かいぶつのおはなしⅡ
昔々、一匹の大きな怪物がおりました。
街にやってきた怪物は人間の姿に化け、孤独な少女と友達になりました。
けれども、怪物の正体を知った少女は怪物を拒絶し、怪物は少女を殺してしまいます。
人間に化けて少女を殺した怪物を恐れ、疑心暗鬼になった街の人間は殺し合いを始めました。
街は見る間に血で染まり、すっかり荒れ果ててしまいました。
「うーん、そろそろこの街にも飽きてきたなぁ。
今度は別の場所へ行ってみよう。」
こうして怪物は街を出て、ずんずん歩いていきました。
ずんずん、ずんずん。
しばらく歩くと、小さな村が見えてきました。
怪物は人間の姿に化けると、まずは、村の端にポツンと佇んでいるボロボロの小屋に入ってみることにしました。
「…おやおや、随分不躾なお客だね。
挨拶もなしに人様の家に上がり込んでくるなんて。」
小屋の中にいた、しわくちゃの老婆は、しわがれた声でそう呟きながら、じっと怪物を見つめています。
「…なるほど、隣街を騒がした怪物ってのはアンタのことかい?」
老婆の言葉に怪物は目を丸くしました。
「あれれ?どうして解ったんだい?うまく化けたと思ったのにな…。」
怪物の言葉に、老婆はカラカラ笑って答えます。
「アタシみたいな齢百余年にもなる魔女にはね、大抵のことは解るのさ。」
なんと、老婆は魔女だったのです。
「へえ、魔女ってのは凄いもんだね。
まあ、正体がバレているのなら、いつまでも人間のフリなんかしている必要ないよね。」
そう言って怪物は元の恐ろしい姿に戻りました。
それでも、魔女は
「まったく、なんてでかい図体なんだ。
この小屋は狭いんだ。これじゃあ窮屈で適わないよ…。」
と、こぼしただけで、怪物を恐れることはありませんでした。
「婆さんは僕が怖くないのかい?」
怪物がそう問いかけると、魔女は呆れたように言いました。
「…怖いわけがないだろう。
そんなに酷いツラをして、何を寝とぼけたこと言ってんだい。」
「随分な物言いだね、婆さん。
そりゃ僕は醜い容姿をしているけどさ。
アンタだって顔中シワだらけで、お世辞にも綺麗な顔とは言えないと思うんだけど。」
怪物の言葉に、魔女は溜め息をついて答えます。
「アンタ、鏡を見てごらん。
顔中、涙でぐちゃぐちゃにして。
そんな泣き虫が、怖い筈なんてないだろう。いったい何があったんだい?」
怪物は魔女に少女の話を聞かせました。
赤いワンピースがよく似合うこと、
赤い花が大好きだったこと、
毎日一緒に遊んだこと、
そして、怪物の姿を見て逃げ出してしまったことと、そんな少女を殺してしまったことを…。
魔女は黙って怪物の話を聞きました。
そして、静かな、けれどもはっきりとした口調でこう言いました。
「…アンタはね、その子のことが誰より一番大好きだった。
だから今、とても悲しくて、泣いているんだよ。」
「…悲しい?泣く?
それはいったい、何なんだい?僕はそんなもの、知らないよ。」
「心がとても痛んで、辛くて苦しくて、何もかもが嫌になってしまうってことだよ。
…身体だけは大きいけれど、アンタの心は何も知らない。小さな子供とおんなじだ。
アンタ、どうせ行くあてなんてないんだろう?
ならばここであたしと暮らすといい。」
こうして、怪物と魔女は、一緒に暮らすことになったのです。
「ねえ、婆さん。
これは何?小さな草が生えてるね。」
「そりゃ植木鉢だよ。
よく見てごらん、そこに赤い蕾が付いているだろう?もうすぐ真っ赤な花が咲くんだよ。」
「赤い、花…。」
「なんだい、浮かない顔をして。」
「赤い花…。
あの子が大好きだったんだ。僕も大好きだけれどね。」
「……そうかい。
それじゃ今日からその花の世話はアンタに任せることにしよう。
毎日欠かさず水やりすれば、きっと綺麗な花が咲く。」
怪物はその日から、毎日、朝一番に赤い蕾の水やりをすることにしました。
一日目。
「まだ咲かない。」
「当たり前だよ、そんなにすぐに咲くものかい。」
二日目。
「昨日と何も変わらない。
これ、本当に咲くのかい?」
「その日が来るまでゆっくりお待ち。
蕾はいつか花開くものさ。」
三日目。
「ああ、焦れったい!
なあ婆さん。この花、いつになったら咲くんだよ?」
「まったく、アンタはせっかちだねえ。
よく見てごらん、昨日より少しだけ蕾が膨らんでいる。もう少しの辛抱さ。」
四日目。
「見てよ!
この蕾、今にも開きそうじゃない!?」
「ああ。こりゃ、明日の朝には咲くだろう。楽しみだねえ。ヒッヒッヒ…。」
水やりを終え、二人が朝食を取ろうとしたそのとき。
「居たぞ!俺達の街を襲った怪物が、魔女の小屋に潜んでやがった!
黒幕はこの魔女だったんだ。こいつが街に怪物を仕向けたに違いない!!」
隣街の人間たちが、怪物を追ってやってきたのです。
どうやら、彼らは魔女が怪物を仕向けたのだと思いこんでいるようです。
「魔女を殺せ!」
「怪物を殺せ!」
口々に叫ぶ人間たち。
魔女の前に立ちはだかった怪物は、にいっと笑いました。
笑いながら、人間たちに言いました。
「何言ってるの?この僕が、魔女なんかの言いなりになると思うかい?
僕は怪物。コイツも騙して殺そうと思ってたんだよ。
…そう、いつかの女の子みたいにね。」
魔女は必死に何かを叫んでいましたが、激昂した人間たちの怒声にかき消され、その声は結局、誰の耳にも届きませんでした。
幾千の刃が、怪物の身体を貫きました。
血に濡れた怪物はその場に倒れ伏し、やがて息を引き取りました。
恐ろしい怪物をついに倒したと、人間たちは大層喜んで、街中お祭り騒ぎです。
翌日、皆が鮮やかな衣装を着て、外で楽しげに歌い踊っている中、魔女だけが黒衣に身を包み、家の中におりました。
そして、冷たくなった怪物の亡骸を優しく撫でて、こう言いました。
「ごらん、アンタの好きな赤い花がようやく咲いたよ。
今朝、やっと、咲いたんだ……。」
物言わぬ亡骸に、魔女は尚も語り続けます。
「…ごめんよ。
結局、アタシはアンタになんにもしてやれなかったねえ……。」
魔女の暖かな涙が、怪物の冷たい亡骸を濡らしました。
しかし、その暖かささえ、窓から吹き込んだ冷ややかな風にさらされて、すぐに消えてしまうのでした。
《E N D》