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Lumina Linea~エメラルドの糸使い~  作者: 彩︎華じゅん
第2章 空白のジプソフィラ
13/24

第13話 祝福の痕

 たくさんのコスモスの花が咲いている。 


 ピンク、白、黄色……その中に一輪だけ混じる、黒い花。



 ――



 風に乗って、淡い旋律が聞こえてくる。


 シーツにくるまり、夢うつつにそれを聴いていたアルデアは、不意に聞こえたノックの音にぴくりと体を震わせる。


 (――誰だろう……。)


 枕元のメガネを手に取って顔にかける。目を向けた先で、ドアが静かに開かれる。


 現れたのは、アズキだった。

 

 

「おはようございます」

 

「アズキさん、今日はいつもより早いんですね」

 

「今日は退院の日ですので」



 こともなげに告げられた言葉にアルデアは衝撃を受けた。

 

 

「た、退院!? 私、退院するんですか? 」

 

「怪我が治ったら退院するのは当たり前です」


 

 アズキはいつものバスケットをベッドサイドのテーブルに置き、その中からいくつかの書類を取り出して並べ始めた。

 

 

「ミルヴァス教官から話があったはずですが、聞いていませんか……? 」

 

「フロースさんとの最後のセッションで回復が見えたらとは、言われましたが……。今日とまでは……」

 

「全くあの子は……言葉足らずもいいところですね」



 心底呆れたように、アズキは溜息をついた。


 

「退院にあたって、いくつか説明と準備があります」

 


 アズキはアルデアに一枚ずつ書類を見せながら、淡々と説明を続けた。

 

 洗礼式のあの日。アルデアがどこをどう怪我をして、入院中にどう治って、これからどんな検査が必要か。

 

 アルデアには難しい言葉もあったが、アズキはできる限り言葉を噛み砕いてゆっくりと説明を重ねた。


 

 ――何も分からないまま、気が付いたらここにいた。


 

 取り乱したり、泣いたりする自分をなだめて話を聞いてくれたフロース。


 言葉は辛辣ながらも、誰よりもそばで支えてくれたアズキ。


 診察の度に、体が痛くないか優しく問いかけてくれたラルス。


 明るく接して元気をくれたミリカ。


 毎日食事を運んでは手話で話しかけてくれたセダム。


 アズキの話を聞いたアルデアは、自分がここまで回復するまでに随分多くの人が関わってくれていたのだと改めて思い知らされる思いだった。


 

 ――少し、心があたたかい。


 

 説明を終えたアズキは、書類の最後にサインするようにとアルデアにペンを手渡した。

 


「私が、サインしていいんですか……? 」

 

「いいのです。ジェムに共鳴した子供――『共鳴児童』というは、良くも悪くも特別ですから」



 淡々と言った黄金色の目が少し、揺らぐ。


 

 アズキは、サインを終えたアルデアを病室から連れ出して廊下にいざなった。


 窓の外に広がる見知らぬ街並みには、やはりなんだか現実感がない。アルデアの歩調に合わせてゆっくりと歩くアズキの赤茶色の尻尾が、揺れる。


 

「歩きに違和感はありますか? 」

 

「いえ。痛くないし、前より調子いいかも……」

 

「それは何より」


 

 看護師が忙しそうに行き来する広い廊下。アルデアには何に使うのかよく分からない機械が、壁に押し付けられるように並んでいる。

 

 

「見たことないものがいっぱい……」

 

「魔法機関の医療部は国の医療の中枢でもありますからね。色んなものが集まってきます。ものでも、技術でも、知識でも――」


「医療部って、全員ウィザードさんなんですか?」


「いいえ。この部のウィザードはほんの一握りですよ」


「えっ、そうなんですか?」


 

 アルデアは思わずアズキの顔を見る。


 

「魔法機関では色々な人が働いています。あなたのお祖母様のように体の不自由な人、家族を支えたい人、居場所をなくした人……本当に色々です。ここは、怪異に対応するための場所でもありますが、人を支える場所でもあるのですよ」


「支える……?」


「困った時に支え合う。誰かを助ける……いわゆる『福祉』という考えです。……少し、難しいですかね……」


「ウィザードさんも、そうじゃない人も、みんなで支え合ってるってことですか? 」

 

「そうです。間口が広いから、私のようなものが紛れ込んだりもするわけですがね」



 冗談とも本気ともつかない言葉に、アルデアは返す言葉を見つけられなかった。


 

「さて、どうぞお入りください」


 

 アズキは腰のベルトについた鍵束から一本を取り出し、建物の一角にある部屋の入口を開ける。


 

「ここは……? 」

 

「風呂です。そろそろ入りたくなる頃では? 」

 

「お、お風呂……!? 」



 扉の中は狭いユニットバスだった。浴槽に溜められた湯から立ち上る湯気がもうもうと立ち込めている。


 

「手助けが必要とあらば鳴らしてください。私は表で待っています」



 アズキはまとわりつく湿気を払うように耳を動かすと、ボタンのついた機械をドアノブに引っ掛けて廊下へ出て行った。

 

 

「お風呂……わぁ……久しぶり……」



 思えば、最近はずっとアズキに体を拭いてもらうだけだった。


 思春期の入り口にいるアルデアにとって、身内以外の人間に肌を晒すのはこの上ない辱めであったが、それはまた別の話――。

 

 入院着を脱ごうとして、襟にメガネが引っかかる。

 

 

「あ、メガネ、外すの忘れて……」


 

 何気なく鏡を見たアルデアは、そこに得体の知れない存在が写っているのを見た。


 

「え、なに、これ……。何で……私、目が……!? 」

 


 アルデアは息を呑む。鏡の奥の自分と、目が合った。

 

 反射的に目を逸らそうとするのに、逸らせなかった。

 

 見慣れた黒い瞳ではない。眼窩には、カットを施されたエメラルドのような、透明で、冷たい光を放つ『異物』があった。

 

 

 (――これは私の目じゃない。)


 

 なのに、鏡の中の自分は間違いなくこちらを見ている。


 まるで『自分』が、自分という器をのぞき込んでいるみたいだった。


 自分の中に、『自分ではない誰か』がいる気がした。

 

 アルデアの輪郭が、じわりと内側から侵されていく――。

 

 何度も目をこすって瞬きをするが、その瞳は冷たく光り続けるだけだ。


 

「どうして……やだ……戻らない…………。やだ……やだやだやだ! 」

 

 

 ドアの外からアズキが声をかける。

 

 

「どうかしましたか? 」

 

「見ないで……! あ、開けないでください……! 」

 


 アルデアは蹲るように扉に背を向けた。立ち込める湯気の中で、呼吸が浅くなる。

 

 

「すみませんが失礼します」

 

 

 鍵束の音と共にドアが開き、入ってきたアズキがアルデアの体をタオルで覆う。


 

「見、ない、で……」

 


 喘ぐように呼吸しながら、アルデアは顔を覆う。


 

「アルデア、息を吐くのです。いいですか? 一緒に、ふー、ふー……」


 

 アズキが言うのに合わせて息を吐く。アルデアの呼吸は次第に落ち着いていった。


 

「どうなされたのですか」


「元に、戻らないんです……」


「目が……。こんなの……私じゃない……」

 

「気持ち悪い……」

 


 蹲ってすすり泣くアルデアの背に、アズキはおずおずと触れる。


 

「ジェムに共鳴した者は、皆一様にそういう目になるのです」



 しかしその手をどうするかは決めかねていたようだ。タオル越しに、人より高めの体温だけ、伝わってくる。

 


「色んな子を見てきましたが、あなたのように、その瞳を拒絶するのは珍しいことではありません。むしろ、喜ぶ者の方が少ないです。受け入れるまで、時間がかかって当然と思います……」



 低く、静かに、言葉がつづられる。


 

「私は個人的には……美しいと思いますがね。その緑色は。ご自分ではそう思えないかもしれませんが」

 


「体が冷えてしまいましたね。風邪を引きます。湯に浸かってください」


 

 ポケットの中をごそごそと漁ったアズキは、珍しく少し困ったような表情でアルデアに何かを差し出す。



「これ、あげますから……。入浴中の飲食はいささか行儀が悪いですが……今日は特別です」


 

 それは、小さな飴の包みだった。

 

 

 アズキが出て行った後、静かになった浴室の中に水の滴る音だけが反響している。

 アルデアは湯船につかり、水面に映る自分の姿をボーッと眺めた。


 その目に、自分のこれまでが映っていないような気がした。


 体の内側に巣食った『緑の目の自分』が、アルデアという存在を侵食しているようで――まだ、怖い。

 


「この目……あの石みたい……」


 

(私が、誰かを、命を救う……なんて、ラルス先生は言ってたけど……本当に、私に出来るのかな……。)

 


胸の奥がざわついた。


 

不安が静かに、でも確かに、ふくらんでいく。


 


『……もしかしたら、ルーナさんを目覚めさせるきっかけを作れるのは、君だけかもしれないしね。』



 思い浮かぶのは、ラルスの言葉。


 

 (私……だけが…………。)

 


 アズキがくれた飴を舌で転がす。甘酸っぱいりんご味だ。


 鼻に抜けるりんごの香りが自然とルーナやスピカのことを思い出させた。

 

 

「お母さんのこと……助けたい……」

 

 

 セダムがやっていたように、胸の前で手を動かしてみる。


 

「大丈夫……。大丈夫」


 

 正直、まだ怖い。


 でも、このまま怖がってばかりはいられない。


 

(――私は、私のままで……前に進むしかないんだ。)

 


 浴槽から立ち上がり、鏡の中の自分を見た。そこにいる自分はやっぱり別人のようだけれど――。

 

 

「……大丈夫。私は大丈夫……! 」



 雫が落ちる。鏡に映るエメラルドの瞳が鈍く光っていた。

 

 

 数分後。浴室を出たアルデアは、アズキが持って来た服を身に付けてまた廊下を歩いていた。


 廊下の肌寒い空気が、湯上りの肌から熱を奪っていく。

 

 

「これからあなたには寄宿舎の方へ移動していただきます」

 

「寄宿舎って……なんですか……? 」

 

「共鳴児童たちが共同生活する家のようなものです」



 アズキは淡々と続ける。



「各自に部屋が割り当てられていて、浴室は共用、食事は共有食堂で摂ることになりますね」


 

 これ、と言ってアズキが紙を渡してくる。

 

 

「細かい規則はこれにまとめましたので。後で読んでください。字は、読めるのですよね……? 」

 

 

 一瞬ミルヴァスからもらった書類のことが頭をよぎる。


 しかし、あの真夏のミミズのような字とは打って変わって、そこにはアズキらしい几帳面な字が並んでいた。


 アルデアはほっと息をつく。

 

 

「あ、ありがとうございます……! 」

 

 

 そうこうしているうちに、2人は医療部棟からどこかへ通じる渡り廊下に差し掛かった。


 解放的な大きな窓から、美しい中庭が見える。

 

 

「あ、ここ……」

 

「どうかしましたか? 」



 この場所に彼女は見覚えがあった。スピカと別れた夜に、あてもなく歩いてたどり着いた場所だ。

 

 

「ここ、昼間はこんな感じなんですね……! この間は夜だったからよく分からなかったけど、すごく綺麗! 」

 

「……夜? 」



 アズキの目が、ギラリと光った気がした。

 

 

「え……? あっ」

 

「…………無断外出、ですか? 」



 じっとりと細められた目がアルデアをにらみつける。

 

 

「えと、あの……その…………ごめんなさい」

 

「……まあ、過ぎたことはいいです。以降はやめてくださいね」



 表情は変わらないが、声音が少し不機嫌そうだ。

 

 

「……はい。すみません……」



 風にあおられる髪をおさえる。

 

 花壇に満開になったコスモスと、赤く色づいたコキアが揺れる。


 

(きれいだな……。)

 

 

「あの、少し見ていってもいいですか……? 」

 

 

 腰ベルトのナースウォッチを見たアズキは、「少しなら……」と頷いた。



 雲の流れがやけに早い午前中だ。


 コキアの遊歩道を歩く2人は、柵に囲われた花壇を眺める。


 

「綺麗な中庭ですねぇ。こんなにたくさんコスモス咲いてるの見たことないです! 」

 

「庭師が凝り性でしてね。季節ごとに植え替えしているようです」

 

「庭師さんもいるんですか! すごいなぁ。こんなに綺麗な庭が作れるなんて」


「そうですね。実に風流でいいと思います」


「お花、好きですか? 」


「好きですね。花は物を言わないので」

 


 そう言う口調はいつもより少しだけ柔らかいが、アルデアは気付かない。

 

 

「見てくださいアズキさん!」



 ピンクや白に混ざって、1輪だけ黒いコスモスが咲いていた。

 

 

「チョコレートコスモスですね。どこからか種が飛んできたのでしょうか……」

 

「すごいですね。自分で咲くところを選ぶなんて」


「選んだ……そういう考え方も出来ますね」


「チョコレートコスモス……っていうんですか? この花。覚えておきます」


 

 指先でそっと触れる。アズキの耳が、ほんのわずかに揺れた。

 

 

「この色、なんだかアズキさんの髪みたいですね! 」

 

 

 アズキは少し目を細めて、風に揺れる花を見つめる。

 

 

「……チョコレートコスモスは、他のコスモスに比べて少し遅れて咲くんですよ」


「遅れて? 」


「ええ。季節に間に合わなくても、ちゃんと咲きます。強い花です」

 

 

 花を見つめるアズキの横顔は、どこか虚ろだ。まるで、もっと遠い記憶を見ているかのように――。

 

 

「師長、早かったな」



 ふいに、声が聞こえた。2人がそちらを見ると、黒い服に身を包んだミルヴァスが歩いてきた。

 

 

「おや、出迎えとは丁寧ですね」

 

「2人の姿が見えたものでな」

 

「入浴と退院時の説明は終わりましたので。あとはそちらの管轄です」

 

「ちょうどいいな。このまま引き受けよう」

 

「待っ……! ちょっと待って! 」

 

 

 声が聞こえて、医療部棟の方から走ってくるフロースの姿が見えた。

 

 

「フロースさん……! 」

 

「もう! 師長ったら……! 退院準備に行くなら声かけてくださいよ! 」

 

「ちょっと出てくると言いましたが」

 

「言葉が足りなすぎます! 」



 アズキに食って掛かったフロースはアルデアに優しく笑いかけた。風になびく栗色の髪が、太陽に透けて金色に光っている。

 

 

「見送りが間に合ってよかったわ。アルデア、退院おめでとう」

 

「フロースさん、来てくれたんですね! 嬉しいです! 」

 

「ふふ、当然じゃない。あなたの元気な姿を見られて本当に嬉しいわ……なんだか……やだ、ちょっと泣けてきちゃう……」


「な、泣かないでください……! 」

 

 

 フロースと話をするアルデアの後ろ姿を見ながら、アズキはミルヴァスに声をかける。

 

 

「……大丈夫なのですか? 」

 

 

 含みのある言い方に、ミルヴァスはこともなげに応える。

 

 

「問題ない。あの子が希望した仕事道具の運び出しもつつがなく……」

 

「違います。ミルヴァス、あなたのことを言っているのです」


 

 言葉は鋭く遮られ、しばし沈黙が下りる。雲が太陽を覆い隠して、ふっとあたりが暗くなった。


 

「……大丈夫では、ない、な」


 

 搾り出すような声だ。冷たい風が吹いて、俯いたミルヴァスの前髪をさらりと弄ぶ。


 

「――でも、仕事は仕事だ。請け負った以上は責任を持つさ」

 

「……そうですか」

 

「それに、大丈夫じゃないのは今に始まったことじゃない」

 

「違いありませんね……」



 雲の切れ間からまた、日が差し始める。2人はそれ以上何も言わず、無邪気にはしゃぐアルデアの姿を見ていた。


 

「寄宿舎に行っても頑張ってね! 応援してるわ! 」

 

 

 そう言って差し出されたフロースの手を、アルデアはにっこり笑って握る。

 


「ありがとうございます。頑張ります! 」



 フロースの手は、思いのほか冷たかった。

 

 

「アズキさんも、ありがとうございました! 」

 

 

 アルデアに手を差し出されたアズキは、少しためらいつつその手を握る。

 

 

「……こちらこそ。戻ってくることがありませんよう」

 

 

 2人と別れたアルデアは、ミルヴァスと寄宿舎へ向かって歩き始めた。

 

 ふと胸にチリリとしたものを感じたアルデアが振り返ると、医療部に戻っていくアズキとフロースの背中が見える。

 

 

(そういえば、アズキさん、どうしておばあちゃんのこと知ってたんだろ……? 私、話したこと――なかったと思うけど……。)


 

 ほんの小さな違和感が、胸の奥に沈んだ。

 

 強い風が吹いた。日の光が、また。翳る――。

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