用済み姫(2)
太政大臣が皇帝の執務室に入るまでに、ツェトラはマクスウェルに言われた通り椅子を降り、姿勢を低くして彼に向き合った。
ヴァイロンは聴覚を強化する"星"も『読心』の"星"も持っていない。
皇帝と皇女のつかの間の会見を、父親が娘に絶縁を言い渡すためのものだと思っている。
彼にしては浅はかなことに、少しも疑っていない。
親子の関係を、親の方から断絶させる。その役目を異母兄に背負わせる。
そんな嗜虐的な愉しみのために──どんなに抑えようとしても──浮き立つ異母弟の心を、マクスウェルは知っている。
「──訊こう」
厳めしい顔を崩さない父が静かに口を開いた。
「お前には帝位を継ぐに値する"星"が2つ、宿った。そうする気はあるか」
「いいえ」
「偉大なる"星"の力を何と心得るか? 帝位継承権を持つと知りつつ逐電すれば、地の果てまで追い討つことになるぞ」
「ご安心を。皇帝の証は、陛下の御子につつがなくお譲り致しました。帝位継承権を放棄することを、陛下の御前で誓います」
「そうか。ならば……お前は用済みだ」
思わずといった様子で微笑む太政大臣を視界にとらえる。
だが、ツェトリアは少しも表情を変えなかった。父がそうしろと言ったからだ。
「よく役目を果たした。だが、我が血を引きながら進んでゴミにひとしい者となった娘の顔など見ていたくない。親子の縁をこの場で切る。今すぐに立ち去るがよい」
ツェトリアは黙ったまま立ち上がると、皇帝に深々と一礼した。
広い執務室に敷かれたぜいたくな絨毯を静かに踏みしめ、退出してドアを閉める。
初めて自ら遮音結界を展開し、速足で歩いて城門を出た。
「ツェトリア様」
「だれのこと? そんな人はもう、いないわ」
姿を現して、わざとらしく本当の名を呼ぶ魔導師に訂正を求める。
伯父のような冷ややかな声になっていないことを確認して、内心で胸をなでおろした。
「よくお役目を果たされた、ツェトラ様」
「褒められるような事じゃない。それに、すべて見ていたでしょう──言わせてもらうけど趣味悪いわよ、あなた。お母さまと一緒に暮らすなら、少し改めることを考えてもいいんじゃないかしら?」
苦笑して黙った魔導師が指を動かし、六頭立ての馬車を呼び出した。
ツェトラが首を横に振ると、おもちゃ箱にしまうように馬車を消し去り、灰色の馬を呼び出した。
「……この子は?」
親しげに頭を寄せて来る馬の首を撫でつつ、尋ねる。
「お母上の愛馬の仔であります。彼女と皇帝陛下との契約が成立した日より今日まで、私が預かっておりました」
「そう」
「ツェトラ様にお譲りするよう言付かっておりました。お気に召しましたか」
「ええ。でも、この子をお世話するお金が無いわ。今から無職よ、わたしったら……ああーどうしましょうっ!」
「だから皇帝にでもなってみればよかったのです」
「そういう道も、まあ、あったかも、ね」
『ね』のところで気合いを入れ、馬の背に飛び乗った。「いい加減に敬語はやめてちょうだい、ギルネスト。わたしはもう、お姫様じゃないの」
古株の魔導師と馬首を並べながら、夜空に瞬き始めた星を見上げる。
ここは『星降る大地』──人間や魔族が持つ、才覚や技能などの個性を"星"と呼びならわして重宝する世界だ。
自らの裡に輝いていたはずの"星"を手放したからには、どこに行っても無能で無力な人間として生きるしかない。
「わたしを"ゴミ"と呼んだことを──」
家路を包む闇を見据えて呟く。
大好きな母は、皇帝との契約を無事に果たした。
もう、父のように慕った魔導師の懐かしい家に戻った頃だろう。
そうでなければ困る。母の愛と恩義に報いたい気持ちだけで、魔導師の持ってきた話に乗ったのだ。ギルネストのためなどではない、母の為だったのだ。
ギルネストはリルムガーテが戻ったのががうれしいから、余裕たっぷりに自分の様子を見ているに違いない。嫉妬まじりにそう思ってでもいなければ、心を保てそうになかった。
働き者のメイドの他に、小さな屋敷でツェトラを待つ者はいない。
「お父様は、少しでも、苦しいと思ってくださったかしら?」
さびしいなんて、一言でも言ってやるもんか──とんでもなく腹を立てている自分を、ツェトラは抑え込んだ。
魔力を持つらしい馬は跳ぶように、だがあくまで静かに闇夜を駆け抜けてゆく。まるで見習えと言わんばかりに。
「そう思います」
「損を引き受けてくれたお礼を。伝えておいてね、ギルネスト」
わたしが動いてみせなければ、自分の欲を出してしまったら。
この小狡い魔導師の『計画』は決してうまく行かなかったのだ。
200年も生きていて、こんなわたしに頼らなくては、好きな女を手に入れる事も出来なかったのだ!
「独りで行かれるのか。独立するには随分早いが」
「ええ。大丈夫よ、わたしはわたしで何とかするわ。さようなら」
ツェトラは灰色の愛馬に命じて、家路を急がせた。
2021/8/27更新。




