101
「大丈夫?」
全然、大丈夫じゃない。〝きもちわるい〟のすべての文字に濁点がついたような――経験はないが、悪阻の酷い時はこんなものではないだろうか、とトレーラーハウスのベッドで呻きながら僕は考えていた。そうまでして出産なさる女性の偉大さは、また別の機会に讃えよう。いまは、ただただ不快で、喫煙者のみなさんがあんなものを毎日吸っていて、なんともないのが不思議でならない。
「たいへんだっ!」
ノックもなしでトレーラーハウスのドアが開かれる。プライバシーもへったくれもあったもんじゃない。名目上とは言え、僕と知世は夫婦だ。房事の最中だったらどうしてくれる。だが、この時の僕にはブレンダンの不作法に文句を言う気力もなかった。
「どうしたの?」
「森がっ、森が燃えている」
「なんですって! 俊哉、聞いた?」
「う、うん……。消防署に連絡しないとね」
僕もたいへんさでは負けてない。身体を起こそうとしない僕の頭を、知世はその白い手で挟みこむ。
「あたっ!」
電撃が脳を直撃して僕は跳ね起きた。
「どう?」
「どうって、そんな急には……。あれ? 治ったみたいだ。でも、海の時みたいに優しくはなかったね」
「俊哉の様子がいつもと違っていたから――。荒療治になってしまったわね。ごめんなさい」
「いや……、助かったよ。あのままだったら――」
「すまんが話は後にしてくれ」
ブレンダンに急がされトレーラーハウスを出てみると、屋根に登らなくてもランゲル山脈の麓が朱に染まっているのが見えた。アリスとアビゲイルも居て、不安そうに身体を寄せ合っている。
だが、どうにも腑に落ちない。
「落雷もないのに、あれだけ雪の残っている森が燃えるものかな?」
僕が訊ねると、ブレンダンは伏し目がちに答える。
「今朝方、買い物に行った時、クリスとチャックは大量の着火剤を仕入れていた」
「えっ……」
彼らの仕業だったのか――。
「僕は、焚き火に使うものとばかり思っていたんだ。儀式をバカにしていた彼らだ。変だな、とは思ったんだけど、よもやここまで過激な行動に出るとは……」
「湿度の高い気流と乾燥した気流がぶつかり合って上空に上がっていくと雷雲が発生しやすくなるの。ダニエルたちはそれに期待したんじゃないかしら」
アビゲイルが言った。
「なんてバカなことを――」
知世の言葉には怒りより哀れみめいたものが感じられる。
「森に火を放つ行為は許されることではないが、これは千載一遇のチャンスだ。ホキイを起こしてくる。俊哉、用意してくれ。アビゲイル、君は気象モデルに張り付いて逐一連絡を頼む。アリス、君は通信網を駆使してダニエルたちを探せ。知世、君は――」
そこで言葉を切ったブレンダンは絞り出すような声で言った。
「推論エンジンに連絡だ」
「わかった」
三人は丸太小屋へと向かう。途中、アビゲイルが僕を振り返って言った。
「I’m so sorry」




