ユズ
ここから、3巻の内容となります。
分量てきには、1,2巻合わせた文字量より更に多いですが、もしよろしければお付き合いくださいませ。
体が、街の音を聞いていた。街の崩れる音だ。
九番地は、一三番地が崩れ落ちてからというもの、この音に支配されていると言ってもいい。
アレから八〇年近く。いや九〇年と言ったほうがいいのか、正確な年数までは思い出せないけれど、原因は知っている。私は生まれる前だったけれど、知っている。いや、知っていたと言うべきだ。記憶は好きなときに好きなだけ思い出せる。そういうものだから、知っているというのは適切じゃないかもしれない。
思い出すことができる。と言ったほうがいい。
わたしは、もののけだから。
目を開ければ、斜めに傾いだ一三番地と呼ばれた街の残骸が視界一杯に広がり夕日に真っ赤に染め上げられていた。五本の要柱が、所々顔を見せている。つまり街と呼ばれていた部分はもうほとんど残っていないと言ってもいい。綺麗に並べられた床板も、雑多に積みあがった家も、発電を担う風車の列も、もう一三番地にはほとんど残っていない。崩れ風化し九番地に落ちたり、どこかの街の材料に持っていかれたりしている。
自分たちのいる場所が、これほどもろく崩れ落ちるのだ。
そういう認識は、人間たちにも耳長族たちにも、水棲族や妖精たちには関係のない話で、ましてやもののけたちに関係がある話なんかじゃない。
街は崩れている。柱だって簡単に崩れるのだろう。
なんて、ちょっと情緒に浸ってみたりする。
耳に当たる風に、自分の名を呼ぶ声を聞いた。ともすれば崩落の音に消え入りそうな声だ。
あの声の持ち主は、まだ私のことを覚えているらしい。それは、結構すごいことだったりする。
もののけたちの記憶をあさっても、あれほど長持ちしたのはまだ技術が完全じゃなかった最初の頃だけだ。
「誇ってもいいかもねぇ」
呼ばれたからには。
呼び声が聞こえたからには、行かなければいけないであろう。
これから大事な用事があるけれど、まだ大丈夫な時間のはずだ。
声の聞こえた辺りにやってくると、家の屋根に大きな穴がひとつ開いていた。
――前に私が落ちて開けた穴。
この下は、ニノ君のねぐらになっていた。
申し訳ないことをしたな、と思いつつも屋根を直す気はさらさらなかったりするのは内緒。
「やぁ、呼んだかい?」
穴から覗き込めば、案の定ニノ君が苦しそうな顔をして倒れていた。
錬金術が使える人間がよく陥る症状。
「ユズ……さん? どうして、ここへ」
「呼ばれたからぁ?」
適当なことを言って、穴から彼の家へとお邪魔する。
せっかく仕事を始めたというのに、彼はやっぱりこの家から離れられないようで相変わらずな生活を続けているみたいだ。
それが、まるで自分に罰を与えているようで見ていて気分のいいものじゃない。かといって、彼の生き方をまた否定することも、私はしない。
「だ、いじょうぶです。明日の仕事までには治りますから」
「えー、いいっていいって。どうせ治んないだろうし~」
慣れたもので、突っ込みを我慢する。
私もずいぶん人間というものを分かってきたのではないだろうか。
彼ら人間はこうやって無理をすることがよくあるのだ。責任とかプライドとかそういうものらしい。
「いえ……いつもの。こと……ですから」
「それ、病気じゃないからねぇ~。大変だよねぇ」
――人間で錬金術を使えるっていうのは。
言葉を飲み込み私はニヤニヤと笑う。
私のことがよく見えていないのか、彼は焦点の合わない目で辺りをふらふらと見回しているばかり。
結局彼の今の目では私はよく見えなかったのか体勢を変えようと、床に手をついてそして失敗した。瓦礫ががらがらと、音を立てて崩れていく。
「大丈夫……です」
まただ。無理をしている。どこが大丈夫なのだろうか。
私は少しイラっとしてしまい、彼にいたずらをしようと頭をめぐらせる。
「それは、贖罪のつもりかなぁ。まぁ、どうでもいいか~。ニノ君って、なんでまだ仕事続けてるのぉ? 管理局の爺さんからの命令は、もう完遂したんでしょ~?」
「それ、は」
ありゃ。長い言葉は理解しづらいのか。失敗。
「ね、ニノ君は私たちのこと好き?」
「……嫌いじゃ、ないです、よ」
そうだろうねぇ。
でなければ、こんな仕事続けないだろうしねぇ。よく考えてみたら、二二番地って女性ばっかりでハーレムだよねぇ。
なんてことを思いながら、自分がそういえば性別がないことに思い当たった。
私の中にある、固有錬金術がうずく。
私の中心。
私のすべて。
私の始まり。
私の結末。
たった一センテンスに収まる、小さな固有錬金術がうずいている。それがお前の生きる方向だと囁いている。
その固有錬金術の理に従って、私はそうすることに決めた。
手を伸ばし、ニノ君の額に手を触れる。
「あ……」
何をされてるかわかんない顔をして、ただなされるがままオデコを上目遣いで見上げようとしている二ノ君は結構可愛いと思う。
ふむ、私はやはり女側なんだろう。
メイルの裸よりは、ニノ君の方に興味があるから。
ていうか、メイルの裸は見飽きたというか。
あれは家族みたいなものだから、ちょっと違うかもしれない。
結局性欲なんてないので、私にはよく分からない。
「さてさて、私たちが好きなニノ君が、私たちのことを忘れないでいてくれたら、私は嬉しいけど」
彼の額にありったけのいたずらをして、満足する。使用したのは自分のエリクシル。自分の体。
「ま、せいぜいがんばってねぇ。バイバイ、ニノ君」
「あ……」
額から手が離れると、名残惜しそうにニノ君は声を上げた。気持ちよかったのだろうか。眩暈は少しぐらいマシになったのならよいが。
だが、それでも結果は何も変わらないだろう。
もしも奇跡が起きるのならば、それは結果の後のこと。
後日談とかいうやつ。
結果は避けられないし変わらない。
でももし、ハッピーな後日談が待っているなら、私のしたことも無駄じゃなかったかもしれない。
「どうなろうが関係ないけども~」
私は笑って瓦礫の街を行く。
もうそろそろ約束の時間。ニノ君よりはVIPな相手をお出迎えしなければならない。
夕日が眩しくて、思わず目を細める。
元から細いけど。もっと目を大きくすれば周りもよく見えるだろか。
ふと、細い目をきょろきょろと動かしていると視界に色々なもののけたちがいるのが見えた。
「みんな見にきたのぉ?」
そう言うと、瓦礫からもののけたちが顔を出す。
みんな色々な姿形をしている。大体は白い不定形のうねうねした塊だけど、己の形に固執する者もいる。
便利だから私のように人間みたいな格好のもいるし、逆に見るのも気持ち悪い姿のやつだっていた。
「成功するんだよな? 王、本当に交渉は成功なんだな?」
誰かの言葉に、私は目一杯の笑顔で返答すると、すぐに前を向いて歩き出した。
「ちょっとー、ユズ~。仮にも私たちの存在がかかってるんだけど。マジ、真面目にやってくんなーい」
まったく真面目じゃない言葉で揶揄されて楽しくなる。
「うひひ。あんたたちだって、別に存在消えても気にしないくせに。心配ごっこか何か~?」
「こういうときは、心配するほうが面白いだろう」
「だよね~。つか、存在消えるぐらいならいいけど~。相手はアレでしょ? 何されるかわかったものじゃないし」
「それは言えてるねぇ……何する気なんだろねぇ」
他人事のような私の呟きに、野次が飛ぶ。
「せめてまともな扱いになるように、努力してくれたまえ」
「任せてよぉ~。私ってば、かなり修理工の仕事でトークは慣れてるからねぇ」
「この前、値切られてたじゃん」
「あちゃー」
やっぱり、もののけたちの間で隠し事は無理だ。
近づけば記憶は共有されてしまう。瞬時にというわけじゃないが、記憶は勝手に共有されてしまうのだ。
面倒この上ない。
「この辺りのはずさ、あとは手筈どおりにお願いねぇ」
言うと、さすがわたしが王なだけあって、みんなは文句ひとつ言わずに予定された場所へと散っていった。
ただ、新しく作られ起動した根源錬金術の式から生まれたという理由の王。
王なんてそんなもんだ。
呼び名は大仰だが、実情はそんなものではない。
もののけが嫌いな責任ってやつを新参者に押し付けるシステムなのだ。
皆が身を隠すのを確認して、私は歩き出す。
すでに相手は到着済みで、瓦礫に腰掛けて座っているのが見えた。埃の多いこの街に来るために、わざわざ全身を覆うフードを着ている。髪の毛汚れるもんね。
「ごめんねぇ。お待たせぇ~」
まったく心のこもっていない言葉で挨拶を切り出すと、フードは立ち上がってこちらと対峙するように一歩前へ。
「時間にはまだ余裕があるから、問題ないわ」
ちっちゃい体の癖に、どこからと思うほど大きく通る声がこちらに響いてきた。風と瓦礫の崩壊で、この街は人が住んでいなくても賑やかなのだ。
だけど、その声はそんな無機物の喧騒を物ともせずに届く。
だが彼女の声は届いても私の声は届かないだろう。
私は瓦礫を踏みしめて前へと歩き出す。
「さぁ。さっさと始めましょう。早く終わるに越したことはないからね。こう見えても忙しいのよ」
「わかったよ~。まぁ私は、忙しくないけどねぇ~。仕事も今日の分は片付いてるからねぇ」
私は笑いながら近くの瓦礫に腰をかける。
二人の間は距離にして十メータ程だろうか。声が届き手が届かない距離。話し合うにはちょうどいい距離だ。
「じゃぁ、始めましょ。といっても、こんな急かされても私には何もできないのだけれどね。ユズちゃん、何から始めましょうか? お値段の話? それとも期限の話?」
「お値段と言われてもねぇ、私お金ないよ~。給料は全部食べ物に使っちゃってるし~。それに、実際に商品見てないのに支払うのもねぇ?」
「商品なら問題ないわよ。王様なのにお金ないのは驚きだったけど、安心してちょうだい」
「王様なのにねぇ~」
問題ないわよ。
そう言われて、思わず体が喜びに震えかけるのを必死でごまかしながら私は、無意味に大げさなリアクションで笑う。
でも本当に、なんで王様なのに持ってないんだろ。
今度、人間みたいに税金とかいうのを集めてみようか。結構無茶な理由で税金は取ってもいいらしいし。そんなことを考えていたら、フードの方から話を戻してきた。
「じゃぁ代わりの案を提示させてもらうわ」
「お金以外でも、私がお願いしたもの、くれるの~?」
どんな金額でも足りないようなモノなんだけど。
「そうね。条件によるわ」
「ま~。できることならいいけどねぇ。できないことお願いされても、困るかなぁ」
「そうね。簡単な話よ。もののけ五〇匹。あなたが望んだものの対価よ、ユズちゃん。いいえ、もののけの王」
そして予想どおりの言葉が飛んできた。
「人の命と同列には、考えてもらえないんだねぇ」
「いいえ、人間でもいいわ。用意できる? 百人ほどなら手を打つけれど」
うわ怖。
「あなたたちは、あなたたちが思ってる以上に価値のある存在なのよ。ま、人間なんて役に立たないから、ってのもあるけれどねぇ」
「まからない、かなぁ」
「そうね、耳長族の錬金術師なら五〇人で手を打ちましょう」
集めてる間にこっちがどうにかされてしまうじゃないか。
げんなりしながら私は、ため息をつく。こんなところまで、人間に似てきた気がする。
「あなたたち、死なないって聞いたけど?」
「それは誤解だよぉ。存在的には復活するけど、記憶も器も違うんだから自分じゃないよねぇ。根本は確かに似るんだけどね。趣味嗜好とかさ。うひひ」
自分の持ってた記憶が帰ってくるわけじゃない。
そんなことがあった前の自分を知ることぐらいしかできないのだ。
だから同じじゃない。人間たちと住むことでそう思うようになったのかも。それとも私が――
「ま、確かにそんなふうに考えないもののけもいるけどさ~。せめて、どうなっちゃうのか、教えてくれないかなぁ」
「ふむ。そうね、確かに行く末不明のまま五〇人送り出すのじゃ不釣合いね。いいでしょう」
そう言って、フードの中から手を出して手招きをする。
はて、首を傾げている間に、彼女は私の目の前まで歩み寄ると、狐の耳に口を近づけて呟いた。
風の音が聞こえる。別に狐の耳は人みたいに音を聞くためのものじゃないんだけどね。
「――それから、残り二五名は私たちの研究室で研究を手伝ってもらいます。むろん正社員として雇用。ただし、飽きても勝手に辞めさせないから、そのつもりで」
「……なるほどぉ」
それは、少しだけ魅力的だね。そう言って、わたしは笑う。
ベルフレアで働けるというのなら、二五名はすぐにでも見つかりそうだし。
もう半分も、きっと大丈夫だ。
――だけど。
「じゃぁおっけー。と言いたいけど、やっぱり正社員じゃない二五名を集めるのは無理だねぇ」
さて、ここからが勝負だ。
「あら、そう? なら話はここまでね」
「あらら。残念。でも、このまま終われると思ってる~? この場所がどんな場所かぐらい、知ってるよねぇ」
ここは九番地。人が住んでいない、廃棄された街。
しかし廃棄されてなお、未だ一三番地を支えたままである。
それには、色々理由がある。斜めに立てかけるように倒れているというのもあるし、人が住んでおらず風化が進み、街の重量が軽くなっているというのもある。
だけどもっと重要なことがある。
「知ってるわよ」
動かない風車が風に軋む音が聞こえる。
この街を支える原動力はもうどこにもない。
あるとすれば――
「そう、ならば話は早いんじゃないかな」
そう言って手を広げた。
無言で立ち上がったのは、もののけたち。
そう、もののけだ。この街を守ってきたのはもののけたちである。
足りないエリクシルを己の体を使い補充し、崩れかけた要柱を補修し、私たちは九番地を守ってきた。
この街は、私達もののけの街だ。
「さぁ。ただで帰れると思ってるのかなぁ? 完成した、例のものはもらっていくよ。抵抗は無意味だからねぇ」
できるだけふんぞり返って、目の前の相手を怖がらせるように威圧する。
だけど、反応は予想と違った。
フードのなかで、鼻で笑う音。
「何の準備もしないで私がここに来ると思ってるの?」
そしてフードを邪魔そうに外した。
見慣れた後輩にすごくよく似た優しい笑顔と、隻腕。
この状況で、その隻腕で何ができるというのか。
ベルフレアの社長婦人であるアーセル・グリーフベルアは、この状況でもまだ余裕とばかりに薄く笑い、隻腕を腰に当ててこちらを眺めていた。
「予想じゃなくて、事実として何もしていないことを確認してるからさぁ。もののけの記憶は共有化されてるの忘れたのかなぁ。私たちに隠し事はできないってね~」
「あら、ならそのご自慢のネットワークでうちのメイドが今どこにいるか調べられる?」
「!」
思わず周りを見渡す。
あたりのもののけ全員が首を振っていた。記憶にはない、思い出せない。
まさか、すでに隠れて。
どこから思い出せないか、必死で記憶を辿るが、そもそもアーセルの屋敷は高級住宅街である。
だからというわけではないが、あまりもののけはいない。記憶はどうしても途切れ途切れだ。
「……あちゃー。でもま、メイルでもない限りなんとでもなるかなぁ。こっちもただじゃ済まないけど~」
こうなれば相打ち覚悟。
もし、モモちゃんのことがハッタリだったらこれで――
「そりゃモモでも分が悪いでしょう。でも二五人以上は道連れにするわよ? 言っている意味、分かるかしら? 算数、できたっけユズちゃん?」
ありったけの皮肉を込めた笑顔に、思わず私の体が引きつった。
「それに」
さらに彼女は笑みを作る。
「まだできてないから。どんだけ脅して、最悪私を殺せても、あなたは欲しいものを手になんか入れられないわよ」
そう言って、子供をあやすようにアーセルは微笑む。
「んな! さっき問題ないって言ったじゃな~い!」
「あら、問題なく期限には間に合わせるわよ。今日は期限じゃなかったでしょう?」
「む……。むぐ……。う、嘘だね!」
「あらら。信用されてないわね。これでも元同じ会社のよしみで信じてちょうだいな」
「同じ時期にはいなかったじゃないの~。……じゃぁ調べさせてくれたら信じるよぉ」
「あら、平和的でいいわね。そういうの、大好きよ」
言われるがまま、私は手を伸ばして遠慮なくアーセルの体や服のポケットをまさぐってみる。
まったく鍛えられていないが、体型には気を使っている弛みのない体だ。って、そういうことじゃなくて。
ここで、もしも本当にモノがなかったら、完全敗北もいいところだ。
アーセルをどんだけ脅しても、モモちゃんが実際に隠れていて私たちをどんぱちしても、結局手に入らないじゃ意味がない。
「んぐー。ない……」
そんなはずはない。必死で体を触りまくる。
「うふふ、夫以外に体を触られたのはユズちゃんが初めてになるわね。くすぐったいわね」
「茶化さないでぇ~」
完全に相手のペースにはまって、私は泣きそうになるが探す手を緩めるわけにはいかなかった。
んぐぐ。
遠慮もなく胸も尻もいろいろ、触りまくったけど。やはりない。
そんな小さくなるものじゃないし……かすかな錬金術の反応か、そうでなくてもエリクシルの流れぐらいは。
だが、やはりそんなものはなかった。
人間が最初から持ってる熱から生まれる熱精がふらふら生まれては消え、服などに付いているかすかな電精の動きがまったく何者にも影響されていないように見えて、さらに彼女の言い分の裏付けがされていく。
「むぐ……」
「もう、満足?」
たしかに、なかった。
人質を取っても無意味だし、こっちの分が悪くなるのは目に見えてる。
そこまで私もバカじゃない。そもそも人間相手に、それもベルフレアの社長婦人相手に交渉という舞台で戦えるわけもなかったのか。
「……まいったよ~」
彼女の服の中まで突っ込んでいた手を引っ込めて、私は降参の合図。
背後で仕方なさそうなもののけたちのため息が聞こえてくる。半分は責める感情だが、もう半分は仕方がないという諦めだ。
「もののけ五〇人。用意するよ~。せめてちゃんと期限には間に合わせてくれたら、文句ないからさ……」
がっくりとうなだれた私に、アーセルは笑う。
うう。勝利者の微笑みほど、敗者に辛いものはない。
そもそも、値段交渉がしたいならこっちは準備が整ったからいつでもいい、だなんて連絡してきたのはアーセルの方だ。
「準備整ったって。たしかに、完成したから商品持ってく、なんて一言も言っていないけどさぁ……」
「もののけなのに、人の文脈を想像できるようになったのはまずかったわね。空気読みすぎ。かしら?」
「まったく、わざとらしい。とにかく、契約は成立だよぉ。王が責任をもって五〇人。ベルフレアに送り届けるさ~」
「その言葉、確かなものと受け取ったわ」
そう言うと、いきなりアーセルは片腕を、もう片方のなくなった腕の傷口に突っ込んだ。
「んな!」
そりゃ傷はリグちゃんが生まれる前の傷のはず。すでに皮が張り肉がその切断面を覆い尽くしている。
骨も神経も今の状態で安定している。
はずだ。
だから傷口だなんていう言葉はおかしいかもしれない。
「ユズちゃんは、本当に優しいわね。この傷口だけは触らなかったんだから。でも、調べるべきだったわね」
ずるり。彼女の千切れた腕から、なにか骨のようなものが引きずり出された。
「ちょちょ、ちょっとアーセル!」
「大丈夫よ、骨は肩まで抜いてるからただの穴なの、いつもは私のヘソクリが入ってるわ」
「いや、そういう……」
そして何かが引き抜かれた。
人の骨というよりは、何か棒のようなもの。
夕日に照らされて赤い光を反射するそれは、まるでアーセルの血に塗られたものに見える。
「錬金術を食べる錬金術。あなたが望んだ商品よ、ユズ」
気楽に放られた何かは綺麗な放物線を描く。
手を伸ばせば受け渡せる距離で、投げる必要なんてないはずだけど。とりあえず私はそれをキャッチする。
「ガラス? 液体が入ってる……」
試験管みたいなものに、銀色の液体が入ってた。ちょっと細工がしてありそうな蓋がしてあって、だけどもそれだけだ。
特に、変わったものには見えない。
「それ、投げつければその辺りの式を勝手に食い荒らして錬金術を壊してくれるわ。生ものだから気を付けて」
「生……えぇ、腐るのぉ~」
「自分を自分で食べるのよ。蓋に付いてるバッテリーがエリクシルの調整をして保ってるけど、なくなれば自分すら食べ出して最後には消えてなくなるの」
「なるほどねぇ……。しかし、できてるって踏んだ私が言うのもなんだけど、よく完成したねぇ」
注文してから二週間も経ってないと思うんだけどなぁ。そんな簡単なものだったのかしらん?
しかも液体に式を書き込むなんてトンデモ技術にも程がある。
「完成というには程遠い代物だけどね。あなたに注文される前から開発してたのよ」
こんなものを? 私は首を傾げる。
私と同じ理由だろうか。それとも、物好きの酔狂か。
「欲しがる者が出るから、作っておけって。まさか、本当にそうなるとは思ってなかったけど。……少々胡散くさいわね。錬金術でそういうことできるのかしら」
「予言は無理でしょ~」
グリフジーンなら、もしかしたら可能かもしれないけど。
「なら予言じゃなくて予定ということね。予想どおりと言った方がいいかしら。あのお爺ちゃん、またなんか……」
「お爺ちゃん?」
私の言葉に、アーセルは一度だけ視線をめぐらせて何かを考えるように黙ると、小さく息を吐き出す。
「管理者のお爺ちゃん。耳長族のね」
一応顔だけは分かるので、なるほどと頷いておいた。
記憶を探れば、いくつかアーセルの言う胡散臭い記憶が次々と思い出される。その内容に顔をしかめそうになるが、なんとか平静を装う。
……たしかに予定どおりだ。
が、彼女に教えてあげる義理はない。
「んじゃ、ありがとね~」
うひひ。笑って私はアーセルに背を向ける。
思い出すには、思い出そうとする意志と知識がなければいけない。辞書だって、調べようとする単語があって初めて役に立つように、記憶も似たようなものだ。
アーセルのお陰で、色々と思い出せた。
そして今の状況を私は理解する。
ニノ君のことも、メイルのことも。リグちゃんのことも。
全部、そういうことだったのだと納得した。
「そうそう、できるだけ家にいてあげた方がいいと思うんだよね~。リグちゃん、寂しがってるよぉ」
振り返って意地悪く言う私の言葉に、アーセルは肩を窄ませて笑った。
「あなたの注文がなければ、毎日家に帰ってたわよ」
「そりゃ申し訳ない~。んじゃ、五〇人の件は明日までに。今日はちゃんと帰ってあげてねぇ~」
了解の返答の代わりにアーセルは手を上げて歩き出した。
きっと彼女は家に帰らないだろう。
私は彼女がまだ仕事を抱えていることを知っている。
だけど、どうして帰らないといけないかは、彼女に教えない。
きっとその方が楽しいからだ。
日がもうすぐ沈む。それまでに、二五人の社会人希望者と、二五人の自殺志願者を探そう。
「うひひひひっ」
胸ポケットに入れた試験管の液体が音を立てている。
さぁ、ちょっと長いお祭りの始まりだ。




