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印南捜査官が二度目の耳打ちをする。
「なんだと? ふむ……」
工藤教授は眉を寄せて聞き入り、そして言った。
「君が気にしているといけないから教えておこう。アビゲイルには――、アビゲイルにもと言うべきだな。安心したまえ、第二世代には性別に関係なく生殖能力を持たせてない」
あの件か……。確かに僕の知らないところで子どもができてしまうのは困る。
「だが、変だな」教授は顎に手をやって首を捻った。「彼らからはドーパミン関連遺伝子の変異体を削除し、セロトニントランスポーター遺伝子を抑える処置がしてあったはずだ」
なんてことを……。それはHSD――性的欲求低下障害の症状だ。
「あなたは――」人為的に無性愛者を作ったのですか――その抗議は戸崎調査官に遮られる。
「コーヒーのお代わりはいかがですか?」
出鼻をくじかれ、毒気も抜かれ、僕はカップを差し出した。
「いただきます」
カップを持つ手を支えるようにしてコーヒーが注がれる。触れた箇所から伝わってくるメッセージがあった。
――教授は、神内さんが落雷を誘導したことをご存知ありません。返答には御注意を。
顔を上げた戸崎調査官は、僕に小さく目配せをした。
彼がそうした理由はわからない。知世やデイヴッドのように身体的接触で意思疎通が図れることにも驚いた僕だったが、努めて面に出さないようにする。
「処置をした、とおっしゃいましたが」僕は抗議を追及に変えた。「それはMER―αも承知の上なのですか」
「第二世代が、保護すべき遺伝子保持者と好い仲になっては堪らない。それには好悪の感情を持たせないのが一番だ。そんなことにいちいち、伺いは立てやせんよ」
そんなこと、か……。僕は、知世を前にして恋心ひとつ抱けない自分を想像しようとし、すぐにそれが無理であることを悟った。
「しかし、連中はなぜそんな突拍子もない行動に出たと思う?」
「さあ……、考えられることといたしましては――」
工藤教授は狩野医師に意見を求め、その回答を僕が奪い取る。
「簡単ですよ。ひとは生命暗号だけでかたちづくられるものではないからです。芽生えた生命には固有の精神が宿る。死して肉体に留まらないそれに枷をかけることなど誰にもできやしないんです」
身を挺して僕を爆風から護ってくれたアイダンが思い起こされていた。
「ふん、二元論か。面白い意見ではあるが、君にそれが証明できるのかな」
「できません」
僕は挑戦的に言い返す。〝意思〟の存在はそれが真理であることを教えてくれていた。証明など必要ない。ただ、知っていれば良かった。
「どうにも承服しかねる、といった顔だな。納得できん点でもあるなら、言ってみたまえのかね」
なにを話したところで、機械より人間味の薄い教授に理解できたとは思えない。決して交わることのない僕と工藤教授の価値観は、ロッジの気を殺伐とさせるばかりだ。
「わたしが納得しようがしまいが、あなた方はあなた方のルールに則って事後処理を進める。違いますか? だったら、もう話すことはなにもありません。失礼します」
僕は席を立った。
「待ちたまえ、まだ話は終わって――」
背中にかかる声を置き去りにして丸太小屋を出た僕は、後ろ手に強くドアを閉めた。
「待って下さい」
僕を呼び止める声がした。戸崎調査官だった。僕は思い当たることがあって振り返った。
「デレクたちを救いに向かった車はなかった。そうなんでしょう?」




