第16話 クラス『ルクス』
総帥棟から戻った後、寄宿舎で簡単に朝食を済ませたアルデアは、再びミルヴァスと共に機関の中を歩いていた。
ロビーでアルデアを待つミルヴァスにセダムはしきりにソノリスで何か話しかけていて、彼は「大丈夫ですから……」とどこか困ったように言葉を返していた。
そのやりとりは、少し離れたところにいたアルデアの耳にもはっきりと届いていた。
(何の話をしてたんだろう……。)
セダムの心配そうな顔が思い浮かぶ。
時折ちらりとこちらを見るその視線の意味が気になって、少し、胸がチクリとした。
「これから君が配属されたクラス『ルクス』に案内する。はぐれないように。」
アルデアの先を歩くミルヴァスは、レンガ造りの大きな建物の前で立ち止まる。
「ここが教育棟だ。」
彼がソノリスで扉を開けると、中にはタイルの敷かれたホールが広がっていた。
ホールの窓はステンドグラスになっていて、差し込む柔らかな光がノーシアの教会を思い出させる。
「教育部は初等部、中等部、高等部に分かれていて、進級するにつれて学ぶ内容が高度になっていくんだ。」
静かなホールに2人分の足音が響く。
ミルヴァスは「初等部」と書かれた札の下がる白い扉を開けて、アルデアを中へいざなった。
「このフロアは初等部。8~9歳の生徒がいる。」
廊下と教室を隔てる壁は上半分がガラス張りになっており、中ではアルデアと同じ制服を着た子供たちが授業を受けている。
甲高い声を上げて離れたところにある鉄球を粘土のように歪ませたり、指先から出現させた小さな火を天井につきそうなほど大きく昂らせたり――。
目を丸くしたアルデアが彼らの姿に見入っていると、一人の女の子がこちらを振り返る。
挨拶しようと手をふりかけたアルデアだが、女の子は彼女から露骨に目をそらし、隣に座っている別の女の子に何かひそひそと耳打ちし始めた。
(あれ……どうしたのかな……。)
上げた右手が、ただ宙をかいた。
「何をしてる。行くぞ。」
廊下の先でミルヴァスがこちらを見ている。アルデアは制服の裾をキュッと握りしめ、足を進めた。爪先が、やけに冷たかった。
俯き加減の彼女の前を歩くミルヴァスは、まっすぐ廊下を進む。フロアには2つの教室が並んでいたが、そのどちらにも入らず、やがて2人はつきあたりの扉の前に立っていた。
「あの……通り過ぎちゃいましたよ? 」
アルデアは教室の方を振り返って問う。
「初等部、ここじゃないんですか? 」
ミルヴァスはその問いには答えず、ただ「大丈夫だ。」と扉の向こうを示す。
階段を上り、荷物が雑然と積まれた薄暗い倉庫のような空間を抜け、気付けば初等部のフロアからはすっかり遠ざかってしまっていた。
「あ、あの……ミルヴァス……さん。」
不安を覚えたアルデアが更に問いかけようとしたとき、ミルヴァスは扉を開けて――。
「クラス『ルクス』はこのフロアだ。」
「え……ここって……。」
アルデアの目に飛び込んできたのは、どこかで見たような光景――無機質な機械、慌ただしく動く看護師たち、そして鼻をつく消毒液のにおい。
「ここって、医療部ですよね……? 」
「諸事情あってな。ルクスは医療部棟のすぐ隣に併設されているんだ。」
呆気にとられたアルデアの背後から、耳に馴染んだ声がした。
「あら、アルデア。いよいよ入学ね! 」
そこにいたのは、シニヨンにまとめた栗色の髪に、琥珀色の瞳――フロースである。
「フロースさん! 」
思いがけない再会に、アルデアの頬がほころぶ。
重そうな資料の束を両手で抱えたフロースは、彼女の様子を見てにっこりと微笑んだ。
「制服、似合ってるわよ! 勉強頑張ってね! 」
早足で去ったフロースと入れ替わるように詰め所から出てきたのは、アズキだ。あれは何というのだろう。二つの球を縦につないだような、小さな入れ物を持っている。
「アズキさん! 」
「おや、2日ぶりですね。」
その尖った先端にはまった栓を抜き、マスクの隙間から口元に持っていこうとしていたアズキは、アルデアがいることに気が付いてさっとマスクを戻す。
「怪我などされましたら、すぐいらしてくださいね。」
入れ物を腰のベルトに引っ掛けたアズキは、「ラルス、この間の報告書がまだですよ。」と早足で病棟の奥へ消えていった。
(……なんか、思ってたのと違うなぁ。)
ふぅ、と息を吐く。
魔法学校というくらいだ。彼女はもっと絵本や物語のような夢のある世界を想像していたのである。だが、目の前の現実は、あまりにも『現実』すぎた。
(でも、ここならフロースさんにもアズキさんにもいつでも会えるし……! )
気持ちを切り替えるために、ぐっと背筋を伸ばす。
医療部の片隅にある部屋の扉を開けたミルヴァスが、アルデアに手招きをする。
「ここが教室だ。入れ。」
心臓がドクンと脈打つ。先ほど初等部であったことが頭をよぎったのだ。
このクラスにはいったいどんな子がいるのだろう、仲良くなれるだろうか――。
意を決し、ミルヴァスに続いて教室に入ったアルデアは、またしても予想外のことに驚かされる。
「今日からルクスに編入する者だ。自己紹介を。」
教室の中には、学習机が3つ。明るい茶髪の少年が座っている窓際の席、空席をはさんで、60㎝ほどの人形が座っている扉側の席。それだけだ。
一瞬戸惑ったが、ミルヴァスの視線を感じて、慌てて口を開く。
「アルデア・ヘロディアスです。ノーシアから来ました。よろしくお願いします。」
初等部フロアでは、一つの教室に10~15人くらいの子供がいたように見えた。ここは――何なのだろう。
「同じクラスの者同士、助け合うように。」
それだけ言ったミルヴァスは、アルデアに真ん中の席に座るよう指示する。そして――
「少し準備があるので外す。すぐに戻ってくるので、待っているように。」
と言って教室を出ていってしまった。教室内がしんとした空気で満ち、沈黙に耐えられなくなったアルデアは、隣に座っている少年に声をかけてみることにした。
「今日からよろしく。名前聞いても……? 」
だが、少年はアルデアの方を見もせず、テキストを黙々と読んでいる。
(聞こえなかったかな? )
「ねえ、名前……。」
「ルキオラ。」
少年はテキストから目を離さず、不愛想に言う。
「ルキオラっていうんだ。ルクスって君だけなの? 初等部の方から来たんだけど、あっちはもっと人数いっぱいだったよね? 」
しかしルキオラは何も答えることはなかった。
「ルキオラはどんな魔法使うの? もしかしてこのお人形に関係あったりする? 可愛いお人形だよね。」
それでもめげずに話しかけるアルデアに、ルキオラは小さく舌打ちする。
「気安く話しかけてくんじゃねえよ。」
言われた意味が理解できず、アルデアはしばしポカンと口を開けて少年を見ていた。
「……話しかけるなって、私に言ってるの? 」
細く開けられた窓から風が吹き込み、ルキオラのテキストがパラパラとめくれる。
「他に誰がいんだよ。」
「どうして? 」
「話したくないからに決まってんだろ。オレ、寝るから。」
それを苛立たしくおさえたルキオラはテキストを閉じ、けだるげに机に突っ伏した。
「それじゃ分からないよ! ちゃんと説明して! 」
アルデアは自らの腕に顔をうずめるルキオラの肩をゆする。その勢いにルキオラは驚いたように顔を上げ、アルデアをぎっと睨みつける。
「触んな! 」
アメジストのような、透き通った紫色の瞳だった。その美しさに一瞬どきりとしたアルデアだが、そんなことより今は何としてでもこの少年と話がしたかった。
「会ったばかりなのに話しかけるななんておかしいよ。たくさんお話するのが人と仲良くなるコツだってお母さん言ってたよ? 」
「別にお前となんか仲良くなりたくねえし。」
「だから、なんで! 」
だんだんとヒートアップしていく2人の口論に耐えかねたように、机の上に座っていた人形が立ち上がる。突然動き出したその姿を見たアルデアは目を丸くし、ルキオラは不気味な物でも見るかのような視線を投げる。
「……このお人形、動くの!? 」
「知らねえよ。」
白いワンピースに身を包んだ人形は机の間を軽々と飛び越え、2人の間に入るように両手を広げた。
「もしかして、喧嘩しないでって言ってる? 」
無表情な顔がコクリと頷く。それを見たルキオラは心底嫌そうな表情を浮かべる。
「どいつもこいつもいい子ちゃんぶりっ子かよ……。やってらんね。」
「何がやっていられないんだ? 」
不意に聞こえた声に2人は弾かれたように後ろを振り返る。いつの間にか扉のところにはミルヴァスが立っていた。
「さっそく打ち解けたようで、何より。」
ルキオラはちらりとアルデアを見て「そんなんじゃないっす」とだけ言って頬杖をつき、ぷいっと窓の方をむいてしまった。
(……話したかっただけなのに。もう。)
「これから魔力測定を行う。アルデア、前へ出てくるように。」
彼の様子にアルデアは少しむっとしたが、さすがにミルヴァスの前で文句を言うことは出来ず、言われるまま立ち上がる。
「これは、ストームグラス式魔力結晶測定器。通称魔力管だ。」
ミルヴァスは教卓の上に雫型をした人の頭ほどあるガラス容器を置いて、説明を始めた。
「君には今から魔力管に魔力を流し込んでもらう。中にある水がどれくらい結晶化するかで、君が持っている魔力の量が分かるんだ。」
「魔力を……? どうやればいいんですか……? 」
アルデアはこの魔法機関に来てから、まだ一度も魔法を使ったことがなかった。
洗礼式の日に、自分が魔法で怪異を退けたという話はフロースから聞いて知ってはいた。ただ、魔法の力というのを自分の一部として感じられるほどの実感は、まだない。
初等部フロアにいた子供たちは、手から炎を出したり、声で物を動かしたりしていたが――
(本当に、そんなすごい力があるのかなぁ……。)
「ここに触れて、名前を呼ぶんだ。君のジェムの。」
「ジェム……。」
思い浮かんだのは、あの少女である。自分に向かって悲しげに手を伸ばしていた、緑の髪の少女。
彼女の名前は
「スピン……ドラ。」
アルデアがその名を口にすると、胸の奥から何かが弾けるような感覚が走り、体が一気に熱くなる。そして次の瞬間、魔力管の中が鮮やかな緑色に光を放った。
わずかに目を見開いたミルヴァスが、アルデアの手をガラスから引きはがそうとした瞬間――
体の奥底まで差し込むような、大きな衝撃が走る。
爆発音。何かが割れるような音がして、ルキオラが「うわっ!」と叫び声を上げる。
目の前が真っ黒になって、力の抜けた体が誰かに抱きかかえられる。
「何ですか! 今の音は! 」
駆け込んでくる誰かの声がして、アルデアの意識は途切れた。




