それでも目覚めは(1)
泣き疲れて、少しだけ眠ってしまったようだ。
心に活力が戻っていないのを過敏に感じ取っていたが、ツェトラの身体はそれでも、生きるために目覚めを迎えた。
「ツェトラさま……起きられそうですか」
「うん。ありがとう、エメ」
パンを焼いて参ります、と言って、エメが先にベッドを抜け出した。
自分が眠ってしまってからも、やさしく触れ続けてくれていたのだと思う。
だから、引き留めたりはしなかった。
掛け値なしに愛してくれるからと言って、甘えすぎてはならない。
えいやっと踏み切って、ツェトラもベッドを抜け出した。
エメとともに暮らすことになった木造の小さな家は、母リムルが若い頃(今でも若いが)に王立学園の司書をして稼いだ貯金をはたいて建てたものだ。
白く塗った木の板を組み合わせた正方形の外壁に黄色い三角屋根が載っており、部屋は個室が3か所と物置。
それほど調理器具は揃っていないが台所もあり、食堂がわりの居間もある。
上下水道が領土のすみずみまで張り巡らされているから洗面所もあるし、お風呂もついている。
帝都の中心とちがって娯楽も少ないが、ツェトラは玄関先の小さな庭で、よく母に遊んでもらった。
ぜいたくを言わなければ十二分に暮らしていける、立派なお家だ。
ツェトラは私室を出て身支度を終えると、廊下を歩いて居間に向かった。
飾り気のない居間の中央あたりに、骨董市で安く手に入れたテーブルが置かれている。
その上にはエメリットがこしらえた、丸くてふんわりしたパンが中心のブランチが並ぶ。
2年間ずっとコツコツ練習を続けて来たエメリットの手になる食事は、まるでちょっとしたレストランの食事みたいだ。
ニンジンとジャガイモを使った煮物に、青魚のオイル漬けとコーンをあわせたサラダもついていた。
ご近所で畑づくりをする農夫さん達や他の移住者から食材を譲ってもらえるようになったのも、ツェトラ達にしてみれば母からの賜り物であった。
リムルガーテは知識に溢れていながら奢ったところが少しもなく、とにかく人当たりの良い人である。
帝国から(正確には皇帝の私費からだったが)いただいている少しずつのお金とあわせて、ツェトラが生まれたばかりのころに比べれば豊かに暮らせているのだと、母はいつも笑って言っていた。
「お母様のことですか」
「うん。エメにはすぐバレちゃうなー」
雲みたいにふわふわなパンを食べながら、あっさりした味付けにコショウがよく合う煮物を食べながら──ツェトラが思いやるのは、やはり大好きな母のことだ。
もう、考えても仕方がないのに。
「たくさん思い出せばいいんだと思うようにしていますから、あたしも」
「エメも? それなら、考えるくらいなら、いいのかな……」
「そうですとも」
どんな考えごとをしていたのか聞きたいと、控えめに求めて来る。
エメに訊かれれば、話す理由はそれだけで十分だ。
「わたしを産んだこと。お母さまは辛くなかったのかなって」
マクスウェル陛下と話した時、彼は、とても切なそうな目をしていた。
ちゃんと愛したかったとも仰せだった。
母と父の間には契約があった。
夫婦として暮らすことなく君主の子を産み育てるという、言ってしまえば仕事のようなものだったのではないかと、ツェトラは思ってしまう。
お2人の間に、本当に愛情はなかったのだろうか?
君主の方が領民の女性に一方的な愛情を寄せて子どもをもうけるなんてことがあるのだろうか?
マクスウェルは意外にも(失礼)、気遣いのできる男性に見えた。
他の側室たちと同じように、母も宮廷に招きたかったところを、そう出来なかった過去があったのかもしれない。
もう少し彼の傍に居られれば、聞きたかったことも全部聞けただろう。
「お母さまのお腹の傷……覚えている?」
「はい。名誉ある傷だと仰っていましたね」
ツェトラは自身が健康に生まれたと聞いている。
でも、吞んだ水が湯のようになってこみ上げて来たり常に体調が思わしくなかったりと、つわりが過酷だったことも聞いた。
それに、母子ともに順調だったのに帝王切開を要したということは、おそらく皇帝の"星"の力が強すぎたのだろう。
「産まれる前から迷惑かけてたんだろうなーって、ずっと思ってたんだ……わたし。どうやって恩返しをしたらいいんだろうって」
2021/8/31更新。
2021/9/1更新。




