エメローデ(3)
ツェトラは許しを得て高めの籐椅子を降り、彼女の椅子に正面から近づくと、もう一度、腹心のメイドにそうするように全幅の信頼を込めて「エメ」と呼びかけた。
即位するまでは『殿下』、即位してからは『陛下』。
「分かってはいたけど親しく呼びかけてくれる人はなかなかいないわねー」
なんて、熱烈に皇帝という地位を望み、現在に至っては思う存分その辣腕を振るっておられるウェンドリン陛下でさえ、魔法の手紙に記されていたほどだ。
エメローデが──どれだけたくさんの物品に人材に囲まれ、家臣や国民からの愛情を一身に受けているとしても──繊細で不安定な心を激情や狂気と共に晒したところで、何の不思議があるだろうか。
忙しい日々の中で誰よりも心を削って傍に仕えているはずのレイチェルたちには申し訳ないが、旅先ですれ違った、ほぼ見ず知らずの人間に対して告げるからこそ、思いの全てを気兼ねなくぶつけられる場合だってあるだろう。
「エメ。ねぇ、エメ?」
「……」
「わたしの仲間とも話すんだよね」
「……うん」
「どうする? わたしより可愛くてやさしい人ばかりなんだけど。わたしがエメだったら、それこそ一目で恋に落ちちゃう自信しかないんだけど」
「うぅ……ど、どうしよう?」
不安げに涙をぽろぽろとこぼす瞼を人差し指で拭う。
幼い女王が、まるで恋人の腕の中にいるかのように顔を俯かせてしまう。
「こんなことをしてみたい? されてみたい? 一緒に泣いてくれて、涙を拭いてくれる人が欲しいの?」
エメが遠慮がちに、おずおずと、さんざん迷った挙句、小さく小さく頷く。
「質問を変えましょう。あなたが歪みだと言う情熱は、激情は、とても隠して置けるものじゃあない。意図してもしなくても伝わっている、伝わってしまっている。わたしやわたしの仲間に愛情を求めるより先に、しなくちゃいけないことがあるんじゃないかな」
「好きにしちゃっていいってこと? あの子たちの気持ちを無視して、踏みにじっても?」
「そういう思いが意図しないまま伝わってしまっていて、それでもあなたの傍を離れない人がたくさんいるんだよ。それがどういう意味だか……まさか一人ずつに言わせるつもりなの?」
あ、
と息を吞んだと思えば、多弁なはずの女王が、それきり押し黙ってしまう。
「わたしにも、あなたにも。しなければならないことがある」
「それが終わったら……?」
「そうね。魔法のお手紙から始めましょうか」
「……ええ~?」
「たとえば難攻不落の城を攻め落とすように。なかなか完成しない小説にどこかの誰かさんみたいに悲鳴を上げながら推敲の手を入れ続けるように。焦った方が負けの、楽しいラブ・コメディはお好みでない?」
「そう、ね。……そうだわ。焦らずゆっくり進んだ方が、きっと楽しいわね。ねぇツェトラ、わたくし達、良い関係を築けるかしら」
先ほどから自分の愛情の示し方や求め方しか気にしていらっしゃらないが、エメローデは魔法の申し子である。
家系の存続だの内政だのといった些細な事物はいくらでも後回しにしても平気なのだ。
あらゆる魔法が、彼女を無敵の女王たらしめ続けるだろう!
ツェトラは格好つけまくって、肯定を指の動きで示した。
枝毛ひとつとてない、宝石のように美しく輝く緑色の長髪を、未だ濡れたままの白くやわらかい頬を撫でる。
「エメが今、一番ゆっくり話したいのは誰ですか?」
「はい。近衛騎士のレイチェルです。それから、いちばん良く魔法を教えてくれるミリゥハシュク……ああもう、みんな大好きでしょうがないって、いったい何度言えばいいの!?」
「落ち着いて、気持ちはわかるけど。わたしのするべきことを一緒に考えてくれた時のエメはとても冷静だった」
「あ……う、うん。もっとゆっくり、ですよね。わたくしったら、情けないところを見せてしまって……」
ツェトラと同じ12歳の姫君が、冷静な表情をようやく取り戻した。
一度話し合っただけで彼女が彼女の『歪み』をコントロールできるようになるかはわからない。
沈黙を良しとし過ぎる節のあるエメリットとはどんな話をするのだろうか?
ツェトラは2人のエメの間に穏やかな沈黙が舞い降りる時間を想像しながら女王に一礼し、見送られて彼女の私室を出た。
2021/12/22更新。




