用済み姫(1)
3姉妹との会見を終えた後、ツェトラは特別に皇帝との謁見を許された。
といっても公式の会見ではなく、一言なり二言なりの挨拶をかわす程度だ。
退位を決めたばかりの皇帝は、これまでの執務に輪をかけて多忙に過ごしているとのこと。
今さら会ってどうなるかと思わずにはいられなかったが、ギルネストに伴われて皇帝の執務室へ向かった。
「陛下」
執務室のドアを丁重にノックしたギルネストが平坦な声で呼びかけた。
「開いてるぜ」と青年のような声で返事があった。
若く、大胆で、しかもおおむね善政と言える政治をつつがなく続けてきた国主は、四十路近くなっても好青年そのものの風体を保っている。
重そうな生地の緋色の上衣に白いズボン。ベルトにはぜいたくな拵えのサーベル。
細面で肌が白く、鼻筋の通った、鋭い眼の美男だ。黄金の髪は彼の家系なのかな、なんてツェトラも思う。
「よぉ。お前がツェトリアか」
皇帝が眼だけで魔導師に合図を送る。
すぐに消え去ったのを見送りもせず、魔法で用意した椅子をすすめて来る。
「はっきり言う。歓迎はできん──菓子のひとつでも食わせたと知れたら面倒だ」
「承知しております。ヴァイロン卿からすべて聞き及んでおります、陛下」
「ふーん……物分かりが良すぎるのも考え物だな」
「お話をすることも許されまいと思っておりました」
「俺がねじ込んだだけだからな。少しだけ、お前の考えを聞いてみたかった。本当に皇帝にならなくてよかったのか」
「心がもっと動いたならば、お姉様方とお会いすることなく決めるとなったならば、わかりませんでした。でも……わたしではきっと、わが国を十分に治める事ができない。力あるふさわしい人がいるなら、お任せした方がいいと思いました」
「娘らはお前の眼にかなったか」
「十全に。"星"をすべてお譲りして参りました」
「そうか──俺がお前やお前の母親の面倒を見なかったことをどう思う」
「ご自分のことを憎いと言って欲しいのですか? 今の今まで知らなかったのですから、どう思うも何もないでしょう。疲れているなら疲れていると仰ればいいのに」
「ウィシュみてぇなこと言うんだな。ま、そんなところだ」
「考えれば分かる事です。お母さまが、考える力を身につけさせてくれたの」
「そうか。ツェトラはお母さまを好きだな」
「大好きです。ごめんなさい、お父様よりも」
「構わん。この場でお前に刺されてもいい、くらいに思っていた」
「まあ、そんなふうに?」
「ああ。ヴァイロンのことだ、自分と同じような境遇の子どもが俺に剣を向けでもすればちょっとは面白れぇのになー、くらいに思ってたんだろうさ」
「暗殺計画にしては迂遠ですね」
「おっ、言うねぇ。ファンになっちまいそうだ──あいつがやってるのは単なる嫌がらせの憂さ晴らしだよ。俺を殺す気なんざなかった」
ヴァイロンはマクスウェルの弟たちの1人で、兄と同じく帝位継承者候補であったという。
母親の身分が低かったことと皇帝の証たる"星"を引き継がなかったことで継承権をはく奪されたらしい。
「理不尽なもんさ──だが、ヤツは普通じゃなかった、諦めなかった。追放されて戻ってきて、あっという間に政治のトップに上り詰めた。今の俺はお飾りみてぇなもんさ。娘らの代になりゃ分からんがね」
「そうだったのですか。辛かったのですね」
「辛い? 俺のどこが辛いもんかよ。ぶっちゃけりゃ、子どもさえ何とかすりゃよかったんだぜ──随分と楽をさせてもらったよ、くくくっ!」
「まぁっ、お父様はそんな事を仰るの? 心配して損した!」
「はははっ! 今日は会えてよかったよ。リルムにもお前にも、本当は言えないことだが……ちゃんと愛したかったぜ、ツェトラ」
「ありがとうございます、お父様。わたしも……お傍にいてみたかったです」
足音がする。
「ヴァイロンだ」
親子の時間は終わりだ。それを少し残念に思っていることは、陛下に未だ息づく『読心』の"星"が伝えてくれただろう。
あとは皇帝陛下のお考えにお任せするしかない。
「手筈は?」
「決めてある。俺の嫌なヤツぶりを見るがいいさ」
にやりと笑って見せた皇帝の瞳には、少しだけ憂いの色が見える。
2021/8/26更新。




