本当の距離
俺は、俺たちは今恐ろしい光景を目にしている。
それは異様で異質である意味で不気味な光景。
俺はそんな光景を見つめながら、段々と視界がぼやけてくるのが分かった。
どうしてこんな事になったのか、それは少し前まで遡る。
ーーー
「はぁー……凄かった……」
俺は、たった今中央を歩き、俺たちの隣を通り過ぎていった金堂先輩について感嘆していた。
そして気づかないうちにそんな言葉がぽつりと溢れ出していた。
すると、隣にいる春雨が俺に向かって無邪気に笑ってくる。
「すげーかったな。いやマジで、凄かった。……マジかー学校での沙耶姉ちゃん、あんななのなー……」
途中までは俺に向かって言っていたのだろうが、途中からは完全に只の呟きになっていた。
(金堂先輩の下の名前って確か、沙耶だったよな。……しかも姉ちゃん呼び。これは幼馴染パターンが濃厚!?)
と、俺が一人で勝手に驚いていると、再度春雨が笑いかけてきた。
「それにしても、やっぱ、神倉先輩すげーよなぁ」
「いきなりどうしたの……ってかもう金堂先輩の話は終わり?」
「あー、まあ……なんつーか。何となくそう思ったんだよ。今だって司会の仕事を神倉先輩がやってるけど、それも体育館が盛り上がってる一つの要因じゃん」
(まあ……相当大きな要因ではあるよな。うん)
俺はそれに黙って頷く。
「それに、この学校で金堂先輩と張り合えるのなんて、神倉先輩くらいだと思うんだよなぁー……」
「というと?」
「俺実は金堂先輩と知り合いつーか、顔見知りつーか、昔ながらの付き合いがあるっていうか、そんな感じなんだけど」
(やっぱりか、いや、まあそれは知ってたけど)
「でも、金堂先輩ってほんとにすげぇ人でさ、何やらせても天才的なわけよ。本当に…マジで」
「…………」
何故か、適当な相槌ですら打つ事が出来ない雰囲気だった。
だが、春雨の語りはまだまだ続く。
「んで今、改めて金堂先輩を見たらやっぱりすげー人だなと思ったんだけど……その金堂先輩がライバル視してるのが神倉先輩なんだよな」
「えっ……そうなの!?」
俺は思わず大きな声で驚きの声を上げた。
だが先程とは違い、周りの生徒はこちらを見てこなかった。それよりも今は体育館内が盛り上がっていて、それどころでは無いからだろう。
「まあー、俺には良く分かんない話しだけどなぁ」
「うんー、俺にも良く分かんないわ」
そうしてお互い顔を向け笑い合う。
だが金堂先輩が神倉先輩をライバル視とは、本当に神倉先輩が凄い人なのだと思い知らされる。
ーーすると突然、
ーーーうわぁあぁぁああっっっ!
ーーーうおぉぉおおぉぉっっっ!!
話に夢中になっていた俺たちの耳にそんな叫び声が響いて来た。
何があったのかと、見てみると先まで司会をしていた筈の神倉先輩がなんと中央通路を歩いて来ていた。
「お、おい! 神倉先輩がいる、ぞ!」
「あ、あぁ……」
俺は余りにも現実離れした光景を目にした。
さっきの金堂先輩の時ですら、普通の高校での盛り上がり方を遥かに超えていたと言うのに……今回はその時の数倍上だった。
ゾワッーー背筋が一瞬冷えた。
周りの生徒たちの熱気、先生たちの叫び声、吹奏楽部の演奏。それらが重なり合い最早よく分からない状況だ。だが、それでも、神倉先輩が凄いという事は分かった。
俺の語彙力があったら、もっと『凄い』以外の言い方が出来るのかも知れないが、今の俺には『凄い』以外の言葉が出てこなかった。
そんな異質で異様な光景の中、俺は神倉先輩から僅か数メートルの距離で、神倉先輩本人を見つめる。
こんなにも近くにいる。あと数歩歩けば神倉先輩に触れられる距離。
だが俺は神倉先輩との、ーーー本当の距離を理解してしまった。
いつか一緒にファミレスに行った時の様な距離感。さっきの友人同士の様な距離感。
それらは全て偽りだったのだと。
そんなものは俺がそう見ていただけの事で。神倉先輩がそんな偽りの関係性を少しの間だけ真実の様に見せていてくれていただけの事。
俺という存在は、神倉先輩という存在に近づけてなどいなかったのだ。そう思い上がっていただけ。
ーー俺は、ぼやけた眼を擦り、神倉先輩を見据える。
歓声の中に包まれている神倉先輩。人気者の神倉先輩。校内の才女からライバル視される神倉先輩。
只の男子生徒Aの俺。
「そうか、勝手な俺の勘違いだったんだなぁ……」
俺はこの時、改めて、己と神倉先輩の距離を確認した。そして俺と神倉先輩との間にある『絶対に超えられない壁』がある事を理解した。
俺は自分のこれまでの言動全てを思い出し、それと同時にとてつもない羞恥に襲われた。
馬鹿だ自分は。こんなにも思い上がって、あの神倉先輩と親しくなれた様な気がして、こんな……こんなっ……もう終わらせよう。
元から無かった関係を自分の中で終わらせるんだ。




