メイルジーン・ベルベット
笑い声が夜空に響く。
主も守る者も客もいなくなった庭で、招かれざる客だけが笑っていた。
管理局の人間も自警団も駆けつけることなく騒ぎは収まり、そしてメイリードは夜の街へと消えていった。
後には何も残らなかった。
こつこつ、と己の頭を叩いてみてなるほどと納得するようにひとつ頷く。
大丈夫だと確認し、いろいろとなくしてしまった物に憐憫を込めた黙祷を。
「さて」
始めよう。
もう一度始めよう。
空は明るみ始めていた。
夜明けが来るのだ。
未だ昨晩の爆炎に燻る圧縮木材の臭いは、風に流れ切らない。
だが、十分にすがすがしい朝だ。
見上げてみれば、中天に輝くこの世界で一番高いところにある建造物。
――なんだ、まだなくしちゃいないじゃないか。
笑いがこみ上げてきて、必死でそれを押し殺そうと両手を口に当てる。だが笑いは一向に押さえ込めなかった。
「ふふ……ふはっ、ふはは! ひひっ! あはははは!!」
火が点いたように笑い出す小さな影。
金色の髪の毛は、肩口を覆い隠すたっぷりとした長さを持って風に揺れている。
その隙間からちらちらと見えるのは、彼女の肌色と同じ色。耳だ。
ピョコンと尖った耳が、髪の毛から顔を出して風に触れるたびにくすぐったそうにぴこぴこと上下に動いていた。
背格好は八歳ぐらいだろうか。
小さな女の子は雲海から顔を出し始めた太陽の日を浴びて、――
全裸で笑っていた。
「はっ――ヒハハハハ! バカ親どもが好き勝手にやりたい放題しやがって、返してもらうぞ。全部だ、全部! 全部! 全部綺麗さっぱり私に返してもらうからな!」
朝っぱらから訳の分からないことを叫ぶ全裸の足元で、もぞりと動く塊があった。全裸の笑い声に目を覚ましたのだろう。
ほつれ破れてはいるが、メイド服であるそれを纏うのはモモだった。
「……あ、れ。私」
そして顔を上げて、モモは目を丸くした。
「え……と。あの、どちら様でしょうか」
目を白黒させるモモを見下ろした幼い女の子は、毅然とした視線と力強い笑顔を向ける。
「私は、私だよ」
「えっと」
「メルだよ」
「えええええええええええ!」
モモは、昨晩あったことなど何もかも忘れたかのように元気に飛び上がると、目の前の女の子を見下ろす。
そう、見下ろした。
――ちっちゃい。何で全裸?
「な、なにが……いったい」
「体使って、断熱壁作ったんだよ。気体じゃ、変性に時間がかかるからね。簡単に炭素とかが取り出せる元が必要だったから私の体をね」
つまり、あの白色の空を焼く轟炎から逃れるためにメルは、己の体を材料に断熱壁を作り上げたのだという。
体を構成してる蛋白質や脂質などを大量に消費したため、ショックで気絶していたというのだ。
潰されかかったところで目が覚め、床穴を開けてモモをメイリードから隠すので精一杯だった。
「あいつは、いつも詰めが甘いから」
あとは勝手にいなくなるまで、穴の開いた床下に隠れてやり過ごしたというのだ。
「何というか……、その。とにかく、ご無事で……」
「大丈夫。たぶん……需要はまだ、あるはず」
何を言っているのかわからない。なぜか、自分の体を見下ろして泣きそうな顔をしている。
が、とにかく何とか己の状態に折り合いを付けているのだと理解し、モモは笑顔を取り繕った。
「……とりあえずお屋敷へ……」
グリフジーンと名乗った少年よりも背が縮んだメルは、何だか体の大きさと一緒に、いろいろと捨ててしまっているように思えた。
快活に笑うあの笑い方は今まであまり見られなかったし、何を考えているのか分からなかったあの視線は、今は力強く空を見上げている。
――空?
「メル様、あの、星には……」
グリフジーンに、呪いは解かれたと言われたことを思い出して、思わずモモは前を行く全裸に話しかける。
「ん? あぁ、グリフジーンが何か言ってたあれ? 私気絶してたからあんましっかり聞いてないけど――」
高低で変わる体調変化の呪い。
「体の調子は、生まれてこの方最高に調子がいいけど、それだけだね」
んふふ。と嬉しそうに笑いながら振り返ったメルを見て一安心する。
だが、いい加減目の前の全裸をどうにかしないといけない。
モモはメイド服から外せるエプロンをメルに着けてみた。
「ぜ、全裸……エプロン」
嬉しそうにくるくる回るメルの横、己の浅はかさにモモは顔を両手で覆ってうずくまった。
■
子供服はなかったので、結局全裸エプロンにはタオルを巻き付けて事なきを得た。
何だか風呂上りに脱衣場から逃げ出した子供にしか見えないが、今は致し方ない。
そして二人ともが空腹を覚え、こうして食事を摂っているところだ。
応接間とは違う、使用人たちが使うテーブルがある部屋。
少し薄暗いが整理が行き届いて息苦しい感じはまったくない。少し使い古された木のテーブルに向かい合い、二人はモモが作った簡単な朝食を頬張っていた。
ふた周りほど小さくなったメルにまだ慣れないモモは、料理を口に運ぶたびに目が行ってしまう。
「何? そんなに気になる?」
声の調子はやはりメルそのもので、そのギャップが何とも言えない。
見た目は子供そのものだというのに、嫌に仕草は大人なので違和感が酷い。
「申し訳ありません」
「いやー、虐待現場に巻き込んでしまって、こっちこそ何と言ったらいいやら……」
言われてようやく、昨日あの庭をめちゃくちゃにしていった二名が双方ともメルの親であることを思い出す。
「何だか……現実感ないですね。本当にご両親、なんですか?」
思わず出てしまった言葉に、口を噤む。
「モモの親は、優しかった?」
思わず顔を上げ、メルを見る。眉尻の下がった優しそうな笑顔がこちらを見ていた。
「私の、親は……」
一人は会ったことすらない母親だ。モモに名前だけをくれていなくなった。
父親は。
「この家の執事長ですので……。でも、アーセル様も旦那様も、子供の私によくしてくださいました。母は、私を生んですぐにいなくなったそうです。グリーフベルアを守る力に錬金術はいらない、と父が」
「そう……モモのお父さんはやることがあったんだね」
「そうですね。そうだと思います。別に愛されていないとは思っておりませんし。教え込まれた体術は実際に役に立っておりますから」
「あれは凄かった。体の動かし方を物理法則に則って効率的に運用する方法、か。凄いね耳長族なのに」
昨晩のことを思い出しながら、メルが嬉しそうに語る。
実際、名もなき体術はメルを間接的とはいえ助けたことにもなるのだ。少しは誇っていい、そんな気がした。
「人間の方がパッケージ化された錬金術を扱えるのと同じ理由だと思います。ただ、人間の従者たちが、耳長族などを制圧するための技術として伝わっているそうで、私が扱っていいものではないのですが」
「ふぅん。まぁいいじゃん。モモが使ったら違反って訳じゃないんでしょ? 別に管理局に捕まるでもないし」
実際はそんなに簡単な話ではないのだが、モモは苦笑いで場を濁す。
人が、力も体力も何もかも上である耳長を打倒するための技術。
己の体ひとつで揮える武器。
その歴史は、想像以上に血塗られている。きっと、血を吐き血の涙を流し肉を千切り骨を砕いた歴史がそこにはあるはずだ。
父は語らず、モモもまた聞こうとはしなかったが。
「メル様が倒れている間にですね。お嬢様が」
「分かってる。グリフジーンがここに来たのに何もしないで帰る訳ないんだ。メイリードは、何で釈放されたか私には分からないけど……」
そもそも解放したくたってできるはずがない。
あの時間回廊の結界は触れるものすべての時間を遅延させる。
根底にあるレイナの持っていた固有錬金術の式を解析して破壊する以外、手はないはずなのだ。
「ま、エリクシルを遮断しちゃえばいつかは消えるだろうけどねぇ。風洞街の二番地は巨大風車の発電機近くだ、足りなくなるなんてことはないし」
「今、原因を探っても」
モモの言葉に、メルはそうだったと苦笑する。
「リグを取り返しに行かないとね」
「しかし、お嬢様は自分から……」
モモの言葉をメルは手で制すると、軽く咳払いをひとつ。
「ちょっと整理しよう。私は状況がよく分かってないんだ。気絶してたしね。モモの知ってること教えて」
幼い子供の姿をしたメルを見て、やっぱり違和感がある。
というか、かわいらしすぎるのだ。
ぷにぷにのほっぺたは触りたい欲求を我慢するだけで一苦労だし、手もちっちゃくておもちゃみたいだ。
あと目が大きい。目の大きさだけは変わってないのかもしれない。
おかげでくりくりの目が忙しなく動くさまが、動物みたいだった。
「どうしたの?」
「い、いえ。じゃぁ私が知ってることを――」
グリフジーンに呪いを解かれてから、メルはずっと寝入ってしまっていた。
リグは、メルたちを守るためにグリフジーンの元に下った。メルに手を出さない限り、彼女はすべてを以ってグリフジーンの手伝いを行うと。
「んじゃ、やっぱあいつの目的はあの星に行くことなのか。何だってあそこに行きたがってるか分かんないけど」
「そのあと、私はメル様の介抱をしていたんですが、夜になってメイリード様がいらっしゃいまして」
「ああなったと。なるほどねー。いや、まったくあの馬鹿母のことは申し訳ない。あれは完全に憂さ晴らしだから」
「う、憂さ晴らし……ですか?」
憂さ晴らしで実の娘を殺しに来る、などとモモには到底理解できず目を白黒させる。
「昔からあんな感じ。今回はずいぶん過激だったけど、いつもと変わんないよ。問題はどこに行ったかだね」
「いやいやいや、メル様死ぬところだったんですよ!」
「死んでないじゃない」
「それはそうなんですけど……」
「子供の頃からそうなんだ。いつもぎりぎりのところで私は生きてたし、あいつは故意に人を殺したことなんてない」
「……へ?」
あんな暴風みたいな存在が? 言外にありありと浮かんだ信じられないという言葉に、メルは苦笑を漏らす。
「たしかメイリードの罪状は別に大量殺人の罪なんかじゃないでしょ、無断未認可錬金術運用だったはず。バカやらかしてとばっちり食らった人がいないわけじゃないけど、殺意を持って人を殺し回る奴じゃないよ」
たしかにそれはモモでも知っていることだった。
現存するクリエイターの中で最強最悪傍若無人の権化であるメイリードは〝無断未認可錬金術運用〟の罪で風洞街二番地に永久幽閉されている。
というのは、調べれば誰でも分かることだ。
風洞街二番地はメイリードごと封鎖され、立ち入りは禁止。
永久幽閉のため、出てくることもない。とされている。
「まー……何で出たかはこの際いいよ。あの時間回廊は少なくとも外側から誰かが壊さないと壊れない。つまり、誰かがメイリードを解放したんでしょ」
「あの人を解放して、誰が得しますか?」
「ん? んー。損ばかり……でもないか、もののけは得というか喜ぶんじゃない? 新しいもののけが生まれる可能性が増えるわけだ――」
嫌な汗が額を伝って頬を撫でた。
「あー。一人だけ、心当たりが……」
「え!?」
「あー……そうか。だからこっちに来ないのか。あいつ……馬鹿なことを。一言相談すりゃいいのに」
「メル様?」
「ごめんねぇ、たぶんユズだ。どうやったかまでは知らないけど。こりゃいよいよもって私の身内問題に……庭の修理アーセルに請求される前に雲隠れするか……」
大きくため息をつき、両手で顔を覆い俯くメル。
力いっぱい疲れた、とその姿が物語っていた。
犯人は間違いなくユズで決まりだ。
もののけの王としてやらなければいけないことと、そしてメイリードの記憶を掘り起こされたこと、彼女はきっと我慢できなくなったのだ。
「そんなに母親に会いたいかねぇ……あっ」
しまったと、メルは口を噤む。
「大丈夫ですよ。私も、会ってみたいとは思いますが。会えたら、ぐらいの気持ちしかありませんし」
「んー、リグなら分かるかねぇ。アーセルとは仲いいはずだし。しかし、どうやってあの時間回廊を壊したんだ……管理局でも噛んでるのか」
外側から壊せばといったものの、そんな簡単な話ではない。現存する錬金術であれを解除する方法なんて、メルには思い当たりもしない。
「管理局、ですか? そんなに凄いものなんですか?」
「局所時間遅延空間。時間の流れの差があるから、触ったところが千切れるか動かなくなる。外部からの物理的接触は不可能。内側で錬金術が動いてるから、起動さえしてしまったらバカみたいにエリクシルの効率はいいんだ。なんせ時間は数万秒単位で引き延ばされてる。エリクシル枯渇するのに単体でも一〇〇年以上かかるはず。ぶっちゃけ、壊れない。エリクシルが枯渇する前提で、回廊が解除されるのに少なくてもあと最速で七〇年ぐらいはかかるはず」
それだって、メイリードが全力で、残存エリクシルを浪費してという前提である。
「はぁ……凄いんですね」
何だかよく分からないとモモが首を傾げているのを見て、メルは笑った。
「問題は、管理局が噛んでたら何か理由があるだろうってことぐらいだね。そこまでしてロケットを作らせたくなかった、とは思えないけど――」
がちゃりと、扉が開いた。狭い部屋だ、音は想像以上に響き二人は扉に視線を向ける。
そこから出てきたのは、
「あら先輩。先輩? あれ? 何? 先輩の隠し子?」
アーセルだった。
「奥様、お帰りなさいませ。あ、朝食は」
「ああ、研究所で食べてきたからいい。もう寝るから、ってこの子はだぁれ?」
「私は私だよ、アーセル」
「……ええええええええええええええ」
以下、モモと同じ反応が続く。
■
「落ち着いたわ……ありがとうモモ」
紅茶のカップを置きながら、アーセルはようやく一息つけたとばかりに深く椅子に座り直した。
「で、何で私はアーセルの膝の上にいる必要が」
アーセルの上に座る形になってテーブルに顎を乗せてメルが不満そうに呟く。
「耳長さんたちの子供って本当かわいいわよねぇ。お人形さんみたい」
「おい、アーセル……」
「やーん、もう膨れたほっぺたまでかわいいとか、反則すぎぃ! 犯罪ねこれは!」
文句を言おうと顔を上げたメルの顔を、片手で器用に撫で回し、頬ずりするアーセル。どうにかしてくれ、というメルの視線に申し訳なさそうにモモは視線を外して俯くほかなかった。
「とりあえず、話は分かったけど。ふたつ、先輩は勘違いしてるかな」
「何さ。ていうか、撫で回すのやめてくれないくぁ」
ぐいと、頬を寄せられて語尾が崩れるメル。
「時間回廊の結界は壊せない訳じゃないし。あと――」
ユズにそれを渡したのはアーセルだということ。
ごめんね。と、舌を出してまったく反省してない風にアーセルが謝る。
「……あんたねぇ。むぎゅ。軽率にも程が、んぐ」
抱き締められ、頬をつつかれメルはまともに喋ることができない。
「んがー! もう、やめろ! さわんな!」
飛び降りるようにアーセルの膝から逃げ出すと、メルはできるだけアーセルから離れた椅子に座り直す。
「しかし、あれね。そのお腹のぷっくり具合とか、本当に子供みたい。ぷぷぷぷ」
「内臓はそのままなんだよ! 目もそう! 構造が複雑だから材料に使えなかっただけだ。頭がでかいのも、同じ理由!」
「……ぷっ」
悪かったな、と拗ねながら、メルが己の腹をさすっているのをモモは横目で盗み見て笑いを堪える。
「しかし、ユズからお願いされたのっていつなの? やけに早くない? そんな簡単に作れるもんなの?」
「え? あー、実はそもそももっと前から研究してたのよ。錬金術を壊す錬金術は。でも一年はかかってないわ」
「はぁ? 何で、そんな役に立たないもの」
「あら、役に立ったじゃない?」
「邪魔になって問題にはなったな」
「んもー、先輩ってば辛辣なんだからぁ」
「事実が辛いなら、世捨て人にでもなりな」
メルはテーブルに乗っているパンを掴み取ると、勢いよく口に運ぶ。
機嫌はすこぶる悪そうなのに、姿が愛らしいのでまったく相手に与える印象は逆効果だった。
まるで子供が不機嫌になってるようにしか見えないのだから仕方がないといえば仕方がない。
「私たちだって、パトロンがいなきゃそんなもの作らないわよ。つまり、ユズちゃん以外に出資者がいただけの話」
「誰さ」
「先輩の思ってるとおりよ。管理局。管理局のね、たぶん管理者本人だったわ。会社に直接訪ねてきたの」
「人間だった? それとも耳長族の爺?」
「耳長族のお爺さんだったわね。こうなること分かってたみたいな言い方だったの。今なら分かるけど、あのときは耳長さんだしなぁってスルーしちゃってたのよ」
「……なんて言ってたのさ」
アーセルはそのときのことを思い出すように視線をさまよわせる。
「何もかも思いどおりという訳にはいかなかったが、きっとこれは必要になる技術だ。って」
「行かな〝かった〟。って仰ったんですか?」
モモの疑問にアーセルは頷く。
メルは俯き、必死で状況を整理する。
――ロケット作るのまで、予定どおり。なんてことはないと思うけど。でもじゃあ何で、メイリードを……。メイリードの解放以外に役に立つのか?
管理局の掌で踊るのは癪ではある。
だがリグを取り返す必要はある。グリフジーン相手でもだ。
――メイリードがいなきゃ、ややこしくなかったんだが。管理局はリグとグリフジーンを一緒にさせておきたいのか? まさか……ね。
考えても仕方がない。
ため息と一緒に思考を追い出すと、メルはゆっくりと立ち上がる。
そして彼女はこの部屋に唯一存在する採光のための嵌め殺し窓に近付いていく。
「さて、アーセル。管理局の口車に乗った責任ぐらいは取ってくれるんでしょうね? ずいぶん迷惑したんだけど」
「あら、じゃぁ先輩はお庭のアレ。どうにかしてくれるのかしら? 悪いけど、あそこの床特注品だからお安くないわよ。板張替えだけでもたぶん家ひとつ建つわ」
アーセルの屈託のない笑みに、メルはまったく動じず、
「私が壊した分とモモが壊した分はタダで直してやるよ。メイリードが壊したところは知らない。メイリードに請求でもしてよ」
そう言って笑った。
「あらら。たしかに、あの人を解放した原因は私の方にあるのか。でも、そう言うなら口車に乗った件は私には関係ないわ。だってそうでしょう? ただ商売しただけだもの。管理局にでも責任取ってもらってちょうだい」
「あ、あの」
「相変わらず嫌味ったらしいな。じゃあ言い方を変えてやる。あんたの娘をグリフジーンから奪い返す手伝いをしろと言ってるのさ」
「それこそ、先輩が責任取ってやってくださいな。私の娘がこうなったのは、そもそも先輩がグリフジーンさんにいいようにされたせいじゃない」
「あ、あの……奥様、メル様」
おろおろと二人の間でモモが小さくなっていく。
「あいつをどうにかできる訳がないだろう! ありゃ、騙りじゃなくて本物だぞ! アンタッチャブルなんだよ! 錬金術師の始祖だぞ、私たちが相手になるわけない」
「そう、私の娘はその本物さんに交渉で先輩を勝ち取ったのね……。さすが私の娘ね。なら、私はあの子がそうすると決めたことを邪魔する気はないわ。手伝う必要性も感じなーい」
ぱたぱたと、手を振って余裕を見せるアーセル。
目の前で青筋を立てて机に乗り出してるメルとは、あまりにも対照的だった。そしてそんな二人をなす術もなくモモは見守るしかできないでいた。
「それを何とかするために手を貸せって言ってるの!」
「嫌よ! お金なんか出すもんですか!」
「いーや出してもらわなきゃ困る!」
「あ、あの、どうしてお金がお嬢様奪還に……」
二人の視線が一斉にモモに集まって、彼女は思わずたじろぐ。
「「そんなの、ロケット作るために決まってるでしょ!」」
■
空は明るく。気が付けば、採光窓がひとつしかないこの部屋もずいぶんと暖かくなり始めてきている。
もう昼前の時間だ。
窓から庭を覗いてみれば、真っ黒に焦げた床には中央にぽっかりと穴が開いている。
メルがモモを助けるときに開けた穴だろうか。綺麗に切り取られている訳ではないが、それでもずいぶん床下が窺い知れる形に穴が開いていた。
よく見れば、街を支えるための支柱が顔を出しているのか、太陽の光を浴びてちかちかと光っていた。
振り返れば、子供の姿になったメルと、年甲斐もなく声を荒らげているアーセルが顔をぶつけるような距離で言い合っていた。
そろそろ昼ごはんの支度でもしようか。そんなことを考えながら、家にある残った食材のことを思い出す。
「あんたって、昔からそう! いいとこに嫁いだから少しはましになったかと思ったけど!!」
「耳長は、体の成長遅いから頭の成長も遅いって本当ね! 何も変わってないのは先輩の方じゃない!」
論点はどこまでもずれ、ただ二人は文句を言い合ってるだけになってる。だが、モモはもう二人を止めようとは思わなかった。
二人は、昔いろいろと確執があってずいぶんと会うこともなく、話すこともなかったと聞いている。
今こうやって、長い時間を埋めているに違いない。なにせ二人とも、なんだか凄く楽しそうな顔をしているのだから。きっとそうに違いないのだ。
そんなことを考えながら、モモは割れたコップを片付け始めた。
さて、このコップの責任の所在はどこにあるんだろうか。
「きっと、グリフジーン様ですかね」
笑いながらモモは欠片を箒でまとめると、慣れた手つきでゴミ箱へと捨てた。欠片の大合唱は、言い合いをやめない二人の怒声にかき消されてすぐに分からなくなった。




