30
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翌年、三月の初め。
母の作ってくれた朝食を平らげ、悠人は家を出た。
まだ肌寒い風のせいか、あるいは胸に宿る期待感のせいか、体がわずかに震えた。
悠人は吐き出した白い息が朝日に当たり、空気の中に溶けていくのをしばらく眺めてから、ふと庭に視線を移した。
『兄妹の部屋』があった場所には、もう何もなかった。まるで最初からそうだったかのように、小屋が撤去された痕跡すら残さず、そこは自然な芝生の一部へと戻っていた。
「悠人」
門の外から父の声がした。彼は出してきた車の中で、悠人を待っていた。
「乗りなさい。駅まで送るよ」
「本当に大丈夫だって。一人で行けるから」
「俺が送りたいんだ。東京までは無理でも、せめて駅までくらいはな」
「……」
悠人は小さく肩をすくめ、助手席に乗り込んだ。見送りに庭まで出てきた母が、名残惜しそうに悠人に言った。
「入学式までまだ余裕があるのに。そんなに急いで行かなくてもいいじゃない」
「新しい環境に、早めに馴染んでおきたいんだ。それに、なんとなく……」
悠人は窓からそっと顔を出し、春の柔らかな日差しを全身に浴びて言った。
「いい予感がするから」
母は寂しげな表情を見せたが、すぐに優しい笑顔を浮かべて頷いた。
悠人はシートベルトを締め、最後にもう一度だけ、かつて自分たちの居場所があった場所を眺めた。それから、父に向かって短く頷いた。
悠人を乗せた車はゆっくりと、確かな足取りで前へと進み始めた。
ーfinー




