悩むの後回し!(2)
身支度を整えて『赤き龍の宴』の厨房へ向かうと、調理担当のディートリンテが笑顔で待っていた。
賭けを終えたカジノのディーラーがカードを開くように流麗に(セルバンテス談)、木製の机に裏返して置いた数枚のメモをひっくり返す。
ギルド長が用意していた報酬とは別に、彼の世界のデザートを作ってねぎらってくれるらしい。
何かの事情で(もちろん聞けないし聞かない)声を失った調理の専門家が、"ちょっと待ってね"の仕草をして、広い厨房にずらりと並んだ機械を自由自在に操る。
ディートリンテと仲良くしたいなら、ということで、ジュリアスと同じ世界からやって来たキョウコが、機械の名前と用途を教えてくれた。
ツェトラにとっての左から順に、『冷蔵庫』が3台と『ミキサー』『オーブンレンジ』がそれぞれ2台。『電気調理器』が3台。
異世界の調理器具のことなどとても覚えきれるものではなさそうだが、キョウコからは「料理したいなら絶対に買え、もう小型の発電機から自費で揃えれ」と熱く助言された。
そうすればレストランだって作れるし誰にも邪魔されずに好きなだけ料理が作れるぞっ!
ってな具合に(ちなみに一息でまくしたてていた)、美貌と異国の剣技と料理とでダ・シウバ卿の心を見事に射止めた一途な異世界人のハイテンションな保証も貰っている。
銀製の鐘を小さく鳴らしたような音が、オーブンレンジから鳴った。
ディートリンテが大いに喜んで器材のふたを開けると、新鮮な鶏卵の香りが厨房に立ち込めた。
小柄な調理師が、陽気な音楽のリズムに乗ったように手を動かし、金属製の型から器用に菓子を離す。
余談だが、『赤き龍の宴』と契約している農家から毎日届く生鮮食品は帝都でも評判だ。
実直なスタッフ陣は誰も口には出さないが、レストラン・バーの業績に満足していると言う。
「わあっ……!」
沈黙を守って調理の様子を見ていたニアリングが、ついに耐え切れなくなって声を上げた。
倹約につとめて来た愛する君主ヴィルジーナと同じく、"とても高級で間違いなくおいしい"異世界の食べ物や料理にあまり関心を持たないようにしてきた生真面目な女性騎士ですら、そうだ。
「おっ、おいしそうですねぇぇ」
「ホントね。形もかわいらしい、見るからに柔らかくて……!」
冒険者になりたてで、今日初めて自分たちの手でお金を手にした(ほとんどが今夜の飲み会で他へ回ることになるが)2人の少女たちにしてみれば──決して本当にそうするわけには行かないが、垂涎の菓子である。
ディートリンテが、律儀に用意していたメモ用紙の最後の1枚をめくる。
"特製たまごプリンのできあがり! どうぞ召し上がれ"
短い言葉のおしまいに、キョウコいわく彼女たちの世界で感情を手早く簡単に文章で表す時に使う『顔文字』が添えられている。
楽しそうにクラッカーを鳴らしている(記号らしき文字の組み合わせでちゃんとそのように見えるから不思議だ)顔文字を使ってあるあたり、『プリン』を作る前から調理師の気分も高まっていたに違いない。
ニコニコ顔の調理師が、小さな白磁の皿にプリンをていねいに載せた。
帝都に工房を構える金工職人ルークから買ったかわいらしいスプーンを添えて、爽やかな香りの茶とともに供してくれる。
少しのためらいもなく前衛を引き受けて、『ジェル』や『ウルフ』など低級の魔物が相手とはいえ勇敢に戦ったニアに待望の一口めを譲る。
他の人が気にしないような細かいマナーにまで気を使う性分のニアには、彼女の思考の先を読む関わり方が欠かせないことを、研修期間のうちにツェトラ達は学び取っていた。
幼い頃から敬愛の情を傾け続けたヴィルジーナをこれからも愛し、やがて愛されるために──いつどこに居ても騎士として振る舞い続ける生き方こそが、ニアリングには必要なのだ。
「……ふわぁぁ~っ、とろけちゃうぅぅ!」
そんな自負や矜持が、ほんのわずかに慎重にすくって食べた一口のプリンにたやすく崩されてしまったことは、もはや改めて記すまでもあるまいが。
2021/10/24更新。




