第20.5話 古い人形
アルデアがピコットとの使い魔契約の儀をしてから、半月。
髪の毛や服の中に潜り込んでじっとしているばかりだったピコットは、少しずつ外に顔を覗かせるようになってきていた。
10月も下旬。連日の雨が少しずつ寒さを呼び、遠くに見える山が赤く色づき始めている。アルデアは雨音を聞きながら机に頬杖をつき、隣の席でテキストを読んでいるルキオラに声をかける。
「そういえば、ルキオラの使い魔って何なの? 」
「……別に関係ねえだろ。」
彼はテキストから視線を外さず、不愛想にそれだけ言い放った。
「じゃあいいよ! 当てるから。」
その物言いにむっとしたアルデアは、ルキオラの周りをぐるぐると歩き回って全身を観察し始めた。
「何だよ。」
「いいから。」
嫌そうな彼の様子などお構いなしに、制服の生地感や汚れを観察していく。
「ルキオラの制服、毛羽立ちがいっぱいあるね? まるで小さい手で掴んだみたいな。」
「近い近い、離れろよ……。」
身を引こうとするルキオラの腕を強引に掴んで観察する。
「こんな風な毛羽立ちになるのはどういう動物だろう……犬や猫じゃないし……鳥? そっか、鳥! ねえ、どう? 当たり? 」
アルデアは自信満々に彼の顔を覗き込む。その顔は何故だか少し赤くなっていた。
「だ、だから近いっつの! お前距離感どうなってんだよ! 」
ルキオラはアルデアに掴まれた腕を振りほどく。その瞬間、キキッ……と声がして、その懐がモゾモゾ動く。
「あれ、今なにか……。」
「ああ……。」
ルキオラのジャケットから顔を出したのは、小猿であった。くるくるとした大きな瞳に、ふさふさとした茶色い毛並みが可愛らしい。異質なところがあるとすれば、その瞳がルキオラと同じアメジストのような紫色をしていることだろうか。
「わぁ……! 可愛い! 」
「あんま近付くと……。」
彼がそう言った瞬間、襟元から飛び出した小猿がアルデアの顔に飛びついた。
「ギャッ! んー! んー! 」
もふもふとした毛に顔が覆われ、鼻の中が独特なポップコーンのような匂いで支配される。案外悪い気はしない。
「やめろ! エペ、戻れ! 」
小猿はキキッと鳴くと、身軽にジャンプしてルキオラの肩へと戻っていった。
「び、びっくりした……。」
ななめにズレてしまったメガネを直す。
「いつもは外に出ないように言ってんだ。こいつ、調子に乗るとすぐ人にちょっかいかけに行くから……。」
気まずそうな顔をしたルキオラは横目でアルデアをうかがい見た。
「えっと……大丈夫かよ。怪我とか。」
「平気だよ。それより、エペっていうの? その子。どうしてその名前にしたの? 」
「べ、別に何だっていいだろ……! 」
ルキオラは苛立ったように言うと「やめろ!」と肩に乗ったエペを捕まえようとする。彼の髪をぐしゃぐしゃとかき回していたエペはその手を軽々とすり抜け、まるで曲芸のように彼の頭の上で逆立ちをして見せた。
「わぁ! すごい! 賢い子なんだねえ! 」
褒められて気を良くしたのか、ルキオラの頭から身を乗り出したエペは彼の瞼を指で思い切り上へ引き上げる。
「やめろっつの! 」
強制的に変顔を披露させられたルキオラは、真っ赤になってエペを手で振り払おうとする。しかしエペは全く意に介さず、次々とルキオラの顔を変にしていった。完全にからかわれている。
その様子を見て腹がよじれるほど笑ったアルデアは、乱れた息を整えるために一度彼らから目線を外す。深呼吸して、顔を上げた彼女の視界に入るのは、あの人形――。
「ねえ、もしかしてあなたも誰かの使い魔だったりするの? 名前は? 」
しかし、人形は何も答えることなく、じっと黒板の方を見ているだけだ。
「その服、せっかくきれいなのにほつれてる。直してあげようか? 」
「……お前、人形に話しかけてんのかよ。気持ちわりぃ。」
ようやくエペの攻撃から逃れたルキオラがしかめっ面をして言う。
「気持ち悪くない! この子がどんな子か知りたいの! 」
「どんな子って……ただの人形だろ? 」
「でも、動いたり歩いたりするよ? 生きてるみたいに。ミルヴァス教官から何か聞いてないの? 」
「別に。むやみに触るなって言われたぐらいだし……。」
2人が話している横で人形はカタリとミニチュア椅子から立ち上がり、机から飛び降りて歩き出した。
「あ! どこ行くの? 」
「ほっとけって。」
「気になるから! ねえ、どこ行くの? 」
アルデアの呼びかけに答えず、人形はわずかに開けてある扉から教室を出ていこうとする。
「あー、待って! ルキオラ、また明日ね! 」
「……変なやつ。」
そうつぶやいたルキオラの声は、彼女には聞こえていなかった。
「ねえ、どこに行くの? そっちは医療部だよ? 」
廊下を早足で歩く人形を追いかけて、声をかける。人形は医療部棟へ続く扉の方へ、まっすぐ歩みを進めていった。
やがて扉の所へたどりついた人形は、やはり少しだけ開けてある隙間から中へと身を滑り込ませた。
「わ、入っちゃった……。ねえ、怒られちゃうんじゃない? 」
あたりを見回したアルデアは、恐る恐る自分も扉の向こうへと足を踏み入れる。
「ねえ、戻った方がいいんじゃ……? 」
「あら、アンタこの間退院した子? 」
不意に聞こえたハスキーな声に、顔を上げる。そこにいたのは、ナース服に身を包んだベリーショートの女だった。
「あ……えっと、はい……。」
(誰だろう……初めて見る人だ……。)
アルデアが戸惑っていると、その人は彼女の肩に手を置いて豪快に笑った。一部だけ色の抜けたような前髪が揺れる。
「そんなビビんないよ! 取って食ったりしないから! どうした? 怪我? 体調不良? 」
「……どっちでもなくて……あの、人形を……。」
見失ってしまわないように、人形の後姿を視線で追いかける。
「人形? ああ、あれね。あれは気にしなくても大丈夫! 」
焦るアルデアの気持ちなどお構いなしにその人はまくし立てる。
「それより、その後体調はどうなの? ちゃんとご飯食ってる? 夜寝れてる? まさかホームシックになんかなってないよね? 」
「は、はい……。大丈夫、です……。」
(ああ……お人形が行っちゃう……。)
彼女が人形を追いかけようとした時、背後から耳に馴染んだ声がした。
「何を子供に絡んでいるのですか。サビア。」
ピンと揺れる赤茶色の耳に、紺色のスクラブ。そこにいたのはアズキだった。
「あらあら師長。どちらへ行かれていたのかしらぁ? 」
サビアと呼ばれたその人は、アズキの姿を見るとくいっと丸メガネを上げ直し、やけにねっとりとした調子で話し出す。
「小一時間休憩していただけですが。」
「あんまり見かけないからお辞めになったのかと思いましたわぁ。」
その様子にアズキは特に気を悪くした様子もなく、いつもの調子で口を開く。
「それは失礼。人間の時間感覚を理解していないもので。20年くらい経っていましたか? 随分老けられましたね。あー、元々でしたか。」
「まーあイヤだわ、失礼しちゃうー。」
憎まれ口を叩かれているのに、サビアは何故か嬉しそうだ。
「……して、あなたは何を? 」
黄金色の瞳がアルデアを見る。
「あの……人形……。」
彼女が言いかけたところで、人形は曲がり角を曲がってしまった。
「あ! 待って! 」
「これ、どこへ行くのです! 」
アズキの声を背中に聞いて人形を追いかけたアルデアは、角を曲がったところで誰かにぶつかった。
「わっ! 」
「廊下を走るのは危険ですよ。」
聞こえたのは、低い男の声だ。
「ご、ごめんなさいラルス先生……ん? じゃない? 」
「不名誉な間違いはやめてください。」
幾重にも光のひだが重なっているような紫の瞳に、癖の強い真っ黒な髪。白衣をきっちりと着こなしたその男は、ひとつ咳ばらいをする。
「君、アルデア・ヘロディアスさんですね? 」
「どうして知って……。」
「医者ですから。当然です。」
言葉尻を食うようにそう言った彼は、ポケットから取り出した懐中時計を見る。
「お医者さん……? 」
ラルスのゆるりとした雰囲気とは対照的な、几帳面そうな雰囲気だ。
「君はここで何を……」
彼がそう言いかけた時、「ディオネア先生」と柔らかな声が響いた。
「医療計画を確認して欲しいんですけど……。」
現れたのは、フロースである。
書類の束を手に抱えたフロースは、アルデアの姿を見てにこりと微笑む。
「あら、アルデア。どうかしたの? 」
「フロースさん、あの私、お人形を……。」
「どれ、見せて。」
ディオネアと呼ばれた彼は、2人の間にずいっと割り込む。そして、フロースの手にある書類を受け取ってパラパラと内容を見て、うんうんと頷いて見せる。
(え……お人形……。)
「うん。いいね。よく考えてある。ただ、この患者の経過はちょっと読めないところがあるから、そこだけ留意した方がいいと思う。」
その声は先ほどのトゲのある声音とはうって変わって、優しく穏やかな調子だ。
2人が話している横でアルデアが人形に視線を戻すと、人形はもうかなり遠くへ行ってしまっていた。
(ああ……また……。)
「あ、ちょっとアルデア! 」
「廊下を走らないでください! 」
焦って走り出した背中を声が追いかけてくる。
人形を追いかけてひた走ったアルデアは、いつの間にか入院棟の病室が並ぶ廊下に来ていた。
「どこ行ったのかなぁ……。」
不意にひとつの扉が開き、病室に入っていく人形の姿がちらりと見える。
「ま、待って! 」
ついて入ろうとしたアルデアはまたしても誰かにぶつかった。
「用もないのにこんなところまで来るのは感心しないぞ。」
見下ろすのは、紫金の瞳。
「ミルヴァス教官! あの、お人形が……! 」
「それについては後ほど説明する。今日はもう帰るんだ。」
ミルヴァスに追い立てられるように入院棟を出たアルデアは、待ち構えていたアズキに小言を言われ、しおしおと帰路についたのであった。




