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第十八話 パチモノ聖女の再会

 氷がぷかぷかと浮かぶ元地底湖。もっとも今は空がくっきりと見え、白い雲に覆われているのも、そこに白い大きな鳥が旋回しているのもよく見える。

 ジャックフロストたちによる白いじゅうたんの上に立っていたわたしは、とにかくこの場は不安定だということで湖の岸まで移動することにした。

 わたしが地面に降り立つまで協力してくれたジャックフロストたちは、お役御免とばかりにそのまま散り散りにいなくなってしまった。賢者さまも無事に救出できたことだし、おそらく住処に帰るのだろう。

「あの!どうもありがとうございました!」

 感謝の気持ちを込めて大きな声を上げたが、彼らからの返答はなかった。


 

 改めて湖の岸を見やれば、やはり金色の髪をした美丈夫が立っている。剣はすでに鞘におさめたようで、物騒な気配はどこにもなかった。

 獣にも、影にも見えない。

「クライフさん、ですよね?」

 確認するように声をかけて、わたしはホッと息を吐いた。

 どうしてここにいるんだろう、とか、あの白い鳥はもしかして?とか。尋ねたいことはたくさんあるのに、何も声が出なかった。

「……はい」

 彼は絞り出すような小さな声で答えると、その場に片膝をついた。

「申し訳、ありません。ミスズ殿……自分が至らぬために、……あのような、恥辱を……っっ」

「え」

「この首でお許しいただけるのでしたらいかようにでも。ですが、もし可能であればミスズ殿の敵を討つ許可を承りたく……!」

 慌ててふるふると首を横に振る。

「ク、クライフさんのせいじゃありません!わたしが捕まった時、クライフさんが動こうとしてくださっていたのは見ておりましたし!聖堂内であんな手段をとるなんて誰も想像つきません!」

「シャルロッテ王女の様子がおかしいということはすでに判明していたのです。それなのに、護衛が自分一人だったのがそもそもの間違いでした。隊員総出で向かえば、たとえ王女殿下が相手であったとしてもあのように出し抜かれるようなことは……」

「そ、それは」

「ましてや、その後の居場所が掴めずにいる間に国外へと放逐されるようなことには決して!――決してさせませんでした……っっ」

「居場所がつかめなかった?」

「はい。……護送を務めたマリエ・マイツェンが連絡を寄越しましたので、それでようやくわかりました。ヴァサヴァルト連合王国は隣国ですが幻獣の密猟者を警戒して不法侵入にはかなり厳しい方針をとっております。そのため、正規の方法では入国できず……。……かなり、お待たせしてしまうことになりました。地揺れで崩れた大図書館へ行かれているはずだと情報を得て、生きた心地がしませんでした……」

 クライフさんの言葉は、そのままここ数日間のわたしの活動そのものだった。聖堂で捕まり、そのまま地下牢へ投獄、隠れ里に護送され、さらにはヴァサヴァルト連合王国へと密入国した。賢者さまが温かく迎えてくださったから忘れていたが、密入国には違いない。後で罰則があったりしたらどうしよう。

「クライフさんは、どうやってここに?」

「あれに、乗ってきました」

 クライフさんがそう言って指示したのは白い鳥だ。もちろんこの毛並みには見覚えがないのだけど、本を少しばかり読み解くことに成功したわたしには、その正体がわかっている。

「雷鳥ですよね。もしかして、あの折の?」

「はい。……そろそろ冬毛に変わって幻獣国へと帰る時期だと分かっておりましたので、協力を依頼しました。ミスズ殿のためならばと同意してくれた――ように思われます」

 クライフさんは回りくどく言った。雷鳥の母鳥なのか、子なのかは分からないけど、協力してくれたことには違いない。

 わたしは感謝をこめて頭を下げる。

 上空で旋回中の彼女が理解してくれたかどうかは分からなかった。

「クライフさんは、大丈夫でしたか?」

 わたしの問いに、彼は訝し気な顔をした。

「騎士隊で、何か困ったことになったのではないかとずっと心配でした。わたしのせいで……ゴルト騎士隊自体が、罰を受けたりしなかったかどうか」

 彼は目を細めた。

「本当に、あなたという方は」

 呆れたようで、嬉しそうな声音だった。

「さぁ、立ってください、クライフさん」

 手を差し出そうとして近づいた、その時である。

 


 しゅううううう……。


 湖の中ほどから聞こえる音にハッと顔を向ける。

 先ほど玉が沈んでいったあたりだ。

 周囲の水が渦を巻き、みるみるうちに湖に穴が空く。

「わ、わわっ……」

 思わず湖から距離をとろうとしたわたしの背を、サッと立ち上がったクライフさんが支えた。

 油断なく湖を睨み、スッと意識を空へと向ける。おそらくは上空を飛ぶ雷鳥へとなんらかの伝心を行おうとしているのが分かった。

 

 ごくりと誰かの喉が鳴った。

 視界の中、湖の中に立ち昇ったのは一筋の竜巻だった。

 

 

 ※ ※ ※


 

 紫色の竜巻の中に、女の子がいる。

 紫色の髪をした美しい女の子。一度も見たことはないけれど知っている。


 ――水魔!


 あろうことか水魔の顔は賢者さまのそれだった。

「賢者さまに、取り憑く気ですか……!」

 にんまりと賢者さまの顔に笑みが浮かぶ。賢者さまの顔立ちだが、印象は別物だ。底意地が悪そうな、もっともっと大人びた顔。


 これは夢だ。

 紫色の竜巻が迫りくる中、悠長に会話している時間などないはずだ。

 だけど、本当に夢だろうか?

 竜巻に取り込まれたドラゴン――賢者さまが、そのまま身体を水魔に奪われていたとしたら。

 否、先ほど彼女のからだは白い虎によって運ばれていった。

 だからこれは夢だ。


『わらわにとって、もっとも相性の良いからだじゃ。周りへの影響力が大きく、かつ日常的に出会う人間が少ないからのう』


 なんてことだろう。口調さえほとんど違和感を感じない。


『それに、ただの人間と違って寿命が長い』


 賢者さまが何者なのか、結局のところわたしにはよく分からない。ドラゴンに変身?しているのだし、人化の能力を持っているドラゴンなのかとも思うけれど、ドワーフ氏族だと言われればそうなんじゃないかとさえ思うからだ。

 

「賢者さまに取り憑いて何を――……。いえ、そもそもあなたがたは、何を望んでいるんです」

 アリアさんが取り憑いたシャルロッテ姫と水魔の取り憑いた侍女のことを思い出し、わたしはふと言葉を変えた。

「この世界に、何人の水魔がいるのかは知りません。ですが、そもそもあなたがたの目的は同じなのですか?」

 《女神の泉》を汚すこと。それが、女神がこの地に現れる以前にこの地を支配していた神の望み。水魔はそのために派遣された――というのが、わたしが今まで受けてきた説明だ。

 女神によってもたらされる聖女はその逆。《女神の泉》を浄化して、生き物が住める地を維持することが望まれている。


『ほう?』


 賢者さまの顔をして、水魔は少し面白そうに笑った。


『水魔は水魔じゃろう?何を疑り深くなっておるのじゃ』


「手段が違いすぎると思ったのです。アクアシュタット王国に出現する水魔は、基本的にはいつも同じ方法でした。《女神の泉》を汚染し、それによって人々は生活に困り、要請を受けた聖女が浄化するという一連の流れです。毒の混入の仕方は想像するしかありませんけど、『水魔の花』が咲くことでそれが分かる。毒を体内に取り込んでしまった者は健康を害していきます。フォアン帝国も同じです。あちらはすでに水魔が聖女によって封じられていて、その汚染能力は極端に制限されていますし、これ以上の浄化の必要性も感じていないかもしれませんけど」

 わたしはいったん言葉を切った。

「ひとに取り憑く意味が分かりません」


『何か違うかえ?わらわも同様に、現地人の身体に取り憑いて自由に活動しようと思っておるのじゃが』


「アクアシュタット王国の水魔は、姫君を狙いました。あたかもアリアさんの、……クライフさんと結ばれたいというアリアさんの望みを叶えるかのようなそぶりで。姫君本人じゃなく、侍女に取り憑いて。

 回りくどいです。

 いたずらに国を乱そうとしているかのようです。

 侍女に取り憑いたところで水が汚染されるわけじゃないのに」


『…………』


「シャルロッテ姫を解放する方法が分からないまま、わたしはここに来ました。国も離れてしまって、姫がどうなっているのかも分かりません。水魔に取り憑かれて健康を害しているんじゃって、――ほんとのことを言えば、わたしがそんな心配したところで、何もできないんだけど」


『…………ふむ』


「あなたが賢者さまに取り憑くという。それは、どうなんです?賢者さまの意識は残ってるんですか?何のために、取り憑く必要があったんですか。賢者さまの体調は――……。幽霊もどきに取り憑かれて、健康なままなんて、そんな良いことは起きないでしょう?今からでもどうか、賢者さまを解放してください!」


『ひとぉつだけ、教えてやらんでもないぞ、小娘』


 にんまりと賢者さまの顔で水魔が笑う。


『われらは水魔。水に宿った魔性のモノじゃ。

 この世界におる十二の水魔はすべて同じにして、別物。

 


 目的は、この世界を救う『本物の聖女』じゃ』



 ※ ※ ※



 長い会話のように思った。だけど、実際はほんの刹那の時間でしかなかったらしい。

 湖の中に立ち昇った竜巻と紫色の影は、そのまま水に戻って消えてしまった。

 

 静まり返った水面を見つめて警戒を続けていたクライフさんは、やがて気持ちを切り替えたらしくわたしを見下ろした。

「今すぐ帰還しましょう、と言いたいところなのですが――……」

「?」

「その前にミスズ殿のご事情をお伺いしたい。ヴァサヴァルト連合王国の賢者スノッリ殿と、どういった形でお知り合いになられたのです?」

 あー、うーん、とわたしはしばし説明に悩み、こう答えた。

「わたしにはわかっていない部分も多いので、マリエ・マイツェンさんと合流して、説明していただいた方が良いと思います。

 それに、ドワーフ氏族の皆さんにお世話になりましたので、もしこの地を離れるのでしたらその前にご挨拶させていただいても良いですか?」

「……そうですね」

 クライフさんはちょっと難しい表情を浮かべたが、やがて納得したようにうなずいた。

 上空へ向かって何か合図のようなものを送る。

 それに答えてか、雷鳥は二、三回旋回したのちどこかへと飛んでいった。

「行っちゃうんですね……」

「……アクアシュタットでは、雷鳥は冬場には姿を消します。子供が巣立ったことでまた餌場を広範囲にするのだろう、としか考えられていませんでしたが……」

「!それじゃあ、里帰りってことはありませんか?」

「……里帰り?」

「はい」

 幻獣について調べた結果思いついた推論に、わたしは顔がほくほくするのを感じる。

「雷鳥って、夏と冬で羽毛の色が変わる幻獣らしいです。冬場の色は白――保護色と考えると、もともと雷鳥は冬場にはヴァサヴァルト連合王国みたいに雪深い地域に移動していたのかもしれません」

「自分を乗せてくれたのはそのついでということですか」

「!あ、いえ、その」

 推論を思わず口にしてしまっただけなので、焦る。

「き、気に障りました……?」

「いいえ?」

 クライフさんは口元に小さな笑みを浮かべた。

「納得しました」

 冬場のアクアシュタット付近に出没しない理由、子育てを終えた後巣を放棄することも多い理由、恩があるのは聖女であるにも関わらず”帰る”ついでと自分をここまで運んでくれた理由。

 クライフさんはゆっくりと述べて、もう一度だけ空を見やった。



 マリエさんと合流できたのは翌日である。

 少しでも早く会いたかったのだが、クライフさんが許可しなかった。

 わたしは牢屋についても雪山の逃亡劇についても地震以降の活動についてもすべて伏せていたのだがわたしの顔色や体調を確認したクライフさんは、睡眠不足であることをしっかりと見抜いた。

 ドワーフ氏族の里には人間大の寝台はないため、広場の中央に設営されたテントの中で寝た。ドラゴンが襲撃して天井が壊れても、凍っても、平然としているテント様である。ネイちゃんの得意そうな顔が思い浮かぶ。たぶん、雪山で設営しても無事なんだろう。

 避難所でネイちゃんたちと再開してお礼を言う。マリエさんと合流した後、まっすぐ向かったのは賢者さまの邸宅だ。これは、先のお礼を言うためでもあるし、そもそもマリエさんは地震で行方知れずになったわたしを探しに来てくれただけで、賢者さま宅でのお仕事が終わっていないそうなので。


「アクアシュタット王国王都へ近づくことは避けたいと思います」

 

 クライフさんはまずそう言った。



 ※ ※ ※



 わたしは『聖女もどき』である。


 能力のある聖女がいなかったアクアシュタット王国で、代理として聖女としての仕事を行うことを望まれていた。

 《女神の泉》の浄化もそうだが、聖王国にある大聖堂にて年に一度開催される女神の祝祭に参加することがそれだ。現在は聖女修行中のシャルロッテ王女が能力を示したため代理の任は解かれている。

 

 わたしの投獄は別件である。『聖女候補』であるシャルロッテ王女を害そうとした罪――となるらしい。国王からの処分は一か月は先になる、と投獄時に言われたので、今はどうなっているのか分からないが。


「いろいろとおかしなことはありますが」

 クライフさんは続けた。

「聖女の隠れ里は、十年前の聖女を最後に使われていない場所のはずなのです」

「え?」

「なんだと?」


 賢者様がお住まいである山の一角である。

 雷鳥に運ばれて空から現れるという驚きの登場を遂げたクライフさんは、国境を超える手続きとかを一切合切すっ飛ばしてきたらしい。

 道なき道を超えてきたわたしとマリエさんも同様で、つまり現時点では密入国者が三名というわけである。

 ヴァサヴァルト連合王国は密猟者を警戒して入国が厳しいそうなので、これはかなりまずい状況だ。とりなしをしてもらおうと賢者さまを頼ったところで、件の賢者さまはドラゴンとなって戦った疲れが抜けていないということで温泉療養中。半日くらい待て、と言われてしまっている。ドラゴンと賢者さまの関係もよく分からないので、後ほど説明してもらいたいところである。

 

 大理石でできたテーブルの上にはマリエさんが用意してくださった飲み物が三つ。アルコールではなさそうだが、温泉水でもないようだ。ほのかに果実の香りがして、とても美味しい。


「留学先から帰ったラインホルトが、他国の聖女たちの葬儀の仕方を国王へと進言しました。埋葬前にハーブによる浄化――ラインホルトによれば毒抜きですが――こちらを行うことで、他の民と同じ葬儀の仕方ができる、と。聖女研究が進んでいるフォアン帝国のデータをもとにした提言でしたので、これはすぐに採用されました。かつて能力を使ったことのある者は病気等が発覚すると隠れ里に送られる可能性がありましたが、以降その心配もなくなりました」

「……なるほど?」

「そもそもアクアシュタット王国には能力のある聖女がほとんどおらず、聖女は祝祭に参加する時の名誉職です。在職中に能力を使った者も、退職時に身を清めることで浄化作業の名残を身に残すことはなかったはずです」

「だから、なんだ?」

 マリエさんが口をはさむ。

「回りくどい。もう少しストレートに言ってもらえるか、クライフ隊長」

「……」

「そもそも私は聖女ミスズに処させられた罰に陰謀の気配を感じている。

 実績のある聖女を不要のものとして流刑地に送る、というこの扱いにはいささか疑問を感じていた。護送メンバー入りしたのは立候補したからだが、その人選とて、誰が決めたか怪しいものだ」

 クライフさんは思案するように黙り、やがて口を開いた。

「何者かが国王陛下へ進言したはずです。ミスズ殿を隠れ里へ送れと。――罪を着せて中央から遠ざけろと。実行犯が聖堂の衣服を身に着けていたところを見れば、聖堂は無関係ではないでしょう。」

「ならば犯人を探るために国へ戻るべきでは?相手は聖女ミスズを村へ送ったことで油断しているはず。戻ってきたとなれば動揺して隙を見せるかもしれない」

「マリエ・マイツェン。おそらく指示を聞いているはずだ。ミスズ殿を隠れ里へ派遣された後、どうしろという指示だった?」

「……」

 マリエさんは顔をしかめた。

「――追って指示する、と。それまで我々はミスズ殿と共に村で待機しているようにとの話だった。村に出迎えがあるのだろうと理解していた。実際はすでに廃村となっていたから、仮に予定どおり馬車でたどり着いていたとしたら、困惑した後近場の村まで戻っただろうな」

「同行していた他の者も、同様の指示だったと思うか?」

「……分からない。そんな話をわざわざすることはない」

「そうだな。彼らは?」

「道中で魔物と遭遇した。馬車の御者を兼ねていた者はこれ以上行きたくないと言い出し、もう一人は魔物に遭遇したことを報告するために国へ戻った。聖女ミスズが村出身の女性と知り合いだったことから、我らは別ルートとやらで村を訪れることになった」

「……護送メンバーの方とお話はされましたか?」

 クライフさんの質問がわたしへ向いた。けれどわたしは静かに首を振る。

「『聖女と必要以上の口を利いてはいけない』『聖女は御簾の後ろにいるもの』という常識があるとかで、わたしの方を見ようともしなかったです。話しかけてくることもない、質問しても答えてはくれない。なのでこちらもあまり気にしないでいることにしてました」

 そこまで言い切ってから、申し訳なくて頭を下げた。

「すみません。お話して何か聞き出せる情報があったかもしれないのに」

「いえ」

 サッとクライフさんは首を振る。

「あなたには自分の身を一番に考えてほしいです、ミスズ殿」

 そっと慰めるように手で両手を包み込み、クライフさんはおそろしく真剣な目でそう続けた。



 賢者さまがゆっくりと扉を開いて入ってきたのはその時である。

 わたしとマリエさん、クライフさんの三人はそろって顔を上げた。

 賢者さまは手をつないだ状態のわたしとクライフさんを見やり、ふむ、と何やら感慨深げな顔をして、にんまりと笑ってから――「まずは酒じゃ」とマリエさんへと告げた。

「ご用意します」

 心得たとばかりにマリエさんが立ち上がる。すっかり賢者さま宅の事情に慣れてしまっているらしい。

「アクアシュタットの騎士じゃと?」

「第一騎士団所属クライフ・K・ゴルトと申します。ご高名なヴァサヴァルト連合王国の賢者スノッリ殿にお目にかかることができて光栄です。先触れもなしに訪れる無礼、どうぞお許しください」

「ふん」

 くだらぬ、とばかりに賢者さまは吐き捨てた。

「おべっかはいらぬ。そなたらが顔をそろえて来たということは、聞きたいことがあるのじゃろう。吾としても頼みたいことがあるのでな、等価交換、というやつじゃな」

「頼みたいことですか?賢者さまが……?」

 驚いて目を丸くしたわたしへ、賢者さまは楽しそうに笑った。

「そうじゃ。じゃが、先にそなたらが聞きたいことを言うがいい。大方、吾の正体についてじゃろ?」

「!」

 パッと顔を上げた先、賢者さまはマリエさんが運んできたお酒を美味しそうにくぴくぴと飲んでいた。

 テーブルの上にはさらに軽食が並べられていく。お酒だけだと身体を痛めるかもしれない――からかな?

「吾はスノッリ。巷では賢者と呼ばれる、酒と本が好きな女じゃ。生来はドワーフ氏族じゃが――……。女神より龍玉を借り受けたことでドラゴンに化ける能力を得た」

「!?」

 女神、と言わなかっただろうか。

 驚いて目をぱちくりさせるわたしへ、賢者さまは困り顔をした。

「じゃが……こたびの騒動で、龍玉を湖に落としてしもうたじゃろう?」

 賢者さまがばつが悪そうな顔をした。

「詫びを入れにいかねばならぬ」

「女神さまに、ですか」

「いかにも。吾の経験をステンドグラスにしたものを見たじゃろう?」

「!!天井画ですか」

「さようじゃ。ドワーフ氏族に対し、女神が泉を授けた折のもの。吾はその時泉を守護する者としてドラゴンに化ける龍玉を得た。なにしろ非力な娘じゃったからのう」

 よよよ、と泣いたふりをして賢者さまは続けた。

「賢者として永く生きておるが、別に奇天烈な魔法が使えるわけでもない。知識が多くて賢いだけじゃ。せっかくの図書館も山が崩れてしまってはなあ。建て直すのに時間がかかろう?数か月は別宅で過ごさねばならぬ身じゃし、この際じゃ、女神のところへ謝りに出向くとする」

「ええと、その、どちらへ……?」

 今更だが女神さまのいらっしゃる場所なんて考えたこともなかった。そもそも神様なので実体があるものだと思わなかったのだ。聖堂で祈りを捧げると届く――そうだな、イメージとしては空の上。次元の違うどこかでそれを聞いているイメージだった。

「聖王国にある、大聖堂と呼ばれる場所じゃな。そこに、《女神の泉》の中で一番格の高い泉がある。かの国は春の祝祭の準備に追われておるじゃろうから、まあ、順番待ちをすることになるじゃろうが……」

 おお、と賢者さまは続けた。

「そなたも行くか?聖女ならば、参加する資格があろう」

「――え」

 驚いて声を失ったわたしは、それからややあって口を開いた。

「ダメ、だと思います。そもそもわたしは今、『聖女もどき』の役を解かれている身ですし、参加資格がないと思います。罪人というか、囚人というか……国の裁きの結果、ある廃村に滞在しているはずの身です。賢者さまのご厚意でこちらに滞在することが叶いましたが、せめて見つからないようこっそりしていたくて」

「他国におる時点でこっそりとはしておらんじゃろうに」

「はは……」

 その通りである。

「勉強の方はどうじゃ。少しは文字も読めるようになったか」

「少し、ですが。いただいた『あいうえお表』のおかげで、だいぶ」

「そうか」

 賢者さまは微笑んだ。童女のような幼げな顔立ちなのに、慈愛に満ちたおばあさんのような優しい顔で。

「先も言うたが。そなたはまず、学ぶことじゃ。

 何を考えるにしろ考えないにしろ、知識がなければ善し悪しを判断はできぬ。聖女は利用されやすい故に、自衛のために常に力を必要とする。

 知は力じゃ。心せよ」

 はい、とわたしはしっかりとうなずいた。 

「ええと、それで、賢者さまの頼み、というのは……?」

「うむ」

 賢者さまはにこりと笑った。

「マリエ・マイツェンを借り受けたい。あやつは実に働き者じゃ」

「え」

 驚いたわたしの横で、マリエさんもまた、驚いて目をぱちくりさせた。

「大聖堂に行き、帰るまでで構わん。命の保証もしよう。

 いずれにせよ――」

 賢者さまは言葉を切った。

「うかつに国へ戻ると、殺されるかもしれんのじゃろう?」



 ※ ※ ※



 マリエ・マイツェンさんは悩みに悩んだ後、「まだ助けていただいた折の礼が終わっておりません」という理由で賢者さまのところで働くことにしたそうだ。王宮勤めの身分であることには変わりないが、何やら不穏な情勢で、『聖女もどき』と一緒に行方知れずになったマリエさんが安全かどうか分からない。そのマリエさんのご両親にも影響が出ていないとは限らなかった。『聖女もどき』失踪の原因として、関係者も投獄して事情聴取を――みたいなことだってありえる、ということだ。

 わたしとしては国がそれほど危険だとは思わなかったのだけど、二人があまりに警戒しているので何も言わなかった。

「気にかかるのはご夫妻の無事ですね」

 クライフさんはいくらか苦い表情を浮かべた。

「――それについては、いくらか考えが」

 マリエ・マイツェンさんはそう言って、許可をとるかのように賢者さまを見やった。賢者さまが訳知り顔でうなずくのを見て言葉を続ける。

「”闇烏”にアクアシュタット内部の情報を運んできてもらうのは、いかがか」

「……え?」

 聞き覚えのある言葉に驚いて顔を上げる。

 マリエさんはどこまでも真剣な表情だったが、クライフさんはとんでもないとばかりに目をむいた。

「”闇梟”は殺し屋の集団。ましてや聖女を狙う罰当たりな連中だ。実際、ミスズ殿はかつて命を狙われて毒剣で襲われた!そんな連中を信用する?馬鹿な……」

「先刻、縁の出来た人物がいる。聖女に対して憎悪を抱いているようだが、だからこそ、今の状況であれば協力してくれるかもしれない」

「……フクさんのことですか?」

「そうだ」

 こくりとうなずいて、マリエさんはクライフさんを見やった。

「クライフ隊長、ご決断を」

 クライフさんは、そりゃもう嫌そうに眉を歪めた。



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