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一難去って、また一難。当面の問題――愛ちゃんの救出――はホキイのお陰で解決したが、森林火災についてはなにひとつ打開案が見えてこない。火の勢いは衰えることを知らず、生存可能領域をどんどん狭めつつある。
僕は森を出た。先ほどまでアンテナ群の幅だった火は、いまやその周辺一帯を飲み込まんばかりになっている。早くブレンダンたちと合流して引き返さないと――。
ホキイも同じ考えのようだった。慎重に森を出た彼は、僕の背中からバックパックを外し、代わりに愛ちゃんを背負わせてくれた。そして「急げ」と言うように身体を揺する。
なにかが破裂するような音に続いて衝撃音が聞こえた。アクセスロードを一台のミニバンが猛烈な勢いでバックしてくる。その車体は炎に包まれていた。車は闇雲に方向転換を試みるが、後輪を溶けた雪のぬかるみに落とし込んでしまう。虚しく空転するタイヤはシャーベット状の雪をかきあげるばかりだった。
なんとかしなきゃ――。助けた連中に拘束される危険を顧みなかったわけではない。僕はただ反射的に燃えさかるミニバンに近づこうとした。
一歩足を踏み出した途端、バンは炸裂音と共に2メートルほど持ち上がった。燃料タンクに引火したようだ。火だるまになったドライバーがドアから転げ落ちてくる。駆け寄ろうとする僕の腕をホキイが掴んで止める。彼は黙って顔を横に振っていた。
起き上がったドライバーが死の舞踏を始める。灼熱を吸い込んだ声帯は、ドライバーから断末魔の悲鳴をも奪い取っていた。
むごい――。眠っている愛ちゃんの眼にその光景がはいらないのが幸いだった。
「なにがあったんだ! 彼らになにをした!」
ダニエルたちの異変に気づいたデレクは、クリスのフードを剥いで右耳の後ろを見る。次にチャック、ダニエルと同じようにした。三人はされるがままだった。
「チップが焼き切れてしまっている……」
〔やはりな〕
――彼らの頭には、そんなものが……、知っていたのか?
〔いや……。だが、そうとでも考えないと説明がつかない。金属探知機に引っかからないサイズ、あるいは非鉄金属か――いずれにせよ電子レンジに放り込んでイカレない精密機器はない、と判断してのADS発動だった〕
思うに、彼らは自ら望んだのではなく、誰かの都合でチップを埋め込まれたのではないだろうか。情報の共有の代価としてかけられた軛は想像以上に彼らを苦しめ、それが今回の結果を招いた――そう考えるのは好意的過ぎるかもしれない。だが僕は、彼らもなにかの被害者であるような気がしてならなかった。
「落雷の破壊力にも脅かされたが」アイダンが合流していた。「ダニエルたちはどうなってしまったんだ?」
言葉こそ発しなかったが、後方にいたブレンダンの顔にも同じ質問が書かれていた。
「説明は後だ。みんな揃ったなら早く避難しよう」
知る必要があることなら、必ず知る機会は訪れる。いまは、この難局をどうやって切り抜けるかが先決だ。背中の愛ちゃんが咳き込んで目を覚ました。
「ここはどこ? のどがいたいよー」
「少し息苦しいかもしれないけど――」愛ちゃんを背中から下ろし、濡らしたハンカチで彼女の鼻と口を覆う。そして僕は訊いた。「我慢できるかい?」
「うん」
火災における死因は焼死ばかりではない。高濃度の一酸化炭素は人体表面にダメージを与えることなく生命を奪っていく。いま、僕たちがいるアクセスロードは約十メートルの道幅だが、新たな生贄を求めて強風に舞う火の粉にはないに等しい距離だ。進入路側の森に飛び火すれば、炎と煙の挟み撃ちで、まず助かる見込みはなくなる。
「戻ろう!」
アクセスロードを下るのが最短距離であることはわかっていたが、車でも突っ切れない炎の海を、徒歩の僕たちが渡りきれるはずがない。時間はかかっても来た道を引き返すしかなかった。
「そっちにも……、火を放った」
「なっ、なんですって?」
デレクの告白に動揺した僕は、なんともバカ丁寧に訊き返していた。




