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Lumina Linea~エメラルドの糸使い~  作者: 彩︎華じゅん
第2章 空白のジプソフィラ
10/24

第10話 しるしの意味

 教会の鐘の音が聞こえて、アルデアはぼんやりと目を覚ます。


 夕べはいつの間にか眠ってしまっていたらしい。枕もとの眼鏡をかけると、サイドボードにミリカが書いてくれた似顔絵がそのまま置かれているのが見える。


 ミリカの花のような可愛らしいタッチの絵を見て、アルデアは少しだけほっとした気持ちになった。


 体を起こす。


 なんだかやけに体がだるい。体も、心も、どこか重たい気がする――。久しぶりに歩いたからだろうか。


 昨日の夜のことが頭をよぎる。が、あまりはっきり思い出せない。


 何か大事なことを忘れている気がする――まぶたの裏に、誰かの声が残っている気がする。でも、それが誰なのか、思い出せなかった。


 病室を抜け出して、それから、どうしたのだっけ――。


 はっきりしない頭で考えていると、病室のドアが開いて、いつもの給仕係の女が朝食を運んできた。


 女はアルデアの姿を見て心配そうに眉根を寄せ、また、右手を左胸から右胸に動かして首を傾げる。


 アルデアはやはり意味が分からず、「おはようございます」とだけ返事をした。

 

 

――

 


 ちょうどその頃、魔法機関の一角にある会議室に大人たちが集まっていた。ミルヴァス、ラルス、フロース、ミリカ、そして、赤みがかったブラウンの髪をアップにした中年の女だ。

 

「皆様お集まりいただきありがとうございます。これより保護児童、アルデア・ヘロディアスの入学前カンファレンスを開催致します。司会進行は私、総帥室直属補佐官セネシア・クレイニアが務めさせていただきます」



 セネシアと名乗った女は、凛とした所作で一同に向かって丁寧に頭を下げる。

 


「今回は教育部長が任務のため欠席ということなので、会議の内容は後ほど私から責任を持って報告させていただきます。彼女の状態について、医療部から順にお願いします」


 

 指名を受けたラルスはひとつ咳払いをして、手元に用意した書類をゆっくりと読み上げる。


 

「彼女を保護した際、顔面の腫れと、頭部強打、もしくはジェムを直視したことによる視力低下、全身打撲が見られました。左足は捻挫――三度損傷ですね。精神的ショックから、こちらからの問いかけに対する反応はなし、という状態でした」


 

 2枚目の書類をめくる。


 

「現在は投薬治療と、捻挫した左足のリハビリを実施しています。また、保護直後に体内から睡眠薬の成分が検出されており、そちらについては事件性ありってことで調査部に報告済み。心的外傷についてはフロースから頼む」



 フロースは「はい」と返事をして続ける。

 

 

「現在、催眠療法を通して少しずつ事件の時の記憶を探っています。当然ですが、最初は強いフラッシュバックで錯乱する様子が見られました。でも、セッションを繰り返すうちに少しずつ客観的にあの時のことを振り返って、自分の感情を言葉に出すことができるようになってきています。昨日、亡くなった家族の遺体と対面した後ですね。夜間にうなされて暴れる症状――夜驚症が出ました。眠っている間は私の催眠が届かないので、『ご協力』をいただきながらそちらも慎重に見守っていきます」



 書類をめくる音が響く。

 

 

「それと、こちらはアズキさんからの報告です。今日はアルデアの機能訓練に行っているので私が代読します。現時点で、捻挫部の回復は順調。投薬による炎症の抑制も効果が見られ、腫れや痛みもほぼ消失。今後は可動域の回復を第一目標に、段階的な歩行訓練へと移行していく。とのことです。私からは以上です」



 フロースから目配せを受けたミリカが頷く。


 

「えっと、食の好みや栄養状態についての聞き取りをしました。身長と体重は9歳の女の子の標準値で、肌も髪もきれいなので、特に栄養面での心配はないかなって思います。リンゴが好きだったみたいですけど、今は食べられないって言ってました。入院したばかりの時にリンゴを見てパニックを起したから、トラウマの引き金になってる感じです。しばらくリンゴは出さないで、フロースさんと連携して慎重に観察していきます。はい、以上です」



 それぞれの話を手帳に書き込みながら話を聞いていたミルヴァスは、「では……」と続けて話し出す。何故だか彼の右頬には白い絆創膏が貼られているが、誰もそのことを気に留めている様子はない。

 

 

「最後に調査部からの報告を受けて、アルデア・ヘロディアスの身元と家庭環境について、現時点で判明していることを報告いたします」



 黒い手袋をした手が、銀色のペンをぎりりと握りしめる。

 

 

「彼女の氏名はアルデア・ヘロディアス。年齢は九歳。居住地は北部のノートル市。保護者として……ルーナ・ヘロディアスの名前が記録されています」



 5人の間に密やかな緊張が走った。

 

 

「……そのルーナ・ヘロディアスは、現在、医療部の集中治療室にて治療を受けています。身元確認の結果、本人であることは……間違いありませんでした……」



 口を開いたのはラルスだ。彼らしくもない、苦虫を噛み潰したような表情で報告する。

 

 

「さらに、被害現場において死亡が確認された……スピカ・ウィルゴーについては、本人との血縁関係は確認されていません。しかし事実上の祖母として生活を共にしていたようです」



 続いてミルヴァスが言う。

 

 

「加えて、これは保護当時アルデアが所持していた手紙です。筆跡と文面から、ルーナ・ヘロディアスがアルデア宛に書いたものと見られます。内容は……彼女を避難させる意図を感じさせるもので、今後の事件解明においても、重要な手がかりとなる可能性があります。私からは、以上です」


 

 二の句を告げる者はいなかった。しんと静まり返る空気を最初に打ち破ったのは、セネシアであった。

 

 

「……ありがとうございます。全く……何と言っていいやら……」


 

 噛みしめるように言い、俯いた。会議室の中を、陰鬱な空気が満たしている。



「……ちなみに、手紙には何と? 」



 ミルヴァスは複写した手紙の内容を読み上げた。切なげな顔で聞いていたミリカがハンカチで目頭を押さえる。


 

「教会へは行かないで……ですか」

 

「恐らく彼女は……」


 

 セネシアはミルヴァスの言葉を遮る。


 

「いえ。結構。仮に『そう』だったとしても、もう過ぎてしまったことです。今はアルデア・ヘロディアスの今後について話し合いましょう」


 

 それから、各部門ごとにアルデアの生活支援や健康管理、進路についての話し合いが始まり、全てが終わったのはおおよそ1時間ほど経ってからだった。


 

「では、これにてカンファレンスを終わります。ありがとうございました」


 

 セネシアによるしめくくりでそれぞれが自分の持ち場に戻る。


 先を歩くミルヴァスの背中に向けてフロースが声をかけた。


 

「教官、さっき、何を言いかけたんですか? 」



 ミルヴァスはどこか虚ろな目で地面を見つめて言う。

 

 

「手紙の文面を読んで、思うところがあってな」

 

「思うところ? 」

 

「……ただの個人的な憶測だ。大したことじゃない」

 

「そうですか……」

 


 何となく気まずい雰囲気が漂い、フロースはそれ以上何も言うことが出来なかった。

 

 

――

 

 

 病室。足のギプスが取れたアルデアは、アズキによる機能訓練を受けていた。

 


「痛みを感じたら教えてください」


「はい」


 

 ベッドに腰掛けたアズキは、すっかり腫れの引いたアルデアの足を自身の膝の上に持ち上げて、足首を上下左右に動かしながらゆっくりとほぐしていく。


 アルデアはアズキが着ている紺色の医療用スクラブの生地感や縫い目を観察しながら、給仕の女の真似をして右手を胸の前で動かしてみる。何度も同じ動作をして首をかしげるアルデアの様子を見たアズキはぽつりとつぶやく。


 

「手話に興味がおありで? 」

 

「手話? 」


「あなたが今やっていたことです。発語によるコミュニケーションが難しい者が、手の動きで他人と意思を通わせる方法です」



 耳がピンと動く。どういうタイミングで動いているのかはよく分からない。



「この動きって、どういう意味があるんですか? 」


「右手を胸の前でそのように動かすのは『大丈夫』という意味です」


 

 アルデアの頭の中ですべてがすっきりとつながる感覚がした。



「そっか! そういうことだったんですね! 」



 リンゴを無駄にしたことを謝った時も、今朝も、給仕係の女はその手で『大丈夫』を伝えていてくれたのだと知ったアルデアは胸がほんのりとあたたかくなるのを感じた。


 

「手話ってもっとあるんですか? 」


「ありますね。私たちが話す言葉と同じくらいか、それ以上か」


「教えてほしいです! 」



 アルデアのまっすぐな目に見つめられたアズキは、少し戸惑ったように下を向く。

 

 

「訓練のついででよければ……。私は忙しい身ですので」




 ――



 アルデアの病室を訪れたミルヴァスは、扉の向こうがやけに賑やかなのに気が付いた。


 アズキが低い声で何か話し、アルデアがそれを受けて活発な声を上げているのが聞こえる。


 

「失礼する」



 扉を開けると、ベッドに向かい合わせに腰掛けた2人が手振りで何かしているようであった。



「訓練中だったか? 」


「いえ。そろそろ終わるところです。用ならばどうぞ。席を外します」



 ミルヴァスの存在に気付いたアズキがベッドから立ち上がる。

 


「ミ、ミルヴァス……さん、その……顔、どうしたんですか!? 」


 

 ミルヴァスの頬の絆創膏を見たアルデアが驚いて声を漏らした。



「これは……猫だ」


「猫!? 」


「……猫にやられたんだ」



 言いよどんだミルヴァスが絞り出す。



「え!? 猫ってまさか……」



 アルデアの視線を受けたアズキの耳が若干後ろへ動いた。

 


「違う。猫というのは普通の猫のことだ」


「私が普通ではないとでも言いたげですねぇ」


「絡むな」



 じっとりとしたアズキの視線を振り払うように言ったミルヴァスは、ベッドサイドの椅子に腰かける。



「君の今後についての話をしに来た。今、いいか? 」


「今後……? 」



 少し空気が張りつめたのを察したアズキは、仕事道具の入ったバスケットを抱えて「それでは」と病室を出ようとした。

 

 その背中にアルデアは少し大きな声で言う。

 

 

「アズキさん! また教えてくださいね! 」


「……気が向きましたら」



 無機質に言って病室を出たアズキの尻尾がゆらゆら揺れていたことをアルデアは知らない。

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