第64節: 最初の来訪者:価値観のコンフリクト
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。
第三巻『技術革新と交易の始まり』、その第二章『交易の夜明け』が、ついに本格的に幕を開けます。
ケイが提唱した、外の世界との接触。その最初の拠点となる小さな交易所が、ついに完成しました。しかし、どれだけ優れた製品を用意しても、それを評価する「客」がいなければ、物語は始まりません。
今回は、フロンティア村にとって、記念すべき最初の来訪者が訪れます。亜人の村と侮る彼が、そこで目の当たりにする「常識外れ」の光景とは。
それでは、物語が大きく動き出す第六十四話、お楽しみください。
バート・ランガーは、齢四十にして、酸いも甘いも噛み分けた、歴とした中堅の行商人だった。
彼が所属するのは、大陸西部の経済を牛耳るザルツガルド商業ギルド。その中でも、彼は特に、誰も行きたがらない辺境の地を巡り、そこでしか手に入らない珍しい薬草や魔物の素材を安く買い叩き、中央で高く売り捌くことで、それなりの財を成してきた、抜け目のない男だった。
彼が今、荷馬車を引いて進んでいるのは、リオニス王国の東の国境――通称『見捨てられた土地』へと続く、古くからの街道だ。道は悪く、魔物も出る。だが、その分、競争相手は少ない。年に数度、この危険な道を通り、森の入り口近くに点在する、亜人の貧しい集落から、なけなしの毛皮や薬草を買い付ける。それが、彼の、儲けの大きい仕事の一つだった。
(……それにしても)
バートは、荷馬車の御者台の上で、眉をひそめた。
何かが、おかしい。
数ヶ月前に通った時と、景色が、明らかに違うのだ。
街道が、あまりにも、整備されすぎている。
かつては、ぬかるみと岩だらけで、荷馬車の車輪が何度も轍にはまった、あの悪路が、今や、驚くほど平坦に、そして固く、踏み固められている。道幅も、倍近くに拡張され、道の両脇には、雨水を逃すための、正確な角度で掘られた側溝まで、備え付けられていた。
「……なんだ、こりゃ。王国の、事業か?
いや、あのケチなギュンター辺境伯が、こんな、金のかかる工事をするわけがねえ……」
彼は、首を傾げながらも、その、あまりにも快適な道を、進んでいった。
そして、彼は、さらに、信じられないものを、目にすることになる。
道の、終点。
森の、さらに奥深くへと続く、その道の先に、これまで、存在しなかったはずの、一つの、小さな建物が、ぽつんと、建っていたのだ。
それは、新築の、ログハウスだった。切り出されたばかりの、美しい木材が、寸分の狂いもなく組まれ、屋根には、整然と、木の板が葺かれている。建物の前には、素朴ながらも、清潔な木の看板が立てかけられ、そこには、大陸共通語で、こう書かれていた。
『フロンティア村・交易所』
「……交易所、だと……?」
バートは、思わず、声を漏らした。
亜人の、交易所?
ふざけているのか。
亜人共が、商売の真似事などと。どうせ、ガラクタ同然の木彫りでも並べて、物々交換を強請る、原始的な市場もどきだろう。
彼は、侮蔑と、そして、ほんの少しの好奇心をない交ぜにしながら、荷馬車を止め、その、奇妙な交易所へと、足を踏み入れた。
「――ようこそ、お越しくださいました。旅の方」
涼やかな、しかし、どこか芯の通った、少女の声。
バートが、はっと顔を上げると、そこには、一人の、猫獣人族の少女が、静かに、微笑んで立っていた。
年の頃は、十五、六か。茶色い、艶やかな髪に、大きく、そして、知的な光を宿した、金色の瞳。そして、その背後で、感情を表すかのように、ゆっくりと揺れる、二本の、ふさふさとした尻尾。
その、あまりにも、整った容姿と、そして、何よりも、その、物怖じしない、堂々とした立ち居振る舞いに、バートは、一瞬、言葉を失った。
「……あんたが、ここの、店主か?」
「はい。私は、リリナ・テールウィップ、と申します。この交易所を、任されております」
リリナは、優雅に、しかし、どこか、いたずらっぽく、微笑んだ。
(……なんだ、この小娘は。ただの、亜人じゃねえな)
バートの、長年の商人としての勘が、警鐘を鳴らしていた。彼女の、その、落ち着き払った態度は、まるで、ギルドの、上級の交渉人にも、引けを取らない。
「……フン。で、売り物は、なんだ?
珍しい毛皮でも、あるのかね?」
バートは、努めて、尊大な態度を崩さず、問いかけた。
「ええ、色々と。……どうぞ、こちらへ」
リリナは、彼を、建物の中へと、案内した。
内部は、がらんとしていた。壁際に、いくつかの、簡素な木の棚が置かれているだけで、商品は、ほとんど、並べられていない。
(……やはり、その程度か)
バートが、内心で、嘲笑した、その時。
リリナが、棚の上に、無造作に置かれていた、三つの品物を、指し示した。
「現在、私たちが、ご提供できるのは、こちらの、三品になります」
その、最初の、一つを、見た、瞬間。
バート・ランガーの、四十年の人生で培われてきた、全ての常識が、音を立てて、砕け散った。
「…………な……」
彼が、最初に、手に取ったのは、一本の、鉄製の、鍬だった。
だが、それは、彼が知る、鍬とは、全く、異なっていた。
まず、軽い。信じられないほど、軽い。彼が普段、護身用に、荷馬車に積んでいる、鉄の棍棒よりも、遥かに、軽い。
そして、その、バランス。まるで、自分の腕の、延長であるかのように、すっと、手に馴染む。
何よりも、異常なのは、その、刃先だった。
それは、鈍い、黒色の輝きを放ち、その、刃先は、まるで、上等な剣のように、鋭く、研ぎ澄まされている。彼は、恐る恐る、その刃に、親指の爪を、当ててみた。
ひやり、とした感触。そして、爪の表面に、髪の毛ほどの、細い、傷が、刻まれた。
(……馬鹿な。ありえん。これは、農具じゃねえ。……武器だ。それも、王国の騎士様が、お使いになる、業物の剣と、同じ……いや、それ以上の、鋼で作られてやがる……!)
彼は、鍬の、柄と、刃の、接合部を、食い入るように、見つめた。そこには、一切の、隙間も、歪みも、ない。まるで、最初から、一つの、塊であったかのように、滑らかに、そして、強固に、接合されている。
これは、ただ、鉄を、叩いて、伸ばしただけの、ナマクラではない。
温度管理、炭素量の調整、そして、鍛錬。その、全ての工程が、神の領域の職人によって、完璧に、計算され尽くされている。
こんな、鍬が、もし、市場に出回れば、どうなる?
大陸中の、全ての農夫が、これを、欲しがるだろう。そして、これまで、自分たちが、売り捌いてきた、粗悪な、鋳鉄の農具など、誰も、見向きもしなくなる。
価格が、崩壊する。いや、市場そのものが、根底から、覆る。
「……こ、これは……」
彼の、声が、震えていた。
「ドワーフの、ドゥーリン様が、お作りになった、試作品です」
リリナは、こともなげに、言った。その瞳の奥が、バートの、動揺を、楽しんでいるかのように、きらりと、光った。
バートは、震える手で、鍬を、棚に戻すと、次の、品物へと、手を伸ばした。
それは、畳まれた、一枚の、緑色の、布だった。
手触りは、上質な、麻のようだ。だが、その、軽さと、しなやかさは、明らかに、異常だった。
「……これは?」
「エルフの、エリアーデ様が、風の精霊の、ご加護を、与えられた、布です」
リリナは、そう言うと、傍らにあった、水差しを取り、その布の上に、水を、数滴、垂らしてみせた。
水滴は、布に、染み込むことなく、まるで、蓮の葉の上の、朝露のように、美しい、球体を、保ったまま、ころころと、転がり落ちた。
(……魔法付与布……!
それも、これほど、強力な、防水効果を、持ちながら、この、軽さと、通気性を、両立させているだと……!?
こんな代物、王侯貴族でも、マント一枚、手に入れるのに、金貨が、何枚、飛ぶか……)
彼の、商人としての、脳が、高速で、そろばんを弾く。
この布で、もし、雨具や、テントを作ったとしたら。大陸中の、全ての、旅人、冒険者、そして、軍隊までもが、これを、欲しがるだろう。
これもまた、市場を、破壊する、代物だ。
そして、彼は、最後の、品物へと、視線を移した。
それは、一つの、小さな、ガラスの、小瓶だった。
その、小瓶そのものが、まず、異常だった。不純物が、一切ない、完璧な透明度。そして、その、滑らかな、曲線。ドワーフの、工房で、作られたものだと言われれば、納得するしかない、精巧な、工芸品。
そして、その中に、満たされている、赤い、液体。
それは、ルビーを、そのまま、溶かし込んだかのように、どこまでも、澄み切り、そして、美しく、輝いていた。沈殿物も、濁りも、一切ない。
(……下級治癒薬、か。……だが、こんな、完璧なポーションは、見たことがない……)
彼は、ギルドを通じて、錬金術師が作った、粗悪なポーションを、何度も、見てきた。それらは、常に、どこか、濁っており、底には、薬草の、不純物が、澱のように、溜まっていた。
だが、これは、違う。
これは、もはや、薬ではない。芸術品だ。
その、薬効は、試すまでもない。これほどの、純度を誇るポーションが、効かないわけがないのだ。
バート・ランガーは、完全に、言葉を、失っていた。
彼の、目の前に、並べられている、たった、三つの品物。
その、どれもが、彼が、これまで、四十年の、商人人生で、扱ってきた、どんな、高価な商品とも、比較にならないほどの、「本物」だった。
そして、それらが、こんな、辺境の、亜人の、粗末な交易所で、無造作に、並べられている。
その、あまりにも、シュールな、光景。
彼は、ようやく、理解した。
自分は、とんでもない、場所に、足を踏み入れてしまったのだ、と。
ここは、亜人の、貧しい、集落などではない。
ここは、大陸の、どの国も、まだ、その存在に気づいていない、未知の、そして、規格外の、超技術文明が、築き上げた、前線基地なのだ。
彼の、商人としての、血が、沸騰した。
侮蔑も、警戒も、恐怖も、全て、吹き飛んでいた。
彼の、心を、今、支配しているのは、ただ、一つ。
この、計り知れない、宝の山を、誰よりも、早く、独占したい、という、純粋で、そして、どうしようもなく、強欲な、野心だけだった。
彼は、ごくりと、喉を鳴らし、目の前の、美しい、しかし、どこか、底の知れない、猫の少女へと、向き直った。
その、卑屈なまでの、商人スマイルを、顔に、貼り付けて。
「……素晴らしい。いや、素晴らしい、なんてもんじゃない!
これは、まさに、神々の、御業だ!
……して、お嬢さん。……この、奇跡の品々は、一体、おいくらで、譲っていただけるのかな?」
その、問いに、リリナは、にっこりと、愛らしく、微笑んだ。
そして、ケイから、指示されていた通りの、完璧な、答えを、返した。
それは、これから始まる、壮大な、経済戦争の、最初の、ゴングを告げる、言葉だった。
「申し訳ありませんが、あいにく、私どもは、まだ、お金の価値を、存じ上げません。……ですので、これらの品々と、釣り合うだけの、『価値ある品』を、ご提示いただければ、と」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
フロンティア村の、記念すべき、最初の来訪者、商人バート。亜人の村と、侮っていた彼が、村の、常識外れの技術力の前に、度肝を抜かれる様子が、少しでも、コミカルに、そして、痛快に、伝わっていれば、幸いです。
そして、ついに、始まりました、経済戦争の、第一ラウンド。
ケイの指示通り、値付けをせず、相手に、価値を提示させる、リリナ。
果たして、抜け目のない商人バートは、この、未知の宝の山を前に、どのような、「価値」を、提示してくるのでしょうか。
「面白い!」「商人の、驚きっぷりが、最高!」「リリナの、交渉、楽しみ!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、フロンティア村の、最初の、商品の、価値を、さらに、高めます!
次回もどうぞ、お楽しみに。




