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第29話 ついに終止符を打ちましたわ!

 王都へ戻った翌朝、私はいつもより早く目を覚ました。


 窓の外はまだ薄暗く、夜と朝の境目にある空は、ほんの少しだけ青みを帯びている。鳥の声も聞こえない静かな時間の中で、私はしばらく天井を見つめながら、昨日までの出来事を一つずつ思い返していた。


 ーーグスタフ・ベルンハルトは拘束された。


 王宮財務局の不正はすべて明るみに出て、北東部から長年吸い上げられていた金銭も、私が五年間密かに積み重ねてきた記録によって一つ残らず繋がった。


 父も、ヴィオラも、セレナも、もう私の人生を左右することはできない。


 そして――。


 私の出生も、前国王陛下との血縁も、すべて公にされた。


 けれど、不思議なことに今の私の胸にあったのは、達成感でも高揚感でもなかった。


「……終わったのね」


 ぽつりと呟いた瞬間、目の奥が熱くなった。


 五年間。


 あまりにも長かった。


 硬いパン一枚を渡されることにも、誰かに嫌味を言われることにも、母の形見を奪われることにも、もう慣れたつもりでいた。


 何を言われても笑って返せるようになった。


 何をされても傷ついていないふりができるようになった。


 けれど――。


 慣れていたのではない。ただ、泣くことを諦めていただけだった。


 そう気づいた瞬間、頬を一筋の涙が伝った。


「……今さら泣くなんて、ずるいわね」


 自分で自分にそう言い聞かせる。けれど、一度溢れた涙は止まらなかった。


「五年間も我慢したんですもの……今日くらい、許してくださいな」


 その時だった。


 コンコン、と控えめなノックが響いた。


「リーシェ、起きているか?」


 聞き慣れた声に、私は慌てて涙を拭った。


「ええ......;どうぞ」


 扉が開き、ヴァイスが顔を覗かせる。


 いつもの軍服姿ではない。今日は少し上等な服を着ていて、手には何やら大きな包みを抱えていた。


「朝早くから何を持っているんです?」


「君への贈り物だ」


「……また何か高価なものを?」


「いや」


 ヴァイスは包みを机の上へ置き、少し照れくさそうに笑った。


「パンだ」


「…………」


「しかも、焼きたてだぞ!」


 私は思わず吹き出した。


「あなた、私をなんだと思っているんですか?」


「五年間、硬いパンを食べ続けていた令嬢」


「そこだけ切り取らないでください」


「なら、公爵令嬢?」


「普通すぎて、いまいち面白みにかけますわね」


「なら一番しっくりきそうなものをあげようか。例えばそうだな........未来の妻とかな?」


「……」


「俺が一番言いたいのは、これだ」


 あまりにも真っ直ぐに言われて、私は言葉を失った。ヴァイスは私の顔を見つめ、それから少し眉を寄せる。


「……泣いていたのか?」


「泣いていません」


「目が赤い」


「朝だからです.....!」


「朝だから目が赤くなるのか?」


「なるもん.....!」


「もんって......俺は初めて聞いたな。いつものように凛々しい君も好きだが、こういう少し弱弱しくて可愛いらしいところも好きだぞ」


「まったく、またそんなことを言って.......今覚えてください! あと、そういった甘い言葉は他の女性に言わないでくださいね!」


 いつものように言い返した。


 けれど、声が少し震えてしまった。


「ははっ! 君以外の女性にそんなこと言う訳がないだろ。俺が愛してるのは君だけだよ.......リーシェ」


 ヴァイスは微笑みながらそう言ったあと、何も言わず、私の隣まで歩いてくる。


 そして、そっと私の頭へ手を置いた。


「……泣いていい」


「……」


「今まで泣けなかった分まで、全部泣けばいい。誰も笑わないし、俺はどこにも行かない」


 その言葉を聞いた瞬間、また涙が溢れた。


「……本当に、ずるい人ですね」


「そうか?」


「そんなことを言われたら……我慢できなくなっちゃうじゃないですか」


「なら、我慢しなくていい」


 私は俯いた。


 そして、五年間ずっと胸の奥に押し込めていたものを、ようやく吐き出すように泣いた。


「……怖かったんです」


「うん」


「ずっと、私は誰にも必要とされていないんだと思っていました。父にも、家族にも……誰にも」


「……」


「何をしても褒められなくて、何を頑張っても見てもらえなくて、それでも領地の人たちが困っているのを知ったら放っておけなくて……でも、それをやっても誰にも知られなくて……」


 言葉が途切れる。


「それでも、いつか誰かが気づいてくれるかもしれないって、ほんの少しだけ期待していたんです。でも、そんな日は来なくて……」


 ヴァイスは黙って聞いていた。


 途中で口を挟むことも、安易な慰めを口にすることもない。ただ、私が泣き終わるまで、ずっと隣にいてくれた。


 それが、今の私にとってはたまらなく嬉しかった。


「……ヴァイス様」


「なんだ?」


「私、幸せになってもいいのでしょうか」


 自分でも、ひどく幼稚な質問だと思った。


 けれどーー


 五年間ずっと「幸せになる資格なんてない」と言われ続けた私にとって、それは簡単には答えの出ない問いだった。


 ヴァイスは少しだけ考えてから、私の目をまっすぐ見た。


「幸せになるのに、誰かの許可なんて必要ない」


「……」


「君が苦しんだ五年間は、誰にも返せない。奪われた時間をなかったことにもできない。だからこそ、これから先の時間まで誰かに遠慮する必要はないんだ」


 その言葉が、胸の奥に深く響いた。


「人は過去を変えることはできない。でも、過去にこれからの人生まで支配させる必要はない。君がこれから笑うたび、過去の五年間が無駄だったことになるわけじゃない。むしろ――そこまで歩いてきた君だからこそ、これからの幸せには意味がある」


「……はい」


 涙を拭いながら、私は頷いた。


「ありがとうございます」


「礼を言われることではない」


「それでも言わせてください」


 私は少し笑った。


「私の人生に、あなたがいてくれてよかった」


 ヴァイスは一瞬だけ目を見開き、それから困ったように笑った。


「……それは反則だろう」


「何がです?」


「俺まで泣きそうになる」


「騎士団長様でも泣くんですね」


「君の前なら、別に構わない」


 そう言って、ヴァイスは私の手を取った。


 大きくて、温かい手。四年前、国境へ向かう前に握ってくれたあの手と同じだった。


 けれど、あの頃とは違う。


 今度は、別れを前提とした手ではない。


 これから先もずっと繋いでいくための手だ。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


 もし少しでもスカッとしたり、ニヤッとしたりしていただけましたら、評価ポイントとブックマークをいただけると、次の話を書く一番の励みになります!


 まだまだ書きたいことがございますので、よろしければ作者フォローもしていただけると幸いです!


 それでは、また次のお話でお会いしましょう!

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