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一度、PGBのなかに姿を消したデレクが、窓から身体を乗り出して叫ぶ。
「地下への通路があったぞ! 早く――」
だが、それは直後に起こったPGBの爆発で遮られた。備蓄された可燃物が、高温が差し延べる危険な誘惑に抗いきれなかったのだろう 。愛ちゃんを抱いた僕は身体を丸くして降り注ぐ粒状のコンクリートとガラス片を避ける。なにかが立ちはだかる気配と呻き声が聞こえた。
大きめの飛来物が僕の肩先をかすめ、ドサリと音にたてる。恐る恐る眼を遣ったそれには、半分炭化したメタマテリアルが貼りついていた。
爆発音は三度鳴り響いた。この距離でよく無事でいられるものだ――PGBまでの距離は二十メートルと離れていない。ただ、飛来物は底を尽いたようで、ドサリ、ボトリだった音はパラパラに変わっていた。
飛散が収まったように思え顔を上げる。次に僕は、愛ちゃんにデレクの足が見えないよう注意して身体を起こす。反対に立ちはだかっていた人影はしゃがみこんだ。
「怪我は……ないか」
僕を庇うように立っていたのはアイダンだった。彼は弱々しい笑みと共に僕を見上げる。
「君が盾になっていてくれたのか……」
「こんな状況に追い込んでしまってすまない。なんとか生き延びてくれ』
立ち上がらない、いや――、背中に刺さった金属片と呼ぶには大き過ぎる物のせいで立ち上がれないアイダンは、素人の僕が見ても重症に見えた。
「ブレンダン! 来てくれっ」
僕の声に、のっぴきならないものを感じ取り、ブレンダンが駆け寄ってくる。
「アイダンが――」
一目見るなり、ブレンダンは沈痛な顔で首を振った。ついさっきまで、僕を見上げていたアイダンの顔は地面に届きそうなほどに垂れ、小刻みに震えていた身体は動きを止めていた。
〔おめでとう、万策尽きたようだ〕
2ちゃんねるの声にも張りがなかった。
――まだだ! デレクは装甲車がくるって言ってたじゃないか。
その時、けたたましくクラクションを鳴らしながらアクセスロードに広がる炎の壁を突き破ってくる黒い塊があった
装甲車か? 違うぞ、あれは……。
車体は真っ黒に煤け、ガラスも所々弾け飛んでいたが、見覚えのあるそのシルエットは僕たちが道路脇に乗り捨てておいたフルサイズバンだった。誰が一体――。
「こっちですっ!」
運転席から日本語で怒鳴っているのは戸崎調査官だった。僕たちは車に向かって走り、息を切らせて訊ねた。
「どうしてここへ? いや、それはまた後で――。あっちにも三人いるんです」
僕はダニエルたちが走り去った方角を示す。微妙な間があった後に戸崎調査官が言った。
「そちらには別の車が向かいました。この車もいつまでもつかわかりません。早く乗って下さい」
ドア越しの会話を切り上げ、僕たちは車の側面に回った。
「Shit!」
スライドドアのハンドルを握ったブレンダンが毒づく。
「焼けているんだ。素手じゃあ無理だよ」
僕が代わった。分厚い手袋の上からでも火傷しそうな熱がドアハンドルを焦がし、おまけにウエザストリップ(気密用のゴム)が溶けて接着剤のようになり、ドアとボディを貼り付かせている。とても開きそうにない。
「早くっ!」
戸崎調査官が叫ぶ。
「後ろへ回ろう」
冷静に状況が分析できていたのではない。ひとの脳はうまくできていて、命の危険に晒されるような極限状況ではアドレナリンを分泌して時間経過を送らせ、情報の処理速度を上げてくれるのだ。
バックドアの溶着も同様だったが面積の小さな観音開きドアだったため、なんとか開いてくれた。僕たちは荷室に飛び込んだ。
「全員、乗りましたかっ」
ひい、ふう、みい、よう――「はいっ!」僕は運転席に向かって叫んだ。
大きな車体をパワースライドで反転させると、戸崎調査官はアクセルペダルを床まで蹴飛ばした。荷室の僕たちはバックドアに向かって転がり、続いてシートバックに向かって転がる。愛ちゃんを胸に抱えたままの僕に両手に自由はない。頭を、肩を、としたたか内壁にぶつけながら痛みに耐えるしかなかった。
「いてえぞ、こんちくしょー!」
汚い言葉であることはわかっている。でも、こうすることで交感神経系が覚醒し、エンケファリンが痛みを和らげてくれるのだ。
愛ちゃんを無事にこの火災から連れ出すため、僕は、使えるものはなんでも使ってやる気でいた。




