114
丸太小屋の横には真新しいフルサイズバンと見覚えのあるフォードエスケープが停められていた。ドアをノックをすると「どうぞ」の声が返ってくる。 なかにはいると、機器に向かっていた背中がこちらを振り返った。
「やはり、あなたでしたか」
「その口ぶりだとだいたいの経緯はわかっているようだな。わたしは工藤真一郎、K大総合人間学部で教授をさせてもらっている。まあ、かけてくれたまえ」
海洋博物館前で逢った六十年配の男性は、着る物に無頓着なのか、あの時と同じ無地のセーター姿だった。ただ、胸元の刺繍といい、上質なカシミアで編まれているところといい、僕が買うような安物でないことは間違いない。
その隣には印南・戸崎の両調査官が控える。ふたりとも例のハンチングは被っておらず戸崎調査官の顔に残る擦過傷と火傷が痛々しい。そしてもうひとり、初めて見る顔があった。
「ええ、あなたが推論エンジンこと、デザイナー・ベビーたちの産みの親なんですね」
僕は、枝木細工の椅子に腰を落ち着ける。
「そう考えてくれて結構だ。先ず、君を危険な目に合わせてしまったことに詫びよう。すまなかった」
通り一遍の謝罪には、どことなく『ひとを見下した感』が感じられた。
「そんなことより」僕は言った。「なぜ、あなたは遺伝子操作までして彼らを生み出したんですか? 火星探査機はこの件にどう関わってくるんでしょう」
「少々、誤解もあるようだ。最初からすべて説明しよう。おい」
そう言うと工藤教授は手にしていたマグカップを持ち上げる。戸崎調査官はガラスポットを持ってコーヒーを注いだ。
「気が利かんな、彼にもだ」
工藤教授が言い、僕の前にコーヒーを満たしたマグカップが置かれた。
「コーヒーは嫌いかね?」
手をつけるかつけまいか迷っていると、工藤教授が怪訝そうな顔で言った。
「いえ……、そういう訳では」
印南捜査官が耳打ちをする。
「そういうことか――。心配はいらん、なにも入ってはおらんよ」
工藤教授は手にしたカップを傾け、グビリと一口呑んだ。睡眠薬を疑っていなかったと言えば嘘になるが、それより気になったのは、一大学教授の、法務省の役人に対する礼を欠いた物言いと所作だった。彼らにはどんな繋がりがあってここに?
「このプロジェクトは」工藤教授は過ぎし日に思いを馳せる眼で言った。「或る日、わたしの研究室に届いた荷物に端を発する。機能停止したはずの火星探査機、MER―αが自我を獲得し、匿名で発送したものだった」
「なにが入っていたんですか?」
「胚盤胞だよ。受精卵の細胞が百二十個に増えたものだ。体外受精では、これを代理母の子宮に移植することが最終段階になる」
「そんなもの、MER―αはどうやって入手したのでしょう」
「火星にいるMER―αには卵子ひとつ入手することも出来なかったろうな。で、ある以上、わたし以前にも協力者がいたと考えるべきだろう。世の中には小遣い稼ぎに、と卵子を売る者もいれば、産院の医療廃棄物を引き取る業者もいる。生殖細胞にせよ体細胞にせよ、入手方法には事欠かないものなのだよ」
正気の沙汰とは思えない――。僕は胸が悪くなると同時に、知世が産院の前で見せた涙の理由に合点がいった。
「MER―αはなぜ、それをあなたに?」
「うむ。当時、わたしは人口子宮を開発、完成させていた。これは子宮障害を持つ女性が自らの子どもを授かるには代理母出産しか方法はないが、我が国では厚労省も学会も代理懐妊を認めていない」
そう言えば、代理母出産で得た子どもの戸籍上の扱いについて提訴したタレント夫婦が新聞やテレビを賑わせていた時期がある。教授が続ける。
「宗教的、道義的、法的、さらには契約上の問題もあり、無理からぬことではあるのだがな。それでも批判に晒されることを承知で子孫を求める両親は後を絶たない。国内がダメなら海外で、と代理懐妊の実施例は数百件もある。わたしが人口子宮を作り上げたのはそのためだ」




