未来への決断
第二話です
何も見えない暗闇
それ以外、何もなかった。
冷たく、静まり返った空間の中で、俺はゆっくりと意識を浮かべる。
思考の輪郭がぼやけていく——ああ、そうか。
俺は……死んだのか。
瀬上の顔が、脳裏に焼きついて離れない。
血の匂い、倒れる感覚、そして——暗転。
……俺は、何を残した?
あの世界で、生きた意味なんてあったのか?
いや、そもそも“生きる意味”なんて、誰に分かるものなんだ?
俺が探していたものは、本当に意味だったのか?
胸の奥で何かが溶けていくような虚無が広がる。
すべてを諦めようとした、その時——
(——おい、起きろ)
闇の中に声が落ちた。
それは、鼓膜ではなく心に直接響くような声だった。
「……またか。もう放っておいてくれ」
(独り言は後にしろ。早く立ち上がれ)
「うるさいな……」
声は俺の抵抗を無視して続けた。
(“生きる意味”を探してるのか。だが、それは与えられるものじゃない。
お前が切り開かなければ、未来なんて訪れない)
「未来……?」
(お前は何をした? 授業をサボり、才能がないと決めつけ、挑戦もせずに逃げてきた。
そんなお前が“意味”だと? 笑わせるな)
胸の奥が、針で突かれたように痛んだ。
図星だ。
俺は、何もしてこなかった。
(抗え。自分の運命に。
運命は、抗った先に——自分を変えた瞬間に、初めて輝く)
……言い返せなかった。
息を呑むような静寂が続き、気づけば俺の内側に熱が灯っていた。
「でも……どうすればいい? できないものは、できない」
(“できない”と決めつけた瞬間に、全てが止まる。
お前が止めたんだ、自分の時間を)
小さく光が灯った。
遠くで星が瞬くような、淡い光。
その光が、次第に俺の輪郭を照らしていく。
(思い出せ。お前はかつて、誰かに見てほしかった。
悪さをしてでも、注目されたいと思っていた。
あれは、“生きたい”と叫ぶ幼いお前の声だ)
「……そうだ。
あの頃は、誰かに見てほしくて、がむしゃらに騒いでた。
でも気づいたら、誰も俺を見なくなった。
冷たい視線の中で、俺は……自分で諦めたんだ」
(なら、もう一度立て)
「俺はもう死んだんだぞ。今さら何を——」
(まだ死んでいない。目を覚ませ。
お前はどんな天才よりも強くなれる。
“勝つ気持ち”を忘れるな。
それさえあれば、未来は必ず追いついてくる)
声が薄れていく。
光が広がり、闇が音を立てて崩れていく。
——その瞬間、俺の瞼が開いた。
冷たい風が頬を撫でた。
空は灰色で、地面は湿っている。
屋上の床と血の匂いが混ざり合う。
「……いてて」
体を起こすと、少し離れた場所に瀬上が立っていた。
その顔には驚愕と警戒が交じっていた。
「お前……なぜ死んでいない? 確かに俺はお前を殺したはずだ」
「……いや、俺にも分からないよ」
瀬上の瞳が細くなる。
「だが、一度生き延びたところで——また俺に殺される。それがお前の運命だ」
運命。
その言葉が胸の奥で反響する。
「運命か。さっきも誰かに言われたな」
「さっき? 何の話だ?」
俺は空を見上げた。
雲の切れ間から、淡い陽光が差していた。
「もしかしたら、俺には“死ぬ運命”しかないのかもしれない。
でもな……さっきまでの俺なら、それで諦めてた。
——けど、今は違う」
風が、頬を撫でた。
心臓が熱く脈打つ。
「少し、抗ってみるか」
立ち上がる。
震える脚を支え、空を見上げる。
その青は、まるでまだ見ぬ未来のように澄んでいた。
「おい、瀬上!」
「やってやるよ。俺の運命、変えられるなら——かかってこい!」
「俺はもう、負けねぇ!」
瀬上が口の端を歪めて笑った。
「ふん……人間としても認められなかったお前が、勝てるとでも?」
その瞬間、瀬上の姿が掻き消えた。
空気が裂ける。
(速い——!)
本能が叫び、俺は体を左に倒し込む。
風を切る音。頬を掠める殺気。
瀬上の一撃が地面を裂き、屋上の地面が削れる
「……危ねぇ」
瀬上が低く笑う。
「なるほど。雑魚でも、同じ手は食らわんか。いいだろう、続けようじゃないか」
俺は息を整え、拳を握り締めた。
胸の奥にまだ残る声が、静かに響く。
——“強さは、力だけじゃない”。
そして俺は、真正面から瀬上を見据えた。
空は夕焼けに染まり、焦げた赤が世界を飲み込んでいく。
風が吹くたびに、血の匂いが鼻を突き、頬に付いた血が乾いていく感覚が生々しく残った。
胸の奥が熱い。痛いほどに、生きていることを実感する。
「……俺は変える。ここから、生き残ってみせる」
声が震えた。でも、それは恐怖じゃない。
自分自身の殻を破る瞬間の、熱だ。
「もう、昔みたいな人生はごめんだ……!」
俺は拳を握りしめ、地面を踏みしめた。
確かに感じる。足の裏から伝わる、この世界の重み。
「ここから変えるんだ。
誰もが認める男になってやる。
千里廻って人間が——ここに生きてるって、思い知らせてやる!!」
叫びが空へと溶けた。
瀬上の目が細くなり、唇の端がゆっくりと歪む。
「……面白い。
その言葉、後悔させてやるよ」
次の瞬間、地面が弾けた。
風が裂け、光が走る。
瀬上の影が、夕陽を背にして一気に跳躍する。
俺は目を逸らさなかった。
逃げない——もう、過去の俺じゃない。
沈みかけた太陽の中で、千里の目は誰の目よりも輝いていた。
——その日、運命が変わるようなそんな気配がした。




