別人
今回のイベントは誠の趣味の一つである、絵を描くこと。
アベルの要求は美しいものを描くこと、それを皆で共有すること、だ。
美しい、と思うもの……何があるだろうか。と悩む私に背後からアベルが声をかけてきた。
「美紀さんは、何かを見て美しいと思ったことがないですか?」
「……いや、あったと思う。でも急に言われても思い出せない」
「では、好きな食べ物はなんですか?」
「ゴーヤとピーマン……銀杏かな」
「銀杏! いいですねえ! 甘露煮や茶碗蒸しに入れたら甘くなって最高に美味しいですよね〜」
「いや、それ間違ってる、ありえない」
「え?」
アベルは俄かに驚いた表情をした。
「火熱して殻を剥いて、そのまま食べる。それが銀杏の美味しい食べ方だよ」
「あ〜そうでしたか! 美紀さんはこだわりが強いですね〜それは失礼いたしました。そこまで好きなら銀杏を描いてはどうでしょう?」
「銀杏か……」
正直好きな食べ物ではあるが、美しいと思ったことはない。
ゴーヤもピーマンも口に入れれば、胃の中で消化していずれ汚物として消えるものだろう。
いっそ、アベルが言うように死体でも描こうか。と考えていた時、天から降りてくるかのように、頭にあるものが浮かんだ。
決めた。これを描こう――。
美しい、そして私の好きなものを――。
キャンバスを前にして座り、カッターナイフで削られた鉛筆を右手に持った。まずは下描きだ。
無論私には絵の才能など無いが。
学校で美術部の部員が話しているのを聞いたことがある。盗み聞きではない。ただ自然と耳に入ってきただけの会話。
『絵は自由に描いたらいい。自分を表現する場所だから』
今となっては美術部の部員の顔すら忘れてしまったが、その言葉に感銘を受けたことを覚えている。
『自分を表現する場所』それは是非いつか足を踏み入れてみたい、と思っていた。
とはいえ、今まで絵を描こうと行動したことはなかったが、この気に始めてみるのもいいと筆を動かした。
鉛筆を動かしていると、案外ゴワゴワしていて描きずらいものだ。けれど、絵を描くというのは、他に集中しなくて済むし、心が洗われるような気になる。
自分の好きなものを描いているせいか、案外楽しいとも思えた。
ふと、隣に視線をやると、誠は既に下描きを終え、色を塗りはじめるところだ。
背景は白のまま、丁寧に一線づつ描かれている。それは私の目に十字架のよう写った。だが、それで終わりではないような……十字架の上に何かが載っている。
「そんなにジロジロ見られると……」
「あ、ごめん。描くのが早いなと思って」
「慣れてますから」
デッサンが趣味である誠は、今までどれだけの時間を費やし絵を描いてきたのだろう。何十回、何百回と背景や動物、それに人間を描き続けてきた誠が、ここにいる誰よりも早く筆を進めることができるのは何よりも証拠だ。
「何を描いているの?」
「色を塗らなきゃわかりませんか?」
何を描いているのか、何となくわかる。
ただ――。
「答えたくありませんか?」
「…………そうかもね」
「なら、完成まで楽しみにしていてください」
(何?)
誠との会話の最中、数々の違和感を感じた。
誠はこんなにも活発に話す人間だったか? 誠の印象は、館に来た当初から殆ど変わらない。陰湿で幸薄そうな同い年の男の子。話す時の篭る癖があり、声が小さい。そしてアベルと会話を交わすと、少し嬉しそうに笑みさえ溢す。
それなのに、この部屋でデッサンを始めると、人が変わったように、堂々とした顔つきで、ハキハキと話す姿はまるで別人のようだ。
ジロジロ見るなと言われても、やはり気になってしまう。誠の絵には、恐らく残酷で、言葉にしたくないほどのものだ。これから色を塗るというのに、完成が近づくにつれて恐怖を感じさせる。
私の予想が当たっているなら、たった一枚の絵でこの部屋と皆が氷のように固まり、背筋が凍るような恐怖に陥れる事になるだろう。




