70 舞踏会の終わりと再会
グレースとアーヴェントが出掛けてから、どれくらいの時間が経っただろう。
確実に三十分以上は経過しているだろうが、さして気にすることも無く、アーティは手摺りに腰掛けながらのんびりと二人の帰りを待っていた。
待っている間、サイラスが魔法で生み出した鳥が現れ、事情を説明すると周囲を飛び回った後にどこかへ飛び去っていった。
あの鳥もどこまで飛んでいったのか。
そんな事をぼんやりと考えていると、鳥が再びアーティの目の前に現れた。
「アーティ様。殿下とグレース様ですが、そろそろ戻られるかと」
サイラスの声で囀る鳥は、手摺りに止まるとアーティにそう話しかけた。
「分かりました。教えて頂き有難う御座います」
「元はと言えば殿下がグレース様を連れ回しているのが原因ですので。お待たせして申し訳ありません」
小さな頭をぺこりっと下げられ、アーティは小さく笑みを零した。
元より全く気にしてなどいないが、愛らしい謝罪の姿に責める気持ちが湧くはずもない。
「待つのは苦ではありませんので、俺のことはどうか気になさらず。それより、帰りの馬車を準備しておいて貰えますか?」
「了解致しました。お帰りは……やはりこちらからでしょうか」
サイラスは少しだけ考える素振りを見せた後、庭園の方に体を向け、下を覗き込む。
アーヴェントがグレースを抱えて、飛び降りて行った方向だ。
「えぇ。そちらには行けそうにありませんから」
アーティは、テラスの唯一の出入り口であるガラスの扉に視線を向ける。
扉の向こう側で、一体何人の人間がこちらに意識を向けているのか。
(ドリンクの味は知って貰えたし、王妃様に会えた。姉さんも殿下と話す時間が取れたし、これ以上居てもな。リヴェルに、王妃様にちゃんと渡せたことも早く伝えたいし)
舞踏会に来た目的は果たした。グレースも、これ以上の長いは望んでいないだろう。
何より好奇の視線が集まる中に、グレースを飛び込ませる気は毛頭ない。
「下に降りる手筈は──」
「飛び降りるんで大丈夫です」
ある程度の高さはあるが、アーティにとって飛び降りることができない高さではない。
「では、乗り場までの案内を用意しておきます」
「手間をかけて申し訳ありません。有難う御座います」
「滅相もありません。それが私共の仕事ですから」
恭しく頭を下げると「それでは、失礼致します」と、サイラスの鳥は霧のように消え去った。
(優秀だからこそ気苦労が絶えなそうな……マウロに似てるな)
こちらが困らないように常に気をまわし、スマートな立ち回りでサポートをしてくれるが、裏での努力を見せることはない。
サイラスに感じた印象にマウロを重ねていると、庭園に二つの人影が見えた。
「お、戻ってきた」
やっと戻って来た待ち人を迎えるべく、アーティはグレースの杖を片手に手摺りを飛び込えた。
軽々と着地して、二人の元へ駆け寄っていく。
「おかえりなさい。二人とも」
「ただいま。アーティ」
「ただいま。遅くなって悪かった」
何事もなかったかのように答えるグレースに、感じる僅かな違和感。
姉弟だからこそ感じる何かを察したアーティは、静かな視線をアーヴェントに向ける。
その視線に気づいたアーヴェントは首を横に振り、変なことは何もしていないと、無言の意思表示を目で訴えた。
(嘘ではなさそうだけど、確実に何かはあった)
「アーティ? どうかした?」
「何も。はい、杖」
グレースの様子から察するに、傷つけられたり、悪いことがあったわけではなさそうだ。
アーヴェントに追求の視線を送ることを止め、アーティはグレースに預かっていた杖を渡すと、グレースの髪についた小さな葉をみつけて優しく取り払った。
「姉さん。頭に葉っぱついてる」
「わわっ、さっき蜘蛛の巣に引っかかった時かしら」
「なんで蜘蛛の巣に?」
軽い散歩にでも出たのかと思っていたが、一体どこに連れて行ったのか。
アーティが再びアーヴェントに訝し気な視線を送ると、アーヴェントは「わ、悪い!」と、声を上げた。
「俺が近くの物置小屋に扉を繋げたせいだ」
霊園から戻る際、庭園を整備する時に使われる物置小屋に扉を繋げたのだが、先に扉を通ったグレースが蜘蛛の巣に引っかかってしまったのだ。
「アーヴェントさんは何も悪くありませんよ。アーティも、蜘蛛の巣くらいなんて事はないから大丈夫。もう何もついてない?」
「大丈夫だと思うけど」
笑いながら髪を整えるグレース。
アーティは、グレースの腕につけられた見覚えのないブレスレットに目を止めた。
「姉さん、そのブレスレットは?」
「! そうだ、これっ──」
「おっと、返すだなんて言わないでくれよ?」
グレースは、思い出したようにブレスレットをアーヴェントに示した。
だが、言葉の先を予想していたでであろうアーヴェントに釘を刺されてしまう。
「ですが、アーリベル様がアーヴェントさんに遺したものを私が頂くわけには……」
「それは違う。母様は俺に遺したんじゃなく、預けたんだ」
アーリベルがアーヴェントに遺した物は沢山ある。
その中で、このブレスレットだけが「いつか現れる誰かに」と、託されたものだ。
アーヴェントのものではない以上、身に着けるわけにもいかない。しかし、部屋に置いておけば万が一にでも盗まれる可能性もある。
だから、隠した。考えられる限り、最も安全な場所へ。
「また墓の下に戻すより、グレースが身に着けていてくれた方が母様も喜ぶと思うし……あ、もしかしてデザインが気に入らな──」
「そんなわけありません!」
グレースが咄嗟に否定すると、アーヴェントは、にっと口角を上げた。
「なら良かった。嫌なら外してくれて構わないから、受け取ってくれ」
その笑顔に、グレースはそれ以上何も言えなくなってしまう。
「さて、流石にそろそろ戻らないとな。二人はどうする? 一緒に戻るか?」
「いえ、俺達はこちらで失礼します。最初から長居するつもりはありませんでしたし。な、姉さん」
「え、えぇ。本来の目的は果たせましたし、戻ってもゆっくり舞踏会を楽しむとはいかないでしょうから」
「まぁ、そうだよな。残念だが仕方ない。じゃあ、サイラスに──」
「サイラスさんには、既に馬車をお願いしてあります。乗り場まで案内を用意してくれると」
「そうか。じゃあ、大丈夫だな。それじゃ、また今度。二人とも気をつけて帰れよ」
アーヴェントはそう言うと、軽々とテラスまで跳躍した。
「あ、有難う御座いました! アーヴェントさんもお気をつけて!」
着地を見届けてグレースが叫ぶと、ひらひらと手を振り返して、アーヴェントはテラスの奥へと消えて行った。
「大丈夫かしら、アーヴェントさん」
「魔法で身体強化もかけてるみたいだし、いざとなったら人込みくらいちぎっては投げ、ちぎっては投げ……」
「それは流石に力業が過ぎるんじゃないかしら」
「冗談だよ。まぁ、俺らより社交に長けてるだろうし大丈夫だと思う」
「そうね。心配する方が失礼よね」
あの扉を開いた瞬間、王太子の顔に戻るのだろう。
集う視線をものともせず、何食わぬ顔で会話を交わす姿が目に浮かぶ。
(……さっきまでの事が、全部夢みたい)
けれど、手首を彩るブレスレットが夢ではないことを証明している。
光を反射して小さく輝きを放つブレスレットに、グレースは優しく触れた。
「失礼致します」
背後から掛けられた声に振り向くと、群青の髪の青年が軽く頭を下げ、そこに佇んでいた。
正装から王宮の人間だと分かる。
「サイラス様から案内を承り、参上いたしました。お待たせして申し訳ありません」
「あ」
頭を上げた青年の顔をみたグレースの口から声が零れた。
思わず漏れ出てしまった声に、グレースは慌てて口をふさぐ。
「貴方は……」
青年の方もグレースを見て、何かに気付いたかのような表情を浮かべた。
「知り合い?」
二人の反応を見て、アーティはグレースに問いかける。
「えっと、知り合いという程ではないのだけれど……」
ブラムの病院で開かれた祭りで、グレースは青年に会った事がある。
車椅子の老婆を連れてブラムの元を訪ねていた青年、フェルダーだ。
「以前、ブラム先生の病院でお会いしましたよね?」
「はい。その節は、ご迷惑をお掛けしたにも関わらず、ちゃんとご挨拶もできず申し訳ありませんでした。フェルダー・リンダーソンと申します」
「グレース・リー・オルストンと申します。こっちは弟のアーティ。迷惑だなんて思っていませんから、どうか気になさらないでください」
「痛み入ります。馬車までご案内致します。どうぞ、こちらへ」
姿勢正しく、先行して歩き始めるフェルダーの後ろをグレースとアーティは並んで歩く。
フェルダーの口調や立ち居振る舞いに、年が近いとは思えないなと、グレースは感心していた。
(病院で会った時も思ったけれど、落ち着いた方ね。でも、この若さでソレアさんの面倒を一人でみてるだなんて)
フェルダーは師であるソレアに恩があり、年老いて認知症を発症したソレアの面倒をみていると、フィグとブラムからグレースは聞いていた。
大人であっても、人ひとりの介護は容易ではない。
まして、体の自由が利き難く、認知症も発症している老人となると尚更だ。
(ソレアさんの様子とか、色々と気になるけれど病院で少し会った程度の私が心配するのはお節介よね……。迷惑な老婆心は出しちゃ駄目、今日は伯爵令嬢なのよ。落ち着くのよ、善子)
アーヴェントが二人から逃げるように立ち去った理由を聞いた流れで、ソレアとフェルダーの事を知ったとはいえ、知った顔で色々と尋ねられるのはフェルダーにとって不快でしかないだろう。
グレースは心の中で、疼く前世の自分に言い聞かせた。
「……オルストン様。失礼ながら、ひとつお尋ねしても宜しいでしょうか?」
心配を必死に抑えていると、フェルダーに声を掛けられた。
まさか迷惑なお節介が見透かされでもしたのだろうか。
グレースは動揺を隠し、平静を装い答える。
「えぇ、勿論。何でしょうか?」
「オルストン様は、高齢のご家族と共にお住まいなのでしょうか?」
予想していなかった質問に、グレースとアーティは思わず顔を見合わせた。
高齢というと祖父母が思い浮かぶが、共に住んではいない。二人ともバートに家督を継いで、世界を旅してまわっている。
「我が家に高齢というほどの年の者は居ませんが、どうしてそんなことを?」
質問の意図が掴めず、不審に思ったアーティーが口を開いた。
「以前お会いした際、グレース様の我が師に対する対応が手馴れていらっしゃったので、気になっておりました。グレース様、私が連れていた車椅子の老婆を覚えていらっしゃいますか?」
「勿論。覚えていますわ」
ソレアが落としたひざ掛けを拾い上げて渡した際、ソレアはグレースの事を誰かと勘違いしているようだった。認知症であるソレアの勘違いを正すのではなく、グレースは受け入れて会話する方を選んだ。
「グレース様には、師の勘違いにも動じずに対応して頂きました。それで、もしかしたらご家族に似たような境遇の方がいるのかもしれないと……。不躾な質問で不快にさせてしまい、申し訳ありません」
フェルダーの質問の意図に納得し、グレースは首を横に振る。
「不快だなんて思っていません。ですが、そうですね。私がそうだったので、関心があったというか、近しい気持ちが分かると言いましょうか」
「そう、とは?」
首だけを後ろに向けて、フェルダーは不思議そうな視線を投げかけた。
「私、前世では九十八まで生きましたので」
驚いたように目を見開いたフェルダーに、グレースはにっこりと微笑む。
「幸いなことに、前世の私にはフェルダーさんのお師匠様のような症状は現れませんでした。けれど、友人達の中には患う人も少なくなかった。私の事を誰かと勘違いしていたり、忘れられていたり」
「それは……辛くありませんでしたか?」
「最初は寂しかったですよ。でも、致し方ないことだと受け入れるしかなかった。だから、初めましてから始めました」
「初めましてから?」
「えぇ。忘れられたなら、また名乗ればいい。勿論本人の体調や様子も日ごと違うので拒絶される事もありましたけれど、私の寂しさや悲しみなんてものは、本人の病状には何ら関りありませんから」
グレースは、認知症を発症した友人の元に足を運んでいた前世の日々を思い出す。
名前や関係は忘れても、共にした手遊びを覚えてくれていた。それだけで、嬉しかった。
そのうちに、友人家族が施設に友人を入れることを決め、気軽に会いに行くことは出来なくなったが、彼女の元に通った日々に後悔など一つもないと善子は断言できる。
「お若いのに落ち着いた方だと思っていましたが、話を聞いて納得致しました。グレース様は、強い方ですね」
「ふふっ、ただ人よりも少しだけ長く生きた記憶があるだけです」
フェルダーさんも十分落ち着いていらっしゃいますよと、喉まで出かかった言葉を飲み込んで、グレースは微笑む。
そのまま道を進んでいくと、前方に馬車の姿が見えてきた。
「ここまでで大丈夫です。お忙しい中案内して頂き、有難うございました」
「いえ、これも仕事ですので」
振り向いたフェルダーは、姿勢正しく一礼した。
「フェルダーさん。お師匠様のお名前をお聞きしても?」
「ソレア・リンダーソンですが……」
本当は知っているが知らないふりをしてグレースが尋ねると、フェルダーは少しだけ訝し気に答えた。
「私は病気を治すことはできませんが、ソレアさんの事で何か思うことがあれば話を聞くぐらいはできます。息抜きの話し相手が必要な時はいつでもお声がけください。一緒にお茶でもいたしましょう?」
「それは……有難いお言葉ですが、流石にご迷惑ではありませんか?」
フェルダーの言葉にグレースは「いいえ」と、首を横に振った。
「ただの老婆心ですからお気になさらず。若い人が困っていると手を貸したくなるものなのです」
「老婆心……」
「姉さん。善子さんが出てる」
「あら、いけない」
不思議そうに呟くフェルダーとそれを見たアーティからの注意を受けて、グレースは自身も若者であるという事をすっかり忘れていた事に気付く。
誤魔化すように咳ばらいをひとつすると、グレースはにこやかに微笑んだ。
「それでは、私達はこちらで失礼致します。行きましょう、アーティ」
二人は一礼して、フェルダーの横を通り過ぎる。
「あの」
立ち去ろうとする背に掛けられた声に振り向くと、フェルダーは開きかけた口を閉じて、二人へと向き直る。
「……貴重なお話を有難うございました。お気をつけて、お帰りください」
改めて見送りの挨拶を口にすると、フェルダーは丁寧に頭を下げた。




