3話 騎士
「ハア。蛆虫野郎め」
ルシアの予想通り、エディットの想いは呪いとなって、アルバンに襲いかかってしまった。
その程度で済んだのは、ルシアの渡した香袋の守りが効いたからに違いない。
公爵令嬢という高貴な立場にもかかわらず、一介の伯爵令嬢へ吐露するぐらいだ。
異形に変わり果ててもおかしくないほどの、強い後悔や恨みだったはずである。
「ルシア、嬢?」
寝不足で充血したアルバンの目が、あきらかに怯えている。
「独り言ですわ」
婚約者でもない令嬢と親しくし、正式な手順も踏まずに人前で一方的な婚約破棄宣言。そのくせ病に倒れた途端、親しくしていた令嬢には「巻き込まれたくない」と逃げられ、孤独に寝込む羽目に。――万死に値するとはこのことだと、ルシアは眼前の王子を冷えた目で見下ろしながら、大きく息を吐く。
「殿下。女性を弄ぶのであれば、もっとお上手になさいませ。それもまた、王族の義務でしてよ?」
「ルシア嬢は……未熟なくせに、とは言わないんだ?」
どうやら、令嬢とのお茶会を勝手に開いたことをエディットに「王太子教育も満足にできていないのに」と責められ、逆ギレして「じゃ、別れよう!」とやったらしい。短慮の極みである。ルシアの視線が、寝ているアルバンの股のあたりを刺してから、顔へと戻る。
「……子種を残すのも王族の務めとはいえ、結婚前に見て気持ちの良いものではありませんわ。百年の恋も冷めるというもの。ちなみに、わたくしも断固お断りです」
ベッドの上から縋るような濡れた青い瞳を向けられても、ルシアの心は微塵も動かない。
「もしわたくしが同じ目に遭ったら……蛆虫野郎の蛆虫をヒールで踏み潰し、すり鉢に放り込んで、すりこぎ棒ですり潰して差し上げますわ」
アルバンがポカンとしたので、ルシアはダンッと床を踵で鳴らし、拳を手のひらにゴリゴリと擦り付ける仕草を見せつけた。
「ひっ!」
周囲の近衛騎士たちが、複雑な表情をしている。前々から『王子の女性関係』に手を焼いていたらしいので、当然だろう。
「不誠実とは、それほどの罪ですのよ。殿下は、エディット様の深い愛情に感謝なさいませ」
「はああ……うん、わかった。肝に銘じる」
「それでは殿下、心より『お見舞い』申し上げます。よく眠れますように――」
(これに懲りて、未来の妻だけを大事にしてくだされば)
ルシアはそう願いながら口の中で真言を唱え、用意していた紙札をベッドの枕元の、見えない部分へ貼り付けた。
○●
「ルシア嬢……具合でも悪いのか?」
「えっ。――あら」
思い出に浸っていたルシアは、いつの間にか馬車の前に立っていた。近衛騎士の紅い瞳が、心配そうに覗き込んでいる。
「少し働きすぎではないのか」
「ええと……大丈夫ですわ」
『お見舞い』の効果が口伝えで広まり、あちらこちらから「来てくれないか」と依頼が殺到している。だいたいが妬みや嫉妬、ストレスからくる微弱な淀みであるからして、清めの塩や紙札で十分な程度で、深刻なものはない。
しかしながら、彼らが安らかに眠れるのならば。それもまた、仕事として意味があるとルシアは考えていた。
宰相の計らいで正式な任務として取り扱ってくれ、依頼は宰相室が請け負い、給金も発生している。一人で生きていくには十分な額で、両親もようやく安心してくれたらしい。なにせルシアは『変人令嬢』という評判で、もうすぐ二十歳だというのに縁談の気配すらない。叔父の顔を立てつつ、助かった次第である。
「あの、今さらですが」
「なんだ?」
「お名前を伺っても、よろしいかしら?」
アルバン王子の部屋で近衛騎士を諌めてくれた礼ができていない、と今さら思い至る。
「! これは失礼。ジョスラン。ジョスラン・メレスだ」
「ジョスラン様。先日は殿下のお部屋で庇ってくださり、ありがとうございました」
「いやこちらこそ、あのような無礼なことを許してしまい、申し訳なかった」
「とんでもございません。わたくしが変人であることは、自覚しております」
ジョスランは紅の瞳をぱちぱちと瞬かせた後、ふっと細めた。
「貴女を変人などと思ったことはない。いつも誠実に任務を果たしているのに、感心している」
「身に有り余るお言葉、ありがたく頂戴いたしますわ」
「こちらこそ。剣凶の俺がエスコートで申し訳ない」
「けんきょう?」
「……知らぬのか。ならばいい」
言葉の意味を思い出すのに少し時間がかかったが、ルシアははたと思い出した。
「あっ! 南部に異常発生したビッグホーンの大群を、ほぼおひとりで倒されたという……?」
「知っていたか」
「ええ! その後、あまりに強すぎて恐れられ、閑職に追いやられたという噂」
凄まじい剣の腕を目撃した者たちが、自然と彼を『凶々しい剣の使い手』と揶揄しはじめたというのだから、皮肉だ。
どの世界でも、過ぎたる力は疎まれるのだな、と思った記憶があった。
「その通り。退屈だ」
「まあ、それは……そうですわよね」
王国は今、比較的平和だ。だからこそ、必要なのは力ではなく政治的な手腕。それでも、ジョスランのような人材がいると思うと、心強い。
「でも、ルシア嬢の護衛は退屈じゃない」
「そうですの?」
「ああ。今もそうだが……目に見えぬものと常に戦っているだろう?」
ジョスランの視線が、ふらふらと恨み顔で王宮を歩いていく、メイドの姿をした怨念を追っている。貴族に捨てられた無念だろうか。そのようなものが、ここには多すぎる。
「……っ! 見える方にお会いしたのは、初めてですわ」
「この目の色は、この世に非ざるもの。だから俺は、生まれながらに冥界に好かれている、とも言われている」
「……なるほど」
「ルシア嬢は、俺のことが怖くはないのか?」
「怖くなどありません。ジョスラン様に悪いものは憑いておりませんもの。お心が清らかだと分かりますから」
ジョスランの目が見開かれ、そして――ぐいっと、口角が上がる。
「立ち話も何だ。また今度、ゆっくり話がしたい。いいだろうか?」
「ええ、ぜひ」
ルシアはただ冥界の話に興味があっただけだった。
――が、それが『デートのお誘い』だったと気づいたのは、だいぶ後になってからのことである。




