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「君は、僕たちを焼き殺そうとしたのか」
「違うっ! 任務に成功した時点で軍にいる仲間が装甲車を寄越す予定になっていたんだ。火に囲まれ、にっちもさっちもいかなくなったところを助けてやれば、それを恩義に感じて我々の言いなりになる。それがデイヴィッドの計画だった。でも……」
よくもまあ、そんな三文芝居を思いつくものだ。こいつらは、ひとの命をなんだと思っている。
「でも、なんだよ」
「装甲車の運転手と連絡が途絶えてしまった」
デレクは怯えた眼をしていた。
それもそのはず――愛ちゃんを抱いてデレクがいた場所は既に炎に包まれ、紅蓮の包囲網はその輪をジリジリと狭めつつある。立ち込める煙に愛ちゃんの咳きがひどくなる。
「パパにお顔をくっつけていなさい」
「……うん」
僕は愛ちゃんを胸に抱いた。
完璧だな……。
「Perfect――」
アイダンも同じ思いだったようだ。
「建物の北東に森の開けた場所がある、あの方向だ。そこで火をやり過ごして迎えを待ったらどうだろう」
ブレンンダンの声だ。ホキイの提案を訳し、長い腕で件の場所を指し示している。チップの焼けた三人にはアイダンが英訳を伝えていた。
「そんな場所があるのかい?」
「ああ、ヘリポートでも作ろうとしていたらしい。ホキイが以前、作業を見ていたそうだ。……えっ?」
ホキイはブレンダンの袖を握って揺する。
「ただし……ただし、そこへ行くには燃えている木々の間を通らねばならない。距離にして二十フィート、いや、違う。二十メートルだ。全速力で駆け抜ければなんとかなるんじゃないか?」
僕は考えた。愛ちゃんを背負ってそんな決死行が可能だろうか。迷う一瞬一秒が生存の可能性を狭めていく。
「It's crazy」「Somebody help !」「I don’t wanna die」
こうしてギャアギャア泣き叫ぶ連中の脳は、恐怖の処理に於いて扁桃体と海馬の反応にタイムラグがあるそうだ。遺伝子操作でもチップでも、脳の個性までは変えられない――チップの焼けた三人がそれを証明していた。
「あっ!」
僕は、ホキイにあずけたバックパックに耐火シートがあることを思い出した。日本では入手し難いそれをR・E・Iで見つけ、カートに放り込んでいたのだ。
「三人分しかないけど――」
取り出したそれを、我先にと手を伸ばし、ひったくっていったのは泣き言トリオだ。彼らは礼も告げずに走り去った。
「子どもだっているのに、なんて奴らだ。ああまでして生き残りたいのか」
眼が合ったデレクは気まずそうに顔を背けた。
〔PGBに避難しよう。軍の施設だ、地下シェルターぐらいあるはずだぞ〕
2ちゃんねるの緊急動議を僕が声にする。それは速やかに可決された。
「急ごう!」
開口一番、デレクは脱兎の如く駆け出した。小走りで後を追う彼の背中がみるみる小さくなっていく。
「デレクには」とアイダン。「オリンピック選手の遺伝子が組み込まれている」
つとに知られているように、エネルギーとして遣われる分子はミトコンドリア内で作り出され、運動能力に秀でた人間はその型が酷似していると言われる。スプリンターのパフォーマンスを見せるデレクはF型、雪中行にタフネスぶりを発揮するアイダンやブレンダンはG1型に組み上げられていると判断した。
「もちろん、ミトコンドリアDNAがすべての要因ではない。六十からなる運動能力に関連する遺伝子を、〝彼〟はすべて解析しているんだ。どうだ、驚いたかい」
「ああ、驚いたよ」
僕が驚いていたのは、それほどまでの頭脳の持ち主が、致命的な過ちを犯していることに対してだった。




