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第30話 あなたがくれた私の人生

 ーーその日の昼。


 王宮から正式な発表があった。


 リーシェ・フォン・アーレンス。


 彼女は前国王の血を引く王族の一員であり、同時にアーレンス公爵家の正式な継承者であること。


 そして――。


 王位継承権を有するものの、本人が望まない限り、王位を強制されることはないこと。


 その知らせは、王都中を大きく騒がせた。


「リーシェ様が王族だったなんて……」


「それなら、あの五年間の扱いは一体……」


「ヴィオラ夫人たちが追放されたのも当然だったということか」


 けれど、私はもう噂を気にしなかった。かつてなら、人々の視線が怖かった。


 今は違う。


 誰が何を言おうと、私自身が自分のことを知っている。それだけで十分だった。


 そして数日後。


 私は王宮へ呼ばれた。


 大広間には国王陛下と、司法長官、そして王宮の重臣たちが揃っている。


「リーシェ・フォン・アーレンス」


 国王陛下が私を見る。


「そなたには、正式に王位継承権が与えられる。しかし、これは義務ではない。そなた自身が望む未来を選ぶがよい」


 私は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 そして、少しだけ考えてから顔を上げた。


「私は――王位を望みません」


 広間がざわめく。


「ですが、王家の血を持つ者として、この国を守る責任から逃げるつもりもありません」


 私ははっきりと言った。


「王冠を被ることだけが国を守る方法ではありません。私は公爵家を立て直し、領地を豊かにし、困っている人が『助けてほしい』と言える国を作るために、自分のできることを続けたいと思います」


 国王陛下は静かに頷いた。


「……そなたらしい答えだ」


 その言葉に、私は微笑んだ。


 王になる必要はない。


 誰かの上に立たなければ、自分の価値を証明できないわけでもない。


 私は私の場所で、自分のできることをすればいい。


 それが、五年間を生き抜いた私が選んだ未来だった。


 ◇


 ーーさらに数ヶ月が過ぎた。


 アーレンス公爵領は、以前とは見違えるほど活気を取り戻していた。


 新しい灌漑設備が各地へ広がり、街道の整備も進み、商人たちが以前より多く訪れるようになった。


 そして、屋敷の食堂には、毎朝たくさんの料理が並ぶようになった。柔らかいふわふわのパンも含めて。


「リーシェ様、本日の朝食はこちらになります」


 マーサが胸を張る。


「焼きたてのパンに、卵料理、スープ、それから果物までございます」


「……」


 私はテーブルを見る。


「これはこれで多くないですか?」


「何をおっしゃいますんですか! これでも少ないくらいですよ!」


「五年前の私が見たら腰を抜かしますよ」


「では、見せて差し上げたかったですね」


 マーサが目を細める。


「きっと、お嬢様は泣いていたでしょう」


「……」


 私は小さく笑った。


「ええ。たぶん、泣いていたと思います」


 そしてパンを一口食べる。


 柔らかい。


 温かい。


 ほんのり甘い。


「……美味しい」


 それだけの言葉なのに、胸がいっぱいになった。


 硬いパン一枚を、何度も何度も噛みしめていた五年前の私へ教えてあげたい。


 いつか。


 好きなだけ温かいパンを食べられる日が来る。


 誰かに怒られることもなく、奪われることもなく、自分の好きなものを好きだと言える日が来る。


 そして。


 あなたを大切にしてくれる人が、ちゃんと現れる。


「……お嬢様?」


「何でもありません」


 私は笑った。


「少し、昔のことを思い出していただけです」


 その日の夕方。


 庭園には、ヴァイスが待っていた。


「.......リーシェ」


「どうしました?」


「少し歩かないか?」


「.......? ........構いませんけれど」


 二人で庭園を歩く。


 夕暮れの光が木々の間から差し込み、長い影が芝生の上へ伸びていた。


「……綺麗ですね」


「ああ」


 ヴァイスは景色ではなく、私を見ていた。


「何です?」


「いや」


 彼は少し照れながら笑った。


「幸せだと思ってな」


「……私もです」


 私は彼の隣へ並ぶ。


「.......ヴァイス様」


「なんだ?」


「これからも、私の隣にいてくださいますか?」


「もちろんだ」


 即答だった。


「王位を選ばなくても?」


「関係ない」


「公爵家当主として忙しくなっても?」


「君のやることがなくなるよう、俺がすべて終わらせよう」


「私が朝食のパンを毎日三つ食べても?」


「五つ用意しようか」


「……それは多すぎます」


「では四つ」


「三つで十分です」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


 そして、ヴァイスが少しだけ真剣な顔になる。


「俺は、君を守ると何度も言った」


「ええ」


「けれど、今は少し違うことを言いたい気分でな」


 彼は私の手を取った。


「君はもう、自分一人でも立っていける。だから俺は、君を守るだけじゃなく、君と一緒に歩きたい」


 私は黙って彼を見る。


「嬉しい時は一緒に笑う。辛い時は一緒に悩む。間違えた時は一緒にやり直す。君がどんな未来を選んでも、俺はその隣にいる」


 そして。


「……俺と”一緒に“、これからの人生を生きてくれないか?」


 涙が出そうになった。


 けれど、今度は泣かない。なんでと言われたら、せっかくのこんな幸せな時に、涙で愛しの人の顔が見えなくなったら困るじゃない?


 だから私は笑って、彼の手を握り返した。


「.......はい!」


 たった二文字。


 それだけなのに、五年間の孤独が、すべて報われたような気がした。


 ◇


 ーーその夜。


 私は一人で母の肖像画の前に立っていた。


「.......お母様」


 肖像画の中の母は、あの日と同じ優しい顔で微笑んでいる。


「私、ようやく幸せになれそうです」


 返事はない。


 それでも私は続けた。


「ずっと聞きたかったんです。どうして私を置いていったのか。どうして何も言ってくれなかったのかって」


 目の奥が熱くなる。


「でも、もう分かりました」


 地下室に残されていた手紙。


 私を守るために残された証拠。


 母が命を懸けて守ろうとしたもの。


「お母様は、私を捨てたんじゃなかったんですね」


 一筋の涙が頬を伝った。


「ちゃんと、愛してくれていたんですね」


 それを口にした瞬間。


 五年間ずっと心の奥にあった小さな傷が、ようやく塞がった気がした。


「……私も、お母様の娘でよかったです」


 そして、静かに笑った。


「だから、もう大丈夫です」


 私は肖像画へ背を向けた。廊下の先には、私を待っている人がいる。


 私の手を取ってくれる人。


 私の言葉を聞いてくれる人。


 そして、これからの人生を一緒に歩いてくれる人。


 私はもう、振り返らない。過去を忘れるわけではない。許す必要もない。ただ、その過去に未来まで奪わせない。


 それが、私が五年間かけて見つけた答えだった。


 人は、傷ついた過去を消すことはできない。


 けれど、その傷を抱えたままでも、誰かを愛し、誰かに愛され、笑って生きていくことはできる。


 そして――。


 幸せとは、誰かに与えてもらうものではない。


 自分が「幸せになっていい」と、自分自身に許してあげることなのだ。


「リーシェ?」


 廊下からヴァイスの声がする。


「はい?」


「そろそろ寝る時間だ」


「分かっています」


「……パンを食べすぎてはいないか?」


「最後までそれですか!?」


 廊下から笑い声が響く。


 私は笑いながら扉を開けた。


「お待たせしました」


「ああ」


 ヴァイスが差し出した手を私は取る。


 温かい。


 今度こそ、離さない。


 五年前、誰にも必要とされないと思っていた少女は、物置部屋の片隅で誰にも知られずに涙を拭っていた。


 けれど今ーー


 その少女は、自分の人生を自分で選び、愛する人と手を繋ぎながら、未来へ向かって歩いている。


 失った五年間は、もう戻らない。


 それでも――。


 私たちを待っていた、これから先の人生は、誰にも奪わせない。


「ヴァイス様」


「なんだ?」


「私、今、とても幸せです.......!」


「……俺もだ」


 二人で歩き出す。夕暮れの庭園を抜け、明かりの灯った屋敷へ向かって。


 その先に待っているのは、きっと完璧な人生ではない。


 喧嘩をする日もあるだろう。


 失敗する日もあるだろう。


 泣いてしまう夜だって、きっとある。


 それでも、隣にいてくれる人がいるなら、何度だって、朝を迎えられる。


 だから私は、もう恐れない。


 ――硬いパン一枚しか与えられなかった少女の人生は、そこで終わらなかった。


 むしろ、そこからが本当の始まりだったのだ。


 愛されることを知らなかった少女は、愛される喜びを知った。


 守られることを知らなかった少女は、誰かと支え合う幸せを知った。


 そして何より........


 自分自身を大切にすることを、ようやく覚えた。


 私は、隣を歩く彼の手を少しだけ強く握る。


「これからもよろしくお願いしますね、ヴァイス様........!」


「こちらこそだ、リーシェ!」


 彼は笑った。


 私も笑った。


 その瞬間、胸の奥に浮かんだ言葉を、私は誰にも聞こえないようにそっと呟いた。


「――私の人生、案外悪くなかったみたいです」


 そして、二人の影は夕暮れの庭園の中でゆっくりと一つに重なっていった。


――完――

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


 もし少しでもスカッとしたり、ニヤッとしたりしていただけましたら、評価ポイントとブックマークをいただけると、次の話を書く一番の励みになります!


 まだまだ書きたいことがございますので、よろしければ作者フォローもしていただけると幸いです!


 それでは、また次のお話でお会いしましょう!

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