一章 プロローグ
「最近、夫の帰りが遅いの」
赤いドレスの貴婦人は、探るように周囲を見た。
「あらぁ。女でもできたんじゃない?」
黄色いドレスの貴婦人は、軽薄なほど率直に言った。
「もう。どこで誰が聞いているとも知れませんのに……品がありません」
そう嗜めるのは、青いドレスの貴婦人だった。
帝都の貴族街、その片隅。
今日も三人の貴婦人が茶会を開き、取り留めのない話に花を咲かせていた。
「私の夫は、私以外の女にとんと興味がなかったのよ。そこを気に入って嫁いだのに」
赤の貴婦人は深いため息をついた。
「うちはもう、お互い様って感じだけどねぇ」
「……あなたのその、あけすけさも一因ではないの?」
堂々と腕を組む黄色の貴婦人に、赤の貴婦人はわずかにたじろいだ。
「いいのよぅ。子供ももう、社交界に出る歳だし」
その言葉に、赤の貴婦人がふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば――決まりましたね」
ほんのわずかに、卓上の空気が変わった。
とりわけ黄色の貴婦人は、待っていましたとばかりに目を細める。
「ふふ。皇太子の婚約者の話?」
「セナレム公爵家の……上のお嬢様ですか」
青の貴婦人は、どこか複雑そうに眉を顰めた。
「あら。あまり嬉しくなさそうね。てっきり保守的なあなたなら、喜ぶものと思っていたけれど」
赤の貴婦人が首を傾げる。
「上のお嬢様は、お家に反してずいぶん改革的な方でしょう。五公令嬢ともあろう身で、いくつも論文を出すなんて」
「何かと話題に上がるわよねぇ。ヴィクトリア・セナレム」
その名が出た途端、青の貴婦人が慌てて周囲を見回した。
「軽率な発言はお控えくださいませ。口の軽い侍女でも近くにいれば、一刻もしないうちに広まりますのに」
「そんな侍女、さっさとクビにすればいいじゃなぁい」
赤の貴婦人がため息をつく。
「そういう問題ではないのよ」
「だって、まどろっこしいのだもの」
黄色の貴婦人は悪びれもせず、ぺろりと舌を出した。
「……でも、ええ」
赤の貴婦人は紅茶を一口含んでから言った。
「保守派筆頭のあの家なら、まあ悪くはないでしょう。本人の資質も十分なのだし」
「……その、白大母様は納得の人選なのでしょうか」
なおも食い下がる青の貴婦人に、黄色の貴婦人は声を上げて笑った。
「あははっ、あの方が口出しを? だとしたら、もう決定事項じゃなぁい!」
「白大母様が関わっている証拠でもあって?」
赤の貴婦人は冷静に問い返す。
青の貴婦人は、途端に慌てた。
「そのようなことはっ。ただ、もしあの方が人選に関与していないのなら……後々、問題が起こるのでは、と」
「あの方は関与している方が揉めるでしょ〜」
その一言で、卓の空気が止まった。
誰も、すぐには口を開かなかった。
窓の向こうから、鳥の声だけが聞こえた。
やがて赤の貴婦人が、何事もなかったようにカップを置いた。
「……今日のところは、そろそろお開きにしましょうか」
青の貴婦人は、救われたように頷いた。
黄色の貴婦人だけが、まだ少し笑っていた。
三人が席を立つ頃には、茶はすっかり冷めていた。
そしてその日の夕刻には、ヴィクトリア・セナレムの名と白大母の名は、帝都の別の茶卓でも囁かれていた。




