表現の自由
円を描くのは難しい。
左右対称に描きたいのに、どちらが歪んで歪な形になってしまう。コンパスがあれば楽に描けるのに、この部屋にそんな便利な物はない。そもそも絵は芸術、歪でもそれが芸術、それすら価値となる。プロでも全く同じ絵を2枚描くことはできないという。――自由に表現をする。
とはいえ神経質な私は綺麗な円を描きたい。私の中の完璧を作り上げたい。
消しゴムで何度も消しては丸を描く。そこから一向に進まない私に見兼ねた誠は助言をした。
「丸の大きさを決めてから上下左右に点を描いて印をつけるんだ。点を繋げるように描けば上手く丸が描ける。それと、君は手首だけを動かしてる、そうじゃない。肩を動かすんだよ。それだけで大分綺麗な丸が描けるはずだ」
誠の助言通り、丸の大きさをを決めて、上下左右に印の点をつけた。肩を動かして点と点を繋げるように描く。
「あ、上手く描けた」
横目でチラリとコチラを見て、得意げに含み笑いする誠に私は「ありがとう」と一言添えた。
順調に筆を進めていき、そろそろ色塗りに差し掛かる頃、ふと周りを見渡した。
瑠夏は平然と筆を動かし、葵は顔を顰めながら一向に筆を進めていない。一体何を描いているのだろう。
菊は「懐かしいでしょ? これは昔一緒に育てたガーベラよ」と呟きながら描いている。横で微笑みながら「美しい赤だ」添える時治。二人の思い出話をしながら描く絵は、さぞ美しい作品となるだろう。
隣の杏奈の絵を覗くと、一人の男の姿が描かれていた。
一瞥したところ、男性ということから創を描いたのかと思ったが、日本に馴染みのない服装に、頭に付いた黄色の冠を見るに、創ではなく、別の男だろう。
杏奈が描いたのは謎の異国の男。
「杏奈ちゃんは、誰を描いたの?」
「わからないですか? 美紀さんがよく知ってる人だと思うけど」
私がよく知る人……。
私がよく知る人の中に、この絵の中の人物がいただろうか。
ふふっと剽軽に笑う杏奈に「ごめん。わからないんだけど……」と私は苦笑いした。
「美紀さんが教えてくれた物語の王子様ですよ」
はたと思い出した。空想の人物、わかるはずがない。
私が杏奈に教えた物語の王子様。想像だけで物語の登場実物を描くとは、子供らしい一面の表れなのか、これもまた凄い才能ではないか。この発想は中々できないだろう。幼いながら賢く聡明なだけある。
「もし、現実世界にいたらこんな感じなんだね」
杏奈の描いた王子様を凝視すると、何故か既視感に駆られる。見たことのない絵のはずなのに、架空の人物のはずなのに、私の目には王子の顔がアベルに見えてしまうのだ。
――彫刻のように整った顔立ち、真っ黒な髪の毛は所々悪戯のように跳ね、口角は上がっているのに、正気を失ったような目は真っ黒に塗りつぶされている。
たった九歳の画力とは思えないほどに上手く再現されている。
「この王子様って、アベル?」
「流石です。よく見てるだけありますね」
「……私ってそんなにアベルのこと見てるかな?」
「少なくとも、ここにいる誰よりも見ていると思いますよ。私ですら気づくくらいですから」
以前にも同じようなことを瑠夏に言われた覚えがある。だが、私自身アベルにばかり視線を向けた自覚はない。そもそも館の主人に視線をやるのは不自然なことではないだろう。この絵の中の王子様は誰が見てもアベルと瓜二つだ。
「そんなことないんだけどね」
何故か悪いことをした気分になり、誤魔化すように呟いた。
色塗りを終え、私の描いた絵が完成した頃、皆もすでに自分の絵を完成させていたようで。私は筆を置いて、凝り固まった肩を回した。
思いの外集中していたようで、疲労が溜まった。
アベルは手を二回叩いてデッサン終了の合図を出した。
「皆さんお疲れ様でした! そろそろ書き終わりましたでしょう! 皆さんの素晴らしい作品を見せてください! それでは斉藤菊さんからどうぞ!」
菊はキャンバスを両手に持ち、私達に見せるように向けた。
キャンバスには絵を描く前の白色が、一面カラフルな花で埋め尽くされていた。
「菊さん、これは?」
「これはガーベラという花です」
「随分カラフルにしましたね〜」
「はい。今ではもう植えなくなってしまいましたが、二年までは家の庭に色々な色のガーベラを植えていました。それはそれは綺麗で……」
そう語る菊からは、懐かしさ、そしてどこか儚く恋しいという感情が伝わってくる。昔の初恋相手でも思い出すかのような、加えて憂いを帯びた表情をした。
「ほ〜、何故植えなくなってしまったのですか?」
いつも穏やかな菊が表情を崩した瞬間だった。
アベルの問いに、目を見開き口をぱくぱくとさせて絶句している菊は、明らかに様子がおかしかった。
「ん? 菊さん?」
何か企みがあるのか、わざとらしく菊に追い打ちをかけるようにアベルがもう一度問う。
「何故――」
「土が良くないんですよ」
アベルの問いに被せるように、時治が言った。
「土が、ある日突然変わってしまったんです。水捌けが悪くなって、花が腐ってしまうようになったんですよ」
アベルは伏せた目でいう。
「そうでしたか――」
「いや〜土も人と同じで古くなると、ダメみたいですね〜困ったもんですよ」
「それはそれは残念です。急に土が変わることなんてあるんですね〜」
「ええ。本当に」
時治はにっこり笑うと、菊の背中を支えながら言葉を続けた。
「婆さんの体調が悪くなってしまったようなので、私らはこれで失礼します。皆さんそのまま続けてください」
と残して、時治は菊の手を取り談話室を後にした。
淀んでしまった空気の中、アベルは再び手を二回叩いて絵の発表を再会した。
「では! 気を取り直して、瑠夏さんの絵を発表してください!」
「は〜い! じゃーん! 私が描いたのは〜」
両手でキャンバスを持ち、私達に向けたその時――思わず目が点になった。




