第9話 眠りのリリーヴァ
医療部の詰め所に、3人の人影があった。
「解剖終わったけど、どうする? あの子に会わせる? 」
沈鬱な表情をしたラルスが、ミルヴァスに問いかける。
「彼女が希望するのであれば」
どこを見ているのか――ぼんやりしたような眼差しの彼を、フロースはためらったように見る。
「いいんですか……? 子供には重すぎるんじゃ? 」
「きちんとした別れもさせずに、ただ死んだと伝える方が酷だと思うがな」
「そうですけど……。遺体の状態もあれですし……」
言いよどんだ彼女の視線が、泳ぐ。
「そこは……ラルス、頼む。最低限顔さえ復元出来ればいい」
目を閉じたミルヴァスは、まとわりつく何かを払うようにゆるゆると頭を振る。
「OK」
頭をかいてそういったラルスの顔は、どこか疲れていた。
――
「この間はごめんなさい。せっかくのリンゴを無駄にしてしまって……」
アルデアは給仕係の女に頭を下げた。
食べ終えた食器を片付けていた女は一瞬驚いたような表情を浮かべるが、ふっと優しく微笑むと首を振って右手を左胸から右胸に向かって動かした。
アルデアがその意図を読み取れず、首をかしげた時、病室の扉が開く。
「失礼する」
そう言って入って来たのはミルヴァスであった。彼が来ると病室の空気がきゅっと引き締まる気がして、アルデアは無意識に背筋が伸びる。
「君の祖母の解剖が終わった。君が希望するのであれば最後に面会の時間を作ろう。どうする」
「おばあちゃん……会えるんですか……? 」
「希望するならな。希望しないなら、このまま機関の方で丁重に埋葬させてもらう」
「会いたいです……。会わせてください」
「……分かった」
松葉杖をついたアルデアが連れられてきたのは、遺体安置所だ。
部屋の真ん中に、布のかかった寝台がある。
ミルヴァスが布を静かに剥がすと、スピカの、眠っているような顔が見えた。
痛ましく刻まれていた傷が綺麗に治り、今にも目を覚ましそうだ。
「私は少し外す。昼に埋葬の用意が始まるので、それまでに別れを済ませておけ」
そう言い残して、ミルヴァスは部屋を出ていった。
一人部屋に残されたアルデアは、安置された遺体にそっと触れる。
「……おばあちゃん……」
当然、返事はない。
ドレスに染みついていた血の色はきれいに落とされて、まるで陽だまりのようにやさしい光を受けていた。安らかに眠るスピカを飾る白い清らかなドレスは、まさしく『リリーヴァ』の名にふさわしい。
「よかったね。ドレスも、きれいにしてもらえて」
「お店、継げなくてごめんなさい……」
「私、2人に教われて本当に……」
アルデアはそっとスピカの手を取った。冷たい。
でも、その慣れ親しんだ手の感触は、彼女が確かにここにいたのだということを伝えてくる。
言いたい言葉はいくつも浮かぶのに、どれも口には出なかった。
「ねぇ……起きてよ……。全部悪い夢なんだよね……。ねぇ……嘘だって言って……。起きて……」
「起きてよ、おばあちゃん……! 起きてってば……! ねぇっ……! 」
溢れ出る感情を、涙を、幼い彼女はどうすることも出来なかった。
安置所の外。ミルヴァスは、内側から聞こえる悲痛な叫びを聞きながら黙って椅子に腰かけていた。
視界の隅に白衣が揺れ、見るとフロースが立っている。
「本当に、よかったんですか……? 」
その声にいつもの朗らかさはない。
「……彼女が自分で選んだなら、それが正しい」
「そうですか……。これから、荒れるでしょうね」
「それを踏まえて、ひとつ頼みがあるんだが」
首を傾げたフロースに彼は何か話し、それを聞いたフロースはしっかりと頷いた。
夜。アルデアは夕飯も食べる気になれず、ベッドの上で何度も寝返りを打っていた。
何を考えてもスピカのことが頭に浮かぶ。
病室の外に感じる人の気配さえ今はうるさく感じた。とにかく人のいないところへ行きたくなった彼女は、病室を出て、人目を避けるように広い廊下を歩いた。
夜の闇の中を当てもなく歩き続けた彼女がたどり着いたのは、立派な中庭だ。噴水や花壇が美しく整備され、そこかしこに光石を閉じ込めたステンドグラスの照明が配置されている。
コキアの並ぶ小道を通り抜けたアルデアは、水の音に誘われるように噴水前のベンチに腰掛ける。
風に混じって、懐かしい煙の匂いがする。
その匂いが思い出させるのは、リンゴ畑の風景だ。
嬉しい時、悲しい時、節くれだったしわしわの手が、剥いてくれたリンゴの形だ。
「真っ赤な……リンゴが……はらはらはらせ……」
幼い頃、スピカがよく歌っていた歌を、口ずさんでみる。
「みのりの……季節が……」
続きは、声にならなかった。
胸が痛くて、込み上げる何かで喉が詰まった。
この美しい風景の中で、自分は一人きりなのだと、アルデアは思った。
夜風がやたらと寒く感じて、自身の体をぎゅっと抱きしめる。
「誰かいるの……? 」
そんな時、闇の中から少女の声がした。
まさか自分以外に人がいると思っていなかったアルデアは、「ひっ! 」と声を上げて声の方を振り返る。
「あなた、この間入院してきたっていう子? こんなところで何してるの? 」
そこにいたのは、車いすの少女であった。ぱっちりとした目、腰まであろうかというウェービーな金髪。
――先日ミリカが持っていた絵の中にいた正にその人であったが、アルデアにそれに気付く余裕はなかった。
「あの……えっと……」
言葉を探して逡巡するアルデアに少女は言う。
「こんな夜中に勝手に病室を抜け出したら怒られるわ……。師長さん怒るとすごく怖いの。早く帰った方がいいと思う」
鈴を転がすような細い声音であった。
「う、うん。そう、だね」
「もしかして泣いてるの? 」
「ちがっ……そんなんじゃ……ない……」
「悲しいことがあったの……? 」
「大丈夫。大丈夫だから……」
アルデアは少女の言葉を振り切るように立ち上がり、松葉杖を忙しなく動かしてその場から逃げ出した。
「あ、待って! 」
少女はアルデアに手を伸ばすが、届かない。足元に小さな人形が現れ、彼女の顔を無表情に覗き込む。まるで、主を心配でもしているかのように――。
「……行っちゃったわ」
人形の頭をひとなで。車いすのギッギッという軋みが夜闇に溶けていった。
機を織る音が聞こえる。
あたたかい日差しが降り注ぐ中、アルデアは目を覚ました。
抜けるような秋の空が心地よい朝だ。
ベッドから降りた彼女は、テーブルに置かれていた、白いドレスに袖を通す。
今日は洗礼式だ。
姿見を見る。そこにはリリーヴァの名にふさわしい、可憐な少女がいる。
ドレスに縫い留められたビーズが陽の光を反射してキラキラと光る。
うん。やっぱりきれい。にっこりと頷く。
階段を下りる。
スピカが機を織っている横で、ルーナが朝食の用意をしている。
機織り機の音、焼き立てのパンのにおい、窓から見えるリンゴ畑。幸せ。
窓辺に飾ってたホウセンカ、いつの間に枯れたのかな。
アルデアは「おはよう」と、二人に声をかける。
アルデアの姿を見た2人は笑顔を浮かべて言う。「よく似合ってるね」
アルデアはその場でくるりと回って見せる。3人で笑う。幸せ。
教会。風が3人のドレスの裾をはためかせる。少し、肌寒い、気がする。
水色のドレスを着たティトをラナが抱いている。おかしいな。顔が見えない。
みんなで祭壇に飾りつけた花、あれ? なんだっけ?
「アルデア、糸は、人と人をつなぐんだよ――」
ステンドグラスが礼拝堂の床に綺麗な影を落としている。
ああ、幸せ。
「何をしてる」
何かが壊れる音がした。
振り向くと、誰もいなかった。
穏やかな陽光は消え失せ、真っ暗な闇が広がっていた。
悲鳴、うめき声、泣き声が聞こえる。
見ると、母がいる。
スピカと2人手を取り、祈るように目を閉じている。
こちらを見る。
何か言っている。
血しぶき。
血だまりが出来ている。
赤く染まるリリーヴァ。
誰かが叫んでいる。
何が起きた?
分からない。
スピカが倒れている。
血が、命が流れていく。
どうして?
分からない。
顔を上げる。知っている人たちが磔にされている。
どうして?
分からない。
緑の女の子がいる。
この子を私は知ってる……気がする。
女の子が言う。
「壊れたのは、お前のせいだよ」
手が冷たい。息が出来ない。
「見なかったから。気づかなかったから。感じなかったから――」
あたたかかった光は一瞬で凍りつき、世界が音を立てて崩れ落ちた。
誰もいない。
何もない。
真っ暗な闇。
リリーヴァが、 足元から、糸のように――ほつれて、ほどけていく。
嫌だ。
やだ。
やだ、やだ。
助けて。
なにが、いけなかった?
何が――。
緑色の光が爆ぜる。
みんなが私を指さしている。
「どうして、どうして……どうして……」
叫ぶたびに、声がひび割れていく。心が削れていく。
誰かが背中に触れた。やさしくて、あたたかい手。
誰だろう――でも、とても安心する……。
眠りに、落ちる――。




