あの子の顔って
「なあ、あんた、何者なんだ?」
「……どういう意味ですか?」
「いや、今朝の事件を見て、よくあんな平然としていられるよな」
ああ、そっちか。
そう見えていたならよかった。
あの場では、六日間でできた友情は崩れ、人を殺し武器を手に持った青年は、間違いなく私の敵だった。
そんな敵に油断の隙を見せたくない。
興奮状態で武器を持った敵にほんの少し恐れ、冷静に見えるよう虚勢を張っていたことがバレていないのなら、よかったと胸を撫で下ろした。
そして、目の前にいるこの男もまた私の敵である。
「葵は別に、怖くないです」
「そうか? 俺は時々あの爽やかな青年が怖く見えるよ」
「何故ですか?」
「何考えるのか、わからねぇからな」
ああ、と悟った。
最初はただの馬鹿と思っていた葵は、意外にも知恵があり、思いやりがあり、人を愛する心を持っていた。その反面悍ましい顔も持ち合わせていたが。それを知った時、葵もただの人なんだとがっかりした。
「そこまで私に話してもいいんですか?」
「おっといけねえ。これ以上は怒られちまう」
国見はキョロキョロと周囲を確認して、「それ、食べ終わったら下げてくれよ」と一言残し、部屋を後にした。
まあ、良くも悪くも素直な人なんだろうな。
怒られちまう、というのは恐らくアベルにということだろう。私には関係ない話だが。寧ろもっと話してくれた方が都合はいいが、この館での生活も明日で最後。余計なものは取り入れなくてもいいだろう。
*
昼食を食べ終えて空になった皿を下げに一階まで降りた。その間誰ともすれ違うことなかった。無論命を狙われることもなかった。
一階のフロアは何事なかったかのように、血の一滴残らず死体も片付けられていた。流石牧村だ、というべきか。
強いていうなら、柱に残った釘の跡が残っていること、赤が差し色のペルシャ絨毯が回収されていた。
そのことから、今朝あったことは現実なんだと実感する。
ほんの少し漂う鉄の匂いが今朝の記憶を更に甦らせる。
「疲れた」
つい、心の底の言葉が口を突いて出た。
ふと視線を感じ辺りを見渡すが、人の気配がしない。
――――誰?
そう思った時、その視線が生き物のものではないと気がついた。
「ハッ、何見てるの?」
無論、反応はない。
「私、貴方達が嫌いなの」
ソレをグッと睨みつけた。
「サリエルだっけ? それは好きよ。まあ、どうでもいいけど」
人によっては妖艶の如く美しいなど、腑抜けたことを抜かすだろうが。私には人を欺くもの、胡散臭い存在、悍ましいとしか思えない。
私は遂に頭がおかしくなってしまったのか、と頭に手を乗せた。羽の生えた人形のオブジェに話しかけるなんて。
――いいえ。私は正常だ。
後一日乗り切ればいいのだから、心が軽いものだ。
フロアで立ち尽くしていても、誰も部屋から出てくる気配がない。
「静かだな――」
まるで嵐の前の静けさのように。ここに最初から人が居なかったかのように、物音一つしない。館内はシーンと静まり返っている。
あんな事件が起きた後で、部屋で自粛するのが正しいのかもしれない。散歩がてらと誰もいないだろう談話室へ向かった。
談話室の部屋に入ると、案の定誰もいない。
相変わらず陽の入らない部屋は少しカビ臭い。古書店の匂いと一緒だ。
昔、年下の男の子と一緒に行ったことがある。小さいお店だったけど、いろんな種類の本があった。
その子は本が好きで、よく隣で推理やファンタジー、恋愛小説まで幅広く読んでいた。
懐かしいな、とノルスタジックな気分に浸る。
その子の影響も受けてか、私はよく本を読むようになった。私の人格が出来上がったのは、そのおかげとも言えるだろう。世の中には色々な人がいる、今は多種多様性の時代。本を読めば、こういう人もいる、とすんなりと受け入れられるようにななった。
そして、自分はこういう人になろう。と道標となった。
本はいつも私を正しい方向へ導いてくれるものだった。
この部屋の本棚をまじまじと見たのは初めてかもしれない。
その子が読んでいた本の内容までは覚えていないけれど、見覚えのあるタイトルや表紙が並んでいた。
大した記憶力を持ち合わせているわけではないが、以前杏奈に話した物語の本までこの部屋に置いてある。
あれは、あの子にお勧めされて読んだ本だった。
(趣味まで一緒なの……流石ね)
あれ? あの子、どんな顔してたっけ――――。
談話室を後にして部屋へ戻った。
スマホを見たり、呆けてみたり、窓の外を眺めて、陽の色が変わるのを眺めて時間を潰した。
それでもやっぱり暇には変わりなかった。
暇は嫌いじゃない、けれど暇を持て余して自分が腐っていく感覚は嫌いだ。
私は、はたと思い出した。杏奈はどうなったのだろう。母に挨拶が出来たのだろうか。あの様子ならアベルは杏奈に恵に会わせることはしないか。
アベルが杏奈の手を繋ぎ、禁断の部屋に入っていく様子が脳裏で再生された。
あの部屋には何があるんだろう。あの部屋は何故、絶対に入ってはいけないのだろう。
「ああ、いいことを思いついた」
あの部屋に行こう。
どうせ明日で最後だし、少しお邪魔するくらい許されるだろう。
ただ、アベルが部屋にいるかもしれない。となると門前払いされる可能性があるが、もし、門前払いを食らったら、また別の時間に再度試そう。
いや、門前払いの前に殺されるかもしれないのか。まあアベルは直接自分の手を汚すことはしないだろう。
あの部屋にも鍵は付いていないはずだ。一度ノックをして、返事がなければそのまま入ろう。
そうと決まれば、私は黒い服に着替え、部屋にあるサバイバルナイフをポケットに突っ込んだ。
(何かあった時の保険だ)
これを使わないことを願うが。
もう一つ、スマホをマナーモードにしてポケットにいれた。
準備をしながら私は思った。――――犯罪者になった気分だ。
そして、アベルの部屋へ向かった。




