あっ、ごめんなさい、そういうわけじゃなくて……」


 母は慌てて視線を泳がせた。


「実は、すごく似ていて」


「誰にですか?」


「悠人から聞いたかどうかわからないけれど、悠人には弟と妹がいたの。……君たちが、あの子たちにそっくりで」


 食器の音がふっと止まり、またすぐに再開した。


「それで、」母が話題を変えるように尋ねた。「今は、学校はどうしているの?」


「一応、通ってはいるよ」悠人が代わりに答える。「学校側はまだ家出のことは知らないし、友達にも伏せているらしいんだ」


「ご両親は? 学校に連絡したり、訪ねてきたりはしなかったの?」


「この子たちの親は……」


「はい」


 悠人の言葉を遮り、蒼大が割り込んだ。


「両親は、別に僕らに興味なんてないんですよ。話しかけてみても、いつも死んだ魚みたいな目をしてるし」


「あ……そう、なのね」


 母は少し戸惑ったように頷いた。悠人からの刺すような視線を感じたが、蒼大はそれを無視して、ひたすらカレーを口に運んだ。


 カレーは普通に美味しかった。空腹だったこともあり、蒼大はあっという間に一杯目を空にし、二杯目をお代わりした。行儀が悪いと思われかねないほどの勢いだったが、母はそんな蒼大をただ優しい目で見つめていた。


「ところで、」蒼大が言った。「三人は、随分仲が良かったんですね。庭に小屋まで作ってもらえるなんて」


「ああ、『兄妹の部屋』ね」母が答える。「ええ、三人で家中をしょっちゅう駆け回っていたから。もっと自由に遊べる場所を作ってあげようと思ってね」


「素敵ですね」芽生が愛想よく応じる。「いいアイデアだと思います」


「ええ。あの子たちも気に入ってくれて、三人でよく中に閉じこもっていたわ。たまに喧嘩もしていたけれど、まあ、どこにでもある仲の良い三兄妹だった」


「あの二人は、どうして死んだんですか?」


 蒼大が放り投げるように訊くと、悠人と芽生が同時に彼を振り向いた。母の表情もわずかに翳ったが、すぐに答えが返ってきた。


「車の事故で。ある日、あの子たちが私と夫に内緒で、遊園地に遊びに行ったの。お小遣いを余分にあげすぎていたせいか、タクシーまで使ってね。……まあ、そこまでは良かったんだけれど。よりによって、そのタクシーが事故に遭ってしまって……」


 母が言葉を濁すと、蒼大は頬を掻きながら、バツが悪そうに言った。


「……すみません。余計なことを聞きました」


「いいのよ。もう七年も前のことだし。……もう、平気だから」


「……」


 蒼大は、母の顔を盗み見た。その言葉通り、母は本当に「平気」そうに見えた。いつも生気を失っていた自分の世界の母とは対照的に、今の彼女の瞳には生き生きとした光が宿っている。それを見て、蒼大は言いようのない動揺を覚えた。


「……本当に?」


 蒼大は訊ねた。意地悪をしたいわけではなかった。ただ、純粋に沸き起こる好奇心を抑えきれなかった。


「本当に、なんともないんですか?」


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