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結局、彼らと同じように声を荒らげる以外、道はなかった。望んでいた方法ではなかったが、効果はあった。皆が言葉を切り、束の間の温かい静寂が訪れる。
悠人は、自分に向けられる視線を感じながら、激昂した感情を鎮めようと努めた。ところが、空気がどこか変だ。なぜか皆、恐怖に打たれたような顔で悠人を見つめている。
「……悠人」母が声を震わせた。「唇に、血が……」
言われて、悠人は顎の力を緩めた。痛みはなかったが、怪訝に思って唇に指を当てると、確かに鮮血が滲んでいた。さっき、唇を噛み切りながら失笑を堪えた時のものだ。
「……ど、どうしちゃったの?」
母が狼狽した顔で近寄ってくる。血の付いた唇に触れようとした彼女の手を、悠人は反射的に振り払った。
「触るな」
力の加減ができなかった。強く打たれた母が手の甲を抑えて呻くと、次は父が詰め寄ってきた。
「悠人、お前、母親に対してその態度はなんだ!」
父が悠人の肩を掴み、力任せにこちらを向かせようとする。悠人はそれを突き飛ばした。それもまた加減が利かず、父を床に転倒させてしまう。
悠人は、呆れ果てたように溜息を吐き、やがて低く、呟いた。
「……なんなんだよ、あんたたち。いまさら子供扱いか? いまさら、家族扱いか? ……いまさら?」
悠人は、手を握りしめたまま怯えたように自分を見つめる母と、床に座り込んだまま呆然と自分を見上げる父を、しばらくじっと見つめていた。
そうしているうちに、まるで酷く現実味のない夢を見ているかのような気分になってきた。意識は朦朧とし、体の力加減がうまく制御できない。顔の筋肉は麻酔を打たれたかのように強張り、ぴくりとも動かなかった。
その結果、不本意ながらも冷徹で揺らぎのないポーカーフェイスが出来上がっていた。それでも、言葉だけは滑らかに口から零れ落ちた。
「……七年間、他人みたいに、いや、幽霊みたいに息を殺して生きてきた。あんたたちが、それを望んでいるみたいだったから」
声は小さく、全員に届いているかは疑わしかったが、悠人は構わずに続けた。
「言いたいことがあるなら、素直に言えばよかったじゃん。俺を叱ればよかったじゃん。……二人とも、本当は誰でもない、生き残った俺を一番恨んでいるんだろ?」
「…………」
「俺が、あの子たちを殺したと思ってるんだろう?」
肯定も、否定も返ってこなかった。
悠人は淡々と言葉を重ねる。
「俺はいつだって、謝る準備はできていた。あんたたちが俺を殴るなら殴られる準備も、捨てようとするなら捨てられる準備も、ずっと前からできていたんだよ」
悠人は、目の前の二人に心から同情した。自分のような息子を持ったせいで、愛すべき子供を二人も失った哀れな両親。
悠人は静かに、二人に向かって頭を下げた。
「……俺で、ごめんなさい」
皮肉ではなく、あくまで丁寧な、心の底からの謝罪だった。
「俺一人だけが図々しく生き残ってしまって、本当に申し訳ありません。……俺は、大罪を犯しました」
しばらくして、悠人は再び背筋を伸ばして立った。母も父も、もはや悠人の顔を見てはいなかった。視線を落とし、あるいはそっぽを向いている。
「よかったじゃん」悠人は言った。「離婚、昔からしたかったんだろ? 目の敵にしていた俺はもう消えてやるから、あとは好きにすればいいよ。……でも、やっと一つになれた俺たち兄妹を、勝手に引き裂くことだけは許さない。俺たちはここを出て、三人だけで暮らす」
その宣言に、両親が弾かれたように悠人を振り返った。だが、それよりも早く、蒼大と芽生が戸惑いの声を上げた。
「……で、でも兄ちゃん」
「それじゃ、最初の目的と……」
言葉を濁す二人に、悠人は静かに諭した。
「最初の目的? 思い出してごらん。俺たちの本来の目的は何だった? 『俺たち三人』で、ずっと一緒にいることだったはずだよ。親なんていうのは、例えばオプションみたいなものさ。あれば便利かもしれないけれど、絶対に必要なものじゃない。俺たち三人さえいれば、それで十分なんだ」
それでも、蒼大と芽生の表情は晴れない。悠人は、無理に口角を上げて微笑んで見せた。引きつった笑みが不自然な影を落としたが、それでも悠人は屈することなく笑い続けた。
「大丈夫だよ。……本来の姿を取り戻そうとしているだけなんだ。本来の、三兄妹の形を」
「…………」
「さあ、出よう。早く」
悠人が先に歩き出す。だが、どこか子供が駄々をこねるようなその言動に、蒼大と芽生は困惑を隠せない様子で立ち尽くしていた。ついてこようとする気配すらない。
悠人は、張り付いた笑みを一瞬で消し去った。
「……出ろと言ってるんだ」
それでも二人は動かない。
「でも、兄ちゃん……」
「兄ちゃん……」
「出ろ‼」
リビングに再び怒声が轟き、蒼大と芽生はびくりと肩を震わせて俯いた。二人が自分の意に従わないことへの、抑えきれない苛立ちが悠人を支配した。それでも二人が重い腰を上げ、自分の後を追ってきたのを見て、これ以上声を荒らげる必要がないことに安堵した。
悠人は二人を連れて家を出ると、庭を突き進んだ。
門を開けて外に出ようとした瞬間、立ちはだかる数人の男たちに遮られた。到着したばかりの彼らは、作業服に身を包み、家のインターホンを押そうとしていた。
『兄妹の部屋』を取り壊しに来た、解体業者たちだった。
母と父も、力なく庭へ出てきた。父は業者たちの姿を見て、眉をひそめて呟いた。
「……確か、キャンセルしたはずだが」
蒼大と芽生も怪訝な表情で見つめる中、悠人が短く告げた。
「俺が呼んだんだ」
昨日、橋本たちが逃げ去った直後、すぐに業者を手配し、今朝の予約を取り付けておいたのだ。
「逃げ道は、早めに断っておいた方がいいからね」
悠人は、父を冷たく見据えて言った。
「部屋のことはもう忘れろって、父さんが言ったんだ。だから今すぐ、壊してしまおう」
業者たちが工具を手に、確認の合図を送ってくる。父と母はしばらく躊躇っていたが、やがて力なく、入り口から退いた。
「行こう」
悠人が外へ踏み出すと、蒼大と芽生もその後に続いた。背後には、二人を追おうとする父と母の姿があった。
「……ついてこないでください」
悠人は立ち止まり、縋るように言った。
「お願いします」
その気迫に圧されたのか、両親は開いた門扉の前で足を止めた。その隙に、悠人は二人を連れて一気に家を離れた。
角を曲がる際、一度だけ振り返ると、両親は遠ざかる三人をただ呆然と見送っていた。車で追ってこられる可能性を考え、悠人は視界から消えると同時に走り出した。
「走るぞ」




