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「用意ができたらロッジに行ってくれ」

 ブレンダンが言うと、知世を残し、三人は部屋を出ていった。ドアの閉まる音が聞こえると、知世は僕の手を握ってないほうの手で僕の頬に触れる。この二日間剃ってないヒゲがジョリジョリと音を立てた。

「ごめんなさい、あなたをこんな目に合わせてしまって」

 知世の瞳から涙の粒が僕の腕に落ちてきた。うるうるするのはしょっちゅうで、瞼に涙の粒を張り付かせては僕を思うがままに操る知世だったが、それがこぼれ落ちるのを見るのは初めてだった。

「泣くことはないさ。僕はこうして生きているんだし」

「謝らないといけないのは、それだけじゃない」

「その話は会見の後にしよう」

 僕はベッドから降り立った。今度はやけに背中がスースーする。柏餅のような病医を着せられていた僕の尻は丸出しになっていた。

「外に出ているわ」

 ずっと僕の手を握っていたのだから来歴を――ROHの出自について僕が知ってしまったこと――を知らないはずがない。その気まずさからか知世はトレーラーハウスを出ていった。すぐに2ちゃんねるによる緊急ミーティングが招集された。

〔あれは僕じゃないぞ〕

〔僕でもない〕

 車から放り出されてすぐ僕の表層意識は飛んでいて、その後の記憶がない。2ちゃんねるとサブちゃんが否定すれば、残るは〝彼〟しかいない。ここで言う〝彼〟は火星探査機のことではなく、ハープの前で僕の頭に大量のイメージを送りつけてきた、自らを〝意思〟と名乗る存在のことだ。

〔意思か……〕

 ――うん、マクスウェルの悪魔の視座も落雷の誘導も、〝意思〟がその力を行使するために僕の身体を使っただけみたいだ。電荷を持たない〝意思〟が、この世界になにか作用するにはそうするしか方法がないみたいなんだ。岩に叩きつけられずに済んだのも、あの列車事故の時も、僕は〝彼〟に護られていたんだ。

〔電荷を持たない存在って……、おい、まさか――〕

 ――肝心なのは。

 2ちゃんねるの問い掛けを無視して僕は言った。

 ――いまも意思はどこかではたらいているってことだ。特に自然を、時に人間の肉体を媒介にして善なる意思は遂行される。歪みはいつか必ず修正されるんだよ。宇宙規模でも、個人レベルでもね。

 着替えを済ませた僕がトレーラーハウスを出ると、知世たち四人は深刻な顔でなにかを話し合っているところだった。そして――

 トレーラーハウスを囲むように集まった村人の間から『トチョ! トチョ!』の大合唱が始まり、僕は揉みくちゃにされた。生活の糧となる森が焼けてしまったのに、僕を取り囲むどの顔も晴れやかな笑顔に満ちていた。

「パパー」愛ちゃんの声が聞こえた。族長の奥さんに抱かれてひらひらと手を振っている。傍らにはホキイの家族の姿がある。心中の索漠は察するに余りあるものだった。

「気持ちはわかるが」歩み寄ろうとする僕の腕を引いてブレンダンが言った。「先に会見を」

 どれだけ丁重な弔意を示したところでホキイは戻らない。それでも僕は彼に救われたことへの感謝を告げたかった。ブレンダンの手を振り払い、僕に触れようと手を伸ばすディネの人々の間を縫ってホキイの家族の許へと向かった。

 言葉の通じない僕がなにを言ったところでホキイの奥さんになにも伝わるものではなかっただろう。ただただ頭を下げるだけしかできなかった。

 彼女は僕を真っ直ぐ見据え、潤んだ瞳で言った。「ホキイ、トチョ、シキィス」

「ともだちだって」

 愛ちゃんの通訳に僕は涙が止まらなくなった。

「パパ、ないてるの?」

「泣いてなんかないさ」

 僕は涙声で答えた。


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