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アベルの部屋

 護衛兵のごとく佇む二枚の扉の前に立つ。

 心臓がドクンドクンと大きな音を鳴らす。

 暑くないのに、背中と手が少し汗ばむ。

 ――――私は緊張をしている。


 何故ならこの館でアベルのルール上、ここは立ち入り禁止だからだ。

 思わず顔がにやけてしまう。緊張状態で感情が昂っているからか。それとも、これから立ち入るアベルの部屋で彼について何か知れるかもしれない、という探検気分なのか。


 ノックをする前に、扉に耳をつけて音を確認したが、部屋の中からは何も聞こえない。足音も声すらも聞こえない。

 不在ということか?


 扉を二回ノックするが、返答はない。


 扉を開けて、少しだけ顔を出して部屋の中を確認した。

 まるで人の気配を感じない。

 ――誰もいないってことだよね?

 周りを見渡してから、部屋の中へ足を踏み入れた。


(ふっ、本当に犯罪者になった気分)


 夜のせいもあって部屋の中は暗く、照らすものがないと歩ることも難しいほどだった。

 スマホを持ってきてよかった。

 スマホのライトで部屋を照らしながら辺りを見渡す。


 部屋の広さは私の部屋の八倍ほどの大きさでかなり広い。 家具は高そうなものばかりで、象嵌家具と呼ばれるものが多数置いてある。白く綺麗な家具など一つもなく、この部屋にはどれも古い家具ばかりだ。


 キングサイズのベッドはとても小さいアベルには似つかわしくない、と思った。

 牧村と二人で寝ているわけではないだろうし、寝相が悪くてベッドから落ちるので大きいサイズにしたのだろうか。

 

 四人がけのダイニングテーブル……すごく立派だ。

 大きな木を切って断面をコーティングしたようなデザインだ。庶民に優しい金額の家具が揃うインテリアの量販店には販売していないようなデザイン、高級家具だと素人目にもわかる。

 目先にライトを照らしながら部屋の中を見回す。


 壁には金色の額縁の大きな絵が掛けてあることに気がつき、ゆっくりと近づいた。

 絵の中には男女の大人と、男の子が二人がこちらを向いて微笑んでいる。

 私はスマホのライトで一人一人の顔をじっくり見つめた。

 どこかで見たような顔が揃っていて、皆似たような顔をしている。どう見ても同じ遺伝子を持つ人間が四人。

 一人の少年がアベルと瓜二つだと気づいた。

 いや、瓜二つではなくて、これはアベル本人だ。

 

 けれど、今のアベルより癖のない黒髪で、輝かしい目で、あどけない笑みを浮かべている。今よりも幼さがあるせいか、柔らかい表情をしている。

 何年前の絵だろう。

 人を魅了する容姿に変わりはないが、この頃のアベルは穢れ(けが)一つ感じない、真っ白な人間に見える。


 この絵は念の為、スマホの写真に収めることにした。

 目の保養、といったら笑われるかもしれないが。

 

 部屋に置かれた家具はどれも立派だけれど、一番、目に留まるのはこのソファーだ。

 アンティークのカウチソファー。細かい彫刻された金色フレームと、緑が差し色の花柄が刺繍された生地のソファー。

 そっと手を触れて、撫でた。やはり、とてもいい触り心地だ…………。

 

「ん? 何これ」

 黒い染みが付いている。

 手で撫でてみると、そこだけ生地が硬い。カピカピに固まった何かがこびり付いている。

 ――――血?


 一瞬、心臓が跳ね上がった。鬼じゃあるまいし、血を見ただけで何を興奮しているんだか。今朝恵と誠の血の量を見れば、こんな少量なんてことないはずなのに、密室空間で敵の部屋という状況が更に私に恐怖を植えつける。


 なんでこんなところに血がついているの?

 この部屋で何かが起きた?

 いや、ここ数日のものではないのかもしれない。血は古くなればなるほど色が変化するらしいが。赤から茶に、そして黒に変わる。

 これはどれほど前の血だ?


 ふと、いろんな考えが頭の中を巡る。

 この館で殺された人たちはどこに行った?

 死体はどこへ隠した?

 まさかこの日本で土葬するわけもないし、火葬するにしても何処で?

 ここで人を焼いた特有の匂いを感じたこともないし、冷凍保存する技術はないし、そもそもそんなこと、ただの殺人犯達ができるわけない。

 なら、皆は何処にいった?


 この部屋で何かをしていた?

 だから、立ち入り禁止にした?


 あれこれ考えているうちに我に返った私は、何故ここに一人で来たんだと、後悔した。

 そもそも危険行為だ。

 ソファーにこびり付いた血を見て我に返るとは。

 吸血鬼であれば、血を見て我を失うものだが、己が吸血鬼ではなく、紛れもなく人間だということに安心感さえ感じる。意味のわからない思考が芽生えてきたところで、足早に部屋を出ようと扉へ向かったその時――。

 扉が開いた。


 私は咄嗟にソファーの影に隠れた。我ながら少々無理はあると思うが、今の私にはこれが精一杯だった。

 部屋の明かりがついて、心臓が潰される思いだ。


「頭隠して尻隠さずですか?」


 まあ、そうだろうな。そりゃバレるよな。

 無事隠れて過ごせるとは思っていなかったが、尻が出ていたとは羞恥だ。

 それよりも、この場で殺されるかもしれないという恐怖心で、背に汗が滴る。

 何故ならここは、館のルール三つ目、絶対に入っていけない立ち入り禁止の部屋だからだ。

 

 どうしようか。どうこの場を乗り切ろうか。思考を巡らせていると、アベルは気味の悪い笑みを浮かべて言った。


「ようこそ。いらっしゃい」

 


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