69 託された形見と君への想い
シャナに見送られて温室を出たグレースとアーヴェントは、霊園へと戻ってきていた。
(凄い人に会ってしまったわ……。街中で予期せず芸能人に遭遇するってこういう感覚なのかしら)
前世でそんな偶然に巡り合ったことはないが、きっと似たようなものだろう。
存在は知っていても、近距離で会話をすることが叶う人物だとは思ってもいなかった。
突然の出会いに感動を噛みしめるグレースの脳裏に、白いライオン姿のシャナが浮かぶ。
(……教皇様は、人ではないのかしら。でも、獅子に変身していただけという可能性もあるし)
シャナの二つの姿を目にしたグレースの胸中に、不安が募る。
果たして、あの獣姿は自分が目にして良かったものか、と。
「…………」
「大丈夫か? グレース」
考え込むグレースをアーヴェントは心配そうに覗き込んだ。
「! あ、えっと……すみません……。まさか教皇様に会うとは思っていなかったので」
心配の眼差しに大丈夫だと笑顔で返し、グレースは感じた不安を確かめるべく、恐る恐る尋ねた。
「あの、アーヴェントさん。教皇様は、人ではないのでしょうか? 私が目にしたお姿は、重要な機密事項だったりするのでは……」
すると、アーヴェントは「んー……」と、考え込むような素振りを見せながら歩き始めた。
その隣に並ぶように、グレースも歩みを進める。
「シャナのあの姿は、人型の方が人間は接しやすいだろうっていう理由で、変化したのがきっかけらしい。そのまま人型が定着してしまったから、言うに言えない状況になってしまった。て、前に言ってたよ。だから、隠しているわけでもないんだと」
「なるほど。だから、私に見られても焦る様子もなかったんですね」
隠しているならば、目の前で変化するところを見せるわけがない。
「昔は、フィグやシャナみたいに記憶転移症で魔力を持ってる獣も少なくて、奇異の目で見られることも多かったからな。まぁ、シャナは微塵も気にしてないだろうけど、一応口外禁止で頼む」
誰に言うつもりも無いが、言ったところで誰にも信じて貰えないだろうなと思いつつ、グレースは「分かりました」と、頷いた。
「と、行き過ぎるところだった」
アーヴェントは、一、二歩後退し、ある墓石の前で立ち止まった。
墓石には”アーリベル・レイ・アルバディオン”と、アーヴェントの実母にして、前王妃の名前が刻まれていた。
「こちらは、アーリベル様の……」
「あぁ。毎朝拝みに来てるんだが、折角来たしな。母様、グレース連れてきたぞ」
アーヴェントはそう言って、軽く手を合わせた。
「あの、私もご挨拶して宜しいですか?」
「もちろん」
グレースは、墓石の前にしゃがむと両の手を合わせて瞳を閉じた。
(初めまして、アーリベル様。私、グレース・リー・オルストンと申します。ライラの娘です)
アーリベル・レイ・アルバディオン前王妃。
病によって若くしてこの世を去った彼女は、ライラの親友だった。
アーリベルについて多くを語ることは少ないが、事あるごとに城下にある彼女の墓を参るライラを見て、とても大切な存在だったのだとグレースは知っている。
(母ではなくて申し訳ありませんが、母の分も手を合わせることをお許しください。そして、アーヴェントさんには大変お世話に──)
ライラの事、アーヴェントの事、伝えたい事が次から次へと溢れだし、簡潔に伝え終わるころには確実に五分が経過していた。
(はっ、私ったらつい長々と……! アーヴェントさんは……)
手を合わせ終えたグレースが顔を上げると、隣にアーヴェントの姿がない。
周囲を見渡すと、数列後ろの墓石の前に佇む姿があった。
「アーヴェントさ──」
グレースは、駆け寄る足を止めた。
(どうしよう。声をかけても大丈夫かしら)
手を合わせるでもなく、眼前の墓石を見下ろすアーヴェント。
静かに見つめ続けるその表情は、死者を偲ぶでも、悲しむでもないように思えた。
声を掛けるのを躊躇いながら静かに近づいていくと、ようやっとグレースに気付いたようでアーヴェントは顔を上げた。
「グレース」
普段と変わらない調子で名前を呼ぶアーヴェント。
その姿に安堵して、グレースは側に駆け寄った。
「悪い、離れて。真剣に手を合わせてくれてたから、邪魔になっちゃ悪いと思って」
「私の方こそすみません、お待たせしてしまって」
「いや、全然。むしろ、あんなにしっかり手を合わせてくれると思ってなかったから、きっと母様も喜んでるよ。ありがとな」
待たされたことなど微塵も気にしていないようで、笑顔を向けるアーヴェント。
いつも通りの様子に、感情が伺えない表情を向けられていたこの墓石の人物は誰なのだろうかと、グレースは疑問を抱いた。
「こちらのお墓も、アーヴェントさんのお知り合いの方ですか?」
「知り合いというか、俺だな」
「え?」
言葉の意味が理解できず、グレースは思わず疑問の声を上げた。
「これ、俺の前世」
墓石を指さしながら、さらりっと答えるアーヴェント。
「………………えぇ!?」
理解に数秒の時間を要したグレースの反応を面白がるように、アーヴェントは笑った。
「やっぱ、驚くよな。名前は、ダレス・ドウェイン。俺の前世だ」
「ダレス・ドウェイン……ダレス……」
墓石には、確かにそう名前が刻まれている。
アーヴェントの前世についてグレースが知っているのは、騎士であったという情報だけだ。
王室から公表されている情報はそれだけで、名前や詳細は明らかにされていない。
しかし、どこか聞き覚えのある響きに、グレースは記憶を探るように名前を反芻した。
「……もしかして、英雄ダレス?」
「…………知ってたか」
グレースが何かを思い出したように呟いた言葉に、アーヴェントは苦々しい表情を浮かべた。
そんなアーヴェントとは裏腹に、グレースは一気に瞳を輝かせる。
「本当に? 本当にあの英雄ダレスなんですか!?」
「うっ……恥ずかしいから、英雄はやめてくれ。そんな風に呼ばれるほど、大それたことはしてない」
「ダレスが居なければこの国は他国に侵略され、今頃存在していなかったと言われるほどの人物ですよ!? してます、大それたこと!」
「いやー、俺以外にも凄い奴は居たし、戦うしか能がなかっただけで……というか、よく知ってるな。大昔の人間だぞ?」
「母が昔、劇団でダレスの話を演じたんです。実在する偉大な英雄だと、父がダレスの功績を教えてくれました」
英雄、ダレス・ドウェイン。
今のエトラディオ王国があるのは、彼のおかげと言っても過言ではない。
何代も前の王の時代、今よりも小国だったエトラディオ王国にも戦火が降る時代があった。
ダレスは国に使える騎士であり、多くの戦で活躍し、生涯をかけて国を守ったとされている。
一騎当千の彼の活躍ぶりは、軍神または英雄と呼ばれ、後世に語り継がれるほどだ。
「母が演じるダレスが格好良くて大好きで、幼いながらにとても記憶に残っています」
「有難いような、申し訳ないような……滅茶苦茶恥ずかしいな」
グレースの羨望の眼差しから逃れるように、片手で顔を覆うようにして照れを隠すアーヴェント。
そんなアーヴェントに笑みを浮かべながらもグレースはふっと疑問に思い、ダレスの墓に視線を移した。
「でも、どうして此方にお墓があるんですか? ダレスは王族の血筋ではありませんよね」
「生涯独り身で、親類縁者も居なかったからな。国の英雄を城下の共同墓地に入れる訳にはいかないってことで、ここに墓を建ててくれたらしい。俺以外にも、そういう身の上の人間が何人か眠ってるよ。といっても、俺はここに居ないけど」
「居ない?」
アーヴェントはその場にしゃがみ込むと、隣においでと言いたげに手招きした。
グレースが隣にしゃがむと「見てな」と、アーヴェントは墓石の前に片手をついた。
アーヴェントが小声で何かを呟くと地面に魔法陣が浮かび上がり、重たい音を立てて石床が動き始める。
(石が……! )
徐々に露わになっていく墓の下には、棺か骨壺が納められているはずだ。
開けてるのが本人だとしても人様の墓の下を直視して良いものか。
グレースが困惑しているうちに現れたのは、二十センチ程度の箱だった。
「こ、これがダレスの骨壺……!?」
「落ち着け、グレース。こんな子供の宝箱みたいな木箱に骨は入れないぞ」
動揺と衝撃で驚きの声を上げるグレースを宥めながら、アーヴェントは箱を取り出した。
確かによく見ると、上の蓋部分がドーム状になっていて鍵穴がついている。まるで絵本に出てくる宝箱のようなデザインだ。
「ダレスの骨は無いんだ。灰にして自然に還して欲しいと頼んだから」
「じゃあ、この箱は……」
「正真正銘、子供の頃の俺の宝箱だよ」
アーヴェントは宝箱の隅を指す。
そこには無数の傷のような物があり、よく見ると「アーヴェント」と、彫られているようだった。
「母様から預かったある物を、亡くなった時にここに隠したんだ。俺がダレスだったと知る人間は極一部だし、関係者しか墓は開けられない。力づくで墓を暴こうとすれば、霊園の管理者であるシャナに知らせが飛ぶように魔法がかけられてるしな」
「完璧なセキュリティですね」
シャナの魔力の強さは、この国で五本の指に入ると聞く。
そんな人物が管理する場所で、墓を荒らすような人間はいないだろう。
アーヴェントは箱の鍵穴に親指を当て「開錠」と呟くと、カチッと音がするのを待って、ゆっくりと蓋を持ち上げた。
箱の中にあったのは、上質なベロアの赤い小箱。
大事そうに取り出して、アーヴェントは箱の外側を確認するように見回した。
「劣化はしてなさそうだな。結界を張ってたとはいえ、心配だったんだ」
アーヴェントは、ゆっくりと蓋をあける。
小箱の中には、銀色のブレスレットが美しい輝きを放ち鎮座していた。
「綺麗……」
その輝きに、グレースは思わず感嘆の声を漏らしていた。
「だろ? でも、この状態はまだ未完成なんだ。ほら、ここ」
アーヴェントは、ブレスレットにつけられているシルバーのプレート部分を指し示す。
プレートには赤い石が二つ嵌め込まれ、その間に窪みが作られていた。
「この窪みに、さっきシャナから受け取ってきた石を嵌めるんだ。これ、持ってて貰えるか?」
「は、はいっ」
グレースは、ブレスレットの入った小箱を両手で受け取った。
落とさないように慎重に左手で底を持ち、右手で蓋を支えるようにしながら身構える。
アーヴェントは上着のポケットから小さな巾着袋を取り出し、中から小さな石を取り出した。
「これを、こうして……」
ブレスレットを掌に載せ、プレート部分に小さな石を嵌めると、両手で挟み込むようにしてアーヴェントは目を閉じた。
夜の静寂の中を風が駆け抜け、木々がざわざわっと騒ぎだす。
肌が粟立つような、空気がひりつく感覚に、アーヴェントの魔力が膨れ上がっていくのをグレースは感じ取った。
「在りし場所に還りて、主の命を果たせ。それが汝の理由なり」
アーヴェントが呪文を唱えると、膨れ上がった魔力がブレスレットに収束され、眩い光が溢れだす。
「!!」
グレースは、反射的に目を閉じた。
しばらくして、アーヴェントの「……よし」という声が耳に届く。
「目を開けて大丈夫だぞ」
グレースがゆっくりと瞼を開くと、さっきまで感じていた魔力の圧は全て消え、元の空気に戻っていた。
「完成したんですか?」
「あぁ」
だが、そう答えるアーヴェントの手にブレスレットは見当たらない。
さっきまでその手にあった筈なのに、どこへいったのか。
小箱に戻したのかもしれないと、グレースは手にしていた小箱を覗き込もうとした。
そして、気付く。
ブレスレットが自身の右腕についていることに。
「………………えぇっ!?!?」
今日一番の驚きの声を上げるグレースに、アーヴェントは笑いをこらえていた。
「な、なんでブレスレットが私の腕に……!?」
「ははっ、そりゃあ俺が着けたから」
「なぜです!?!?」
「グレースに渡すものだからに決まってるだろ?」
「どうして私に!? こんなに大事なもの、頂くわけにはいかないです!」
アーリベルが残したものが、安価なもので作られているわけがない。
よくよくみれば、嵌められている石は純度の高い宝石だ。
ブレスレット自体も、きっと腕のある職人が作ったものだろう。
そうでなければ、アーヴェントの魔力に耐えられるわけがない。
(金額もそうだけど、アーリベル様が残した物を頂くわけには……)
アーヴェントとブレスレットを交互にみるグレースに「まぁまぁ、落ち着いて」と宥め、自身もこみ上げる笑いを抑えるべく、アーヴェントは小さく咳ばらいをした。
「生涯、貴方が心から守りたいと思う人に、これを渡しなさい」
そう言うと、アーヴェントはグレースの手から小箱を受け取った。
「このブレスレットを受け取った時に、母様に言われた言葉だ」
向けられた優しい笑みに、グレースの胸が跳ねる。
(生涯って、)
「それは、どういう意味ですか……?」
言葉の真意を知るために、グレースは言葉を絞り出した。
「この前リズィーさんに、心が思ってしまったらもう無理だって言われて、はっとした。前世の事とか色々悩んでたけど、今の俺は、何においてもグレースに傷ついて欲しくないんだ」
アーヴェントから向けられる真っ直ぐな視線。
大きく脈打つ心臓が何かを期待しているようで息苦しい。
自惚れてはいけない。そんなことはあるわけがない。
自身を律するように、グレースは自身の右腕を強く握りしめた。
「俺は、グレースのこと──」
確信に迫る言葉を紡ごうとした、その時だった。
「で・ん・かーーーーーーーー!!!」
アーヴェントの顔面目掛けて、小さな鳥が飛び込んできた。
「ぶっ!?」
真正面から突っ込まれ、後ろによろめくアーヴェント。
そんなアーヴェントにはお構いなしに、小鳥は周囲をけたたましく飛び回り始めた。
「やっと見つけた!! もう限界です、早くお戻りくださいーーーーー!!」
「……サイラス、お前なぁ」
顔を押さえながら、飛び回る小鳥を睨みつけるアーヴェント。
口にされた名前に、グレースは驚きの表情を浮かべた。
「サ、サイラスさん……?」
「魔法で鳥を生み出して、会話を繋げてるんだよ。お前、もう少しタイミングをだな──」
「殿下を待つ貴族の方々とリディア陛下からの視線の圧を一人で耐え続ける私の気持ちも考えてください」
顔の前で羽ばたきながら、冷静な声音で捲し立てるサイラスに、アーヴェントは口をつぐんだ。
「……分かったよ」
小鳥が発するサイラスの圧に耐えかねたようで、そう呟いてアーヴェントはグレースに視線を向けた。
ドキリっと、グレースの胸が鳴る。
「悪い、グレース。話の途中だけど戻らないと駄目らしい」
「大丈夫です。サイラスさんも大変そうですし、急いで戻らないと」
「グレース様……!」
申し訳なさそうに謝るアーヴェントに、平常心を装いながらグレースは笑った。
グレースの言葉に感涙の声を漏らし、周りを飛び回る小鳥。その姿をグレースが微笑ましく見つめていると、アーヴェントに両手で捕らえられてしまった。
「もういいだろ。戻れ、サイラス」
「寄り道せず! 真っ直ぐ! そこの扉を使って! 迅速に!! 戻ってきてくださいね!!」
「分かった、分かった」
念を押すように最後に「絶対ですよ!」と囀り、アーヴェントの手の中から小鳥は消え去ってしまった。
「はぁ、仕方ない。帰るか」
アーヴェントは、そそくさと宝箱を戻して石を元の位置に戻す。
手のひらを軽く叩いてひとつ溜息をつくと、アーヴェントはグレースに手を差し伸べた。
「行こう」
「は、はいっ」
さっき出てきたばかりの扉に向かって、アーヴェントはグレースの手を引きながら前を歩き始めた。
「扉なんて使わずに、帰りもグレースと歩きたかったんだけどな。霊園に来るまで、ほとんど会話出来なかったし」
「……アーヴェントさんが悪いんですよ? いきなり抱き上げられて、テラスから飛び降りられたら、誰だって放心すると思います」
不本意そうなグレースに、アーヴェントは苦笑する。
「それは確かに俺が悪かった。でも、今度詳しく聞かせてくれよな。レスティア家の令嬢達をコテンパンに打ち負かした話」
「だから、コテンパンにはしてないですってば」
出来るならば忘れて欲しいと願っていると、あっという間に教会の前にたどり着いた。
アーヴェントの隣に並び、目の前の扉を見て、はたっとグレースは気づく。
「あの、最初から扉を繋げていれば、テラスを飛び降りる必要はなかったんじゃ……」
「神殿は、決められた扉からじゃないと行けないように魔法がかけられてるんだ。ここもそのひとつで──」
「でも、王宮からこの教会の扉を通じて、霊園に来ることはできるんですよね?」
教会の扉を通じて王宮に帰れるという事は、逆もできるはずだ。
ならば最初から魔法で扉を繋げて霊園を訪れていれば、グレースを抱えて駆けまわる必要はなかっただろう。
「あー、それはだな……」
「?」
グレースの問いに言葉を濁すアーヴェント。
純粋な疑問に満ちた視線に観念したようで、アーヴェントは一息ついて、覚悟を決めたように一歩距離を縮めた。
「……今日のグレースを、少しでも独り占めしたかったから」
グレースの耳元で囁くとアーヴェントは体を戻して、少しだけ照れくさそうにグレースに笑って見せた。
「ドレス、すっごいよく似合ってる」
アーヴェントの言葉に、グレースの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
うまく言葉が出せず、はくはくと口を動かすグレース。
その様子をみて楽しそうに笑いながら、アーヴェントは扉に手をかけた。




