第62節: メイド・イン・フロンティア:最初の製品企画
いつも『元・社畜SEの異世界再起動』をお読みいただき、誠にありがとうございます。皆様の温かい応援に支えられ、フロンティア村はついに、外の世界へとその扉を開く決意を固めました。
前回、ケイが提唱した「交易」という新たな戦争。それは、武力ではなく、圧倒的な技術力を武器に、この世界の経済を支配するという、あまりにも壮大な挑戦でした。
今回は、その挑戦の第一歩として、フロンティア村が世界に誇るべき、最初の「特産品」が産声を上げます。しかし、その前には、価値観の違いという、大きな壁が立ちはだかっていました。
それでは、第三巻の第二話となる第六十二話、お楽しみください。
「――では、これより『プロジェクト・トレード』の、最初のキックオフミーティングを開始する」
冬の戦いの傷跡も癒え、春の穏やかな光が満ちるフロンティア村庁舎。その一番大きな会議室に、村の未来を担う最高幹部たちが集結していた。中央に座るケイの、静かな、しかし、どこか楽しげな響きを帯びた声が、新たなプロジェクトの始まりを告げる。
その場の空気は、これまでのどのプロジェクトとも異質だった。そこには、生存を賭けた悲壮感はない。未知なる外の世界への、期待と、野心、そして、ほんの少しの不安が、心地よい緊張感となって満ち溢れていた。
「昨日も話した通り、我々の武器は、この村でしか生み出せない、圧倒的な品質の『製品』だ。まずは、我々が世界に提示するべき、最初の戦略的商品を決定する」
ケイは、プロジェクトマネージャーの顔で、集まった仲間たちを見渡した。彼の視線が、まず最初に捉えたのは、腕を組み、ふんぞり返って座っている、伝説の工匠。
「ドゥーリン殿」
「……あぁ?」
ドゥーリンは、自慢の白い髭の奥で、不機嫌そうに喉を鳴らした。人間との交易など、未だに、彼の本意ではなかった。
「あなたには、交易品の、第一弾となる鉄製品の量産をお願いしたい。ただし、作るものは、剣や鎧ではない」
「ほう?
では、何だというのだ。わしの神業に、相応しい、芸術品でも作れと申すか」
「いや。作ってもらいたいのは、『農具』と、『調理器具』だ」
ケイの、あまりにも、予想外の言葉に、ドゥーリンだけでなく、ガロウまでもが、素っ頓狂な声を上げた。
「の、農具だと!?」
「大将、正気か!?
俺たちの、最高の鋼で、鍬や、包丁なんぞを作るってのか!?」
「その通りだ」
ケイは、きっぱりと頷いた。
「考えてもみろ。伝説の魔剣を手にする英雄は、大陸に一人しかいないかもしれない。だが、畑を耕す農夫は、何百万人もいる。毎日、料理をする主婦は、何千万人もいるんだ」
彼の青い瞳が、マーケティング戦略を語る、やり手の経営者のように、鋭い光を宿す。
「我々の目的は、単に、高く売れるものを作ることではない。フロンティア村の技術の『標準』を、この大陸に、植え付けることだ。そのためには、まず、最も多くの人々の、日常生活に、深く、そして、不可逆的に、入り込む必要がある。『一度、この鍬を使ったら、もう、昔のナマクラには戻れない』。『この包丁の切れ味を知ってしまったら、他のものでは、満足できない』。そう、思わせるんだ。それは、どんな、強力な武器よりも、雄弁に、我々の、力の差を、世界に知らしめることになる」
それは、武力ではなく、文化と、生活水準による、静かなる侵略。
その、あまりにも、合理的で、そして、底意地の悪い、戦略。
ドゥーリンは、ぐっと、言葉に詰まった。彼の、職人としての魂は、自らの作品が、ただの道具として、大量消費されることに、生理的な嫌悪感を覚えていた。だが、同時に、彼の、負けず嫌いな魂が、その、挑戦的な、市場支配のビジョンに、激しく、揺さぶられていた。
「……フン。……小僧の、悪巧みは、相変わらず、胸糞が悪くなるわい」
彼は、吐き捨てるように言った。だが、その瞳には、既に、闘志の炎が灯っている。
「……よかろう。そこまで言うならば、作ってやる。だが、勘違いするなよ。たとえ、ただの鍬一本、包丁一丁であろうと、この、ドゥーリン・ストーンハンマーが、手掛ける以上、一切の、妥協は許さん。大陸中の、どんな王族が使う、宝剣よりも、魂のこもった、最高の鍬を、打ち上げてくれるわ!」
その、彼なりの、最大限の、承諾の言葉。
ケイは、満足げに、頷いた。
次に、彼の視線は、静かに成り行きを見守っていた、エルフの姫君へと向けられた。
「エリアーde殿」
「はい。何でしょうか、ケイ」
エリアーデの、翡翠の瞳が、静かに、ケイを映す。
「あなたには、エルフ族の『魔法付与』の技術を、交易品に応用してもらいたい」
「……と、申しますと?」
「例えば、この布」
ケイは、《クリエイト・マテリアル》で、一枚の、何の変哲もない、麻の布を生成してみせた。
「この布に、ごく、初歩的な、風の精霊の加護を、付与することは可能か?
例えば、『風を通しにくくする』とか、『水滴を、弾きやすくする』といった、ごく、ささやかな効果でいい」
エリアーデは、その提案に、少し、眉をひそめた。
「……可能では、ありますが……。ケイ、エルフのエンチャントは、精霊との対話によって成り立つ、神聖な儀式です。このように、大量生産を前提とした、工業製品に、安易に、施すべきものでは……」
「これもまた、我々の理念を、世界に示すための、象徴なんだ」
ケイは、静かに、しかし、力強く、言った。
「ドゥーリン殿の、無骨な、しかし、最高の『技術』と、あなたの、繊細で、美しい『魔法』。その、本来、決して、交わることのなかったはずの、二つの力が、このフロンティア村では、手を取り合い、一つの、製品を、生み出している。……この、魔法の布は、我々が目指す、多種族共栄の、何よりの、証明となる。そして、何より……」
彼は、少しだけ、悪戯っぽく、笑った。
「……付加価値の高い、テキスタイル商品は、いつの時代も、交易の、花形だからな」
その、あまりにも、現実的な、締めの言葉。
エリアーデは、一瞬、きょとんとした顔をしたが、やがて、くすり、と、小さく、噴き出した。
「……分かりました。あなたには、敵いませんね。……やってみましょう。精霊たちの、お許しが出る、範囲で」
彼女は、そう言うと、優雅に、微笑んだ。
そして、最後に、ケイは、自らの、右腕であり、最高のパートナーである、月の兎へと、向き直った。
「ルナリア」
「はい、ケイ」
ルナリアは、少し、緊張した面持ちで、頷いた。
「君には、この村の、生命線とも言える、あの『薬』を、お願いしたい」
「……ポーション、ですか?」
「ああ。君が、蒸留器を使って、生み出した、高純度の、下級治癒薬。あれを、我々の、第三の、主力商品としたい」
その言葉に、ルナリアの顔が、さっと、曇った。
「……ケイ。……私の薬は、お金儲けのために、あるのでは、ありません。それは、苦しむ人を、救うための……」
「分かっている」
ケイは、彼女の、その、どこまでも、真っ直ぐで、優しい心を、誰よりも、理解していた。
「だからこそ、なんだ、ルナリア」
彼は、その、真紅の瞳を、まっすぐに、見つめ返した。
「君の薬が、どれだけ、素晴らしくても、それを、必要とする、全ての人に、届けることができなければ、意味がない。僕たちの村だけで、使っているだけでは、救える命は、限られている。……だが、もし、この薬を、交易によって、大陸中に、広めることができたなら?
これまで、高価な薬が買えずに、死んでいった、多くの、貧しい人々を、救うことができるかもしれない。君の、その、偉大な才能を、この村だけのものにしておくのは、世界にとっての、大きな、損失だ」
そして、彼は、少しだけ、声を、潜めて、付け加えた。
「それに、薬を売って得た、その、莫大な利益は、全て、君の、新しい研究開発費に、充てよう。そうすれば、君は、いずれ、下級ポーションどころではない、どんな、難病さえも、治せる、本当の『万能薬』を、完成させることができるかもしれない。……それは、君の、夢では、なかったか?」
その、あまりにも、魅力的で、そして、彼女の、薬師としての、魂の、最も、深い部分を、揺さぶる、提案。
ルナリアは、ぐっと、息を呑んだ。
彼女の、脳裏に、これまで、救うことのできなかった、多くの、命が、浮かび上がる。
そうだ。自分の、最終的な目標は、全ての、病を、この世から、なくすこと。
そのためには、理想だけでは、ダメなのだ。研究には、莫大な、資金と、そして、この土地にはない、希少な、材料が、必要になる。
「…………分かりました」
やがて、彼女は、顔を上げた。その、真紅の瞳には、もう、迷いはなかった。
「……やります。私の、全てを懸けて、世界一の、ポーションを、作ってみせます!」
その、力強い宣言。
ケイは、満足げに、頷いた。
こうして、フロンティア村の、最初の、三つの、特産品が、決定された。
ドワーフの、神業が宿る、鋼鉄の、日用品。
エルフの、神秘が織り込まれた、魔法の、布。
そして、天才薬師の、優しさが結晶した、奇跡の、ポーション。
その、どれもが、この大陸の、常識を、根底から、覆す、ポテンシャルを秘めた、逸品だった。
「――よし、決まりだな!」
議論の、熱気に、当てられたように、ガロウが、興奮したように、叫んだ。
「で、大将!
その、最高の鍬は、一体、いくらで、売るんだ?
金貨、一枚か?
二枚か!?」
その、あまりにも、無邪気で、そして、あまりにも、本質的な、問い。
それに、答える代わりに、ケイは、静かに、そして、重々しく、首を、横に振った。
会議室の、熱狂的な空気が、すうっと、冷めていく。
「……それが、我々が、次に、解決すべき、最大の、課題だ」
彼の、青い瞳が、この場にいる、全ての仲間たちを、見渡した。
「僕たちは、これから、『経済』という名の、全く、未知の、そして、全く、新しい、戦場へと、足を踏み入れる。そこでは、武器の性能でも、個人の武勇でもない、ただ、一つの、『価値』という、見えざる、物差しだけが、全てを、支配する。……そして、今の僕たちには、その、物差しの、読み方さえ、分からないんだ」
その、静かな、しかし、あまりにも、重い、宣告。
フロンティア村の、前途洋々に見えた、未来の、その先に、また一つ、巨大で、そして、厄介な、壁が、立ちはだかっていることを、誰もが、予感していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ついに、フロンティア村の、最初の特産品、「メイド・イン・フロンティア」の、ラインナップが、決定しました。鋼鉄の農具、魔法の布、そして、高純度ポーション。どれも、大陸の市場を、席巻しそうな、逸品ばかりですね。
しかし、その先に待っていたのは、「価値」という、見えざる、巨大な壁。
次回、ケイは、この、未知なる戦場で、戦うための、最初の、一歩を踏み出します。それは、村の、街道沿いに、一つの、小さな、交易所を、設置すること。
そして、そこに、初めて、訪れる、一人の、人間の、商人。
この出会いが、フロンティア村の、そして、この大陸の、経済の歴史を、大きく、塗り替えることになります。
「面白い!」「メイド・イン・フロンティア、欲しい!」「経済編、楽しみ!」など、思っていただけましたら、ぜひブックマークと、↓の☆☆☆☆☆での評価をお願いいたします。皆様の応援が、彼らの、最初の、商品の、原価となります!
次回もどうぞ、お楽しみに。




