表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
名を失った均衡世界
60/60

既に在る

更新が遅くなりました。

少し間が空いてしまいましたが、続きです。

 しばらく、耳元の風が止まなかった。


 私が守ると言ったその対象も、目的も。


 もう、気付かれているはず。


 背中越しに遠くなっていくスージュルベージでは、まだ戦の残響が揺れている。


 ふっと息を吐いてから、眼鏡(めがね)の縁を軽く指でなぞった。


 指先の震えを隠すように、もう一つの手で優しく包む。


 ──私には。


 頭の中に何度も言葉が浮かんで、消えていく。


 少なくとも、私には。


 それを口にする資格が無かった。


 言葉とは別に、脳裏に浮かぶ──あの美しくも、恐ろしい光景を。


 私は、忘れられないのだろう。


 不意に、馬が(いなな)いた。


 目の前の光景に意識を向ける。


 同乗させてもらった兵は背丈が高く、横から覗くようにしてしか前が見えない。


 でもそんなこと、する必要すらなかった。


 ──進行速度が弱まっている。


 そして、それは完全に停止した。


 さっきまで、うるさいくらいに騒がしかったのに。


 風すらも、沈黙している。


「おい、降りろ」


 背中越しにかけられた声は、どこか緊張していた。


 横で待機していた兵に手を借り…というより、半ば強引に下された。


(ひざまつ)け。両腕は(てのひら)を上に向けて、体の横に」


 抵抗など、意味がない。


 最初から分かっていたことだから。


 私は、処刑される。


 国家を裏切った逆賊(ぎゃくぞく)として。


 また弱く吹き始めた風が、頬を叩いて。


 草原全体が風になびいていく。


 その音が妙に──美しく感じたのはなぜだろう。


 ゆっくりと、瞬きをして。


 おもむろに空を見上げた。ほんの短い間。


 月が出ている。

 満月より少し欠けていて、まばゆいほどに輝くもの。


 終焉(しゅうえん)の地にしては、綺麗だと。


 そう思った。


 そして、地面に膝を着いた。


 何となく眺めた研究着は、ところどころが土で汚れていた。


 拭うこともしないで、それをただ見つめる。


 ──昔から、上手くできることが少なかった。


 だからこそ。


 欲しいものも、やりたいことも。

 ……守りたいものさえ。


 全てを望むなんて、私には無理なことだと分かっていた。


 たった一つを守るために、大勢を殺した。


 知を使って。


 そうして、信念すら捨てた。


 帰る家のない故郷を、それでも守りたかった。


 ガシャ、と音がして。


 伏せた視界に、甲冑の足が映った。


 顔を上げる。


 月明かりの下で、美しい顔が私を見下ろしていた。


「──お前は守ると言ったな」


 男の目に光は灯っていない。


 それ以上言葉は続かない。男は、私の返事を待っていた。


 呼吸がほんのわずかに揺れる。


「……故郷を」


 一瞬、両親の顔が浮かびかけて、消えた。


 もう思い出せない、


 あの、懐かしい顔。


「マグナレオールを敗北させ、故郷に平和を取り戻します」


 風が止んだ。


 発した言葉だけが、空気と混じり合って消えていく。


 男は、何も言わなかった。


 怒りも、

 (あざけ)りも、

 否定も無い。


 やがて。


「……そうか」


 短く、低い声が落ちた。


 指先が強張(こわば)っていく。


 もう、包んであげることはできなかった。


 突如、男が続けた。


「魔法とは、何だ?」


 返せない。


 その意味を測りきれなかった。


 沈黙しても、彼は急かさず待っている。


「……魔法とは、奇跡ではありません」


 男が、少しだけ首を傾けた。


「魔力という未知のエネルギーを使用して、可能性を一つに収束させるもの」


「やがて、世界へ溶けていく」


 私は、目を閉じた。


「……美しいものです」


 知を積み重ね、奇跡など無いと知った。


 もう私に──未来はない。


「セレスト・アインヴァル」


 名を呼ぶ声に、続く言葉を待つ。


「……お前とも、語らうべきだったな」


 それは、独り言のように落ちた。


 驚いて、顔を上げる。


 男は背を向けて、歩き出した。


 振り返らずに、真っ直ぐに。


 動くこともできずに、

 ただ、その背を見ていた。


 理解が追いつかない。


 否定されると思っていた。

 排除されると、覚悟していた。


 だが。


 違う。

 何かが、違う。


 もしかすると彼は。


 最初から、同じ場所に──


 足元を見ると、土で汚れてしまった膝が見えた。


 それを一度だけ見下ろして。


 やがて視線を上げた。


 その先には恐らく、故郷がある。


 故郷を想いながら見上げた空では。

 月が、雲に隠れていた。


 *


 マグナレオール国民は耐え続けていた。


 倉庫は空になり、流通は止まり、上層の中心部にだけわずかな資源が集中する。


 不満は加速度的に広がっていく。


 それでも、信じることしかできなかった。


 この戦争には、意味があると。


 王が、国が。


 正しい方向へ導いてくれると、信じていた。


 誰もが薄々感じていた、終わりの(きざ)しが。


 ようやく形になっただけのことだった。


 ある日、軍の一部が暴徒と化した。


 命令系統は無視され、補給を奪って逃走した。


 呼応するように、国民たちも立ち上がった。


 怒りという自由を、証明するために。


 *

 

 マグナレオール上層下部、

 巨大な円形の広場。


 かつて、ひとりの少女が罪人として引き出され、

 群衆の視線に晒された場所。


 今は、無数の民が広場を埋め尽くしていた。


 見上げる先にあるのは処刑台ではなく、

 王の掲げる“戦争”。


 誰かを裁き、

 何かを信じさせるための空間で。


 叫び声と、罵声と、祈りが入り混じる。


 その光景を、ネフロディアスは高所から見下ろしていた。


 静かに、冷たく。


 口元がわずかに、歪んでいた。


「いつ見ても──

 (くず)どもが集まっているのは壮観だな」


 呟きは小さくとも、

 その中には確かな愉悦(ゆえつ)があった。


「もう限界か、マグナレオールの国民様は」


 その背後。


 影の中に立つ男は、静かに状況を見ていた。


「軍が崩れ、民が限界に達した。

 ……これ以上は持ちそうにも無いな」


 ネフロディアスは前髪を弄りながら、

 男の言葉が切れるのを待った。


「つまり?」


 ネフロディアスは問う。


「決まっている」


 男、ストラーシュは乱暴な口調で返す。


「アルカンも、ジェスヴァインも──その器では無かった」


 不敬なその口調に対し、

 ネフロディアスは少し笑っただけだった。


 ストラーシュのその言葉は、あまりにも軽い。

 だが、意味は重かった。


「ジェスは、失敗した」


 過剰なまでに整った前髪を触り、ゆっくりと歩く。


「そして──責任というものは、誰かが背負わねばならない。

 思想がどうだろうと、理論がどうだろうと……」


「国が崩れるなら、それは失敗だ」


 沈黙が落ちた。


「異論は?」


 ストラーシュの更に後ろには、無数の兵が控えていた。


 反論の声はない。

 代わりに、この国の行先を見据えている者がほとんどだった。


「なら決まりだ」


 ネフロディアスは、ゆっくりと振り返る。


 その瞳は興奮で揺れている。


「今日をもって、ジェスヴァインを戦況統括官から解任」


「そして──国外追放とする」


 誰も、声を発さない。


 兵の何人かが、何も言わずに列から外れて、消えた。


 仲間の兵たちは、黙って隠した。


 ネフロディアスはそれを見逃したわけでは無い。

 裏切り者などいずれ始末できると、疑っていないだけだった。


「さて、もう一つあるな。

 戦争の長期化の責任は我が父にあるわけだが……」


「ストラーシュ、どうだ?」


 しばしの沈黙の中、ストラーシュが静かに声を発した。


「──既に落ちた先へ向かっている」


「今更、進む先を違えるつもりも無い」


 ネフロディアスは後ろ姿のまま、堪え切れずに笑い出した。


 そのうち顔を歪め、首を揺らしながら手を煽る。


「王は、私だ」


 兵は誰一人として身動きをしない。


 重い沈黙が時間を止めていた。


「手始めに、旧国王アルカン・マグナレオール」


 わざとらしく、間を置く。


「全ての責を負い──その座を退いてもらう」


 動く者はいなかった。


 次第に、爪を噛み、待ち切れないとでも言うように激昂(げきこう)する。


「捕えろ、と言っている!!!」


 鎧が軋む音すら、聞こえない。


 甲冑の奥で、何人かが目を逸らす。


 何かを堪えるように。


 ネフロディアスは一瞬、ストラーシュを探した。

 男は、背を向けてただそこに居る。


 ──気に入らん。試しているつもりか?


「……なるほど」


 一歩踏みだす毎に、石畳から靴音が響く。


「忠義か?情か?恐怖か?」


 誰も、答えない。


「下らんな」


 吐き捨てると同時に、笑みが消える。


「貴様らが見てきたものは何だ?

 飢えた民、崩れゆく国──」


 一歩、また一歩と兵たちの間を割るように進む。


「それでもまだ、”王”と呼ぶのか」


 低く、静かに。


 ネフロディアスの瞳が歪みを増していく。


「──その忠義の果ては、無価値だ」


 鎧が音を鳴らして。

 兵が数人、敬礼の姿勢を取る。


 満足そうに口角を上げる彼は──気付かない。


 甲冑の奥の光は、背を向けた一人の男を捉えている。


 そうして、全ての兵が外広間を去って行った。


 「悪くないな」


 二人の人間が、国から切り離される。


 その姿を見ながら、ネフロディアスは笑って呟いた。


 この戦争は手段に過ぎない。


 国も、民も、戦争も。


 すべては”王”になるために。


 この国の頂点に立つ。

 そのために、邪魔は排除する。


 彼にとって、ジェスヴァインという存在はあまりにも異質だった。


 理解できない者は、存在してはいけない。


 *


 兵たちは、命令通り動いていた。


 誰一人として言葉を発さず、

 指示された動きをなぞった。


 やがて、アルカン・マグナレオールが連れてこられた。


 拘束は無い。手足も自由になっている。


 それでも、歩みは止められていた。


 ネフロディアスはその姿を見て、微笑みながら言葉を発した。


「父上……」


 ゆっくりと、アルカンへ歩み寄る。

 石畳を踏む音が、やけに軽い。


 もう一度、声をかける。


 返事はない。


 視線は正面に固定されていて、ネフロディアスを見ることはない。


 整えられた眉が、わずかに動いた。


「全ての責は、あなたにある」


 言葉はもう、選ばない。


「この戦争も、民の疲弊も、国の崩壊も」


「──全てだ」


 アルカンは、動かない。


 一歩、更に近づく。


「あなたには、その座を退いてもらう」


「王は──私が継ぐ」


 沈黙だけが残った。


 何も、返らない。


 その無反応に、

 ネフロディアスの胸の奥がざらついていく。


 視線を上げて、なお。


 アルカンは──こちらを見ていない。


 ネフロディアスの存在そのものが、

 視界に入っていないかのようにして、そこに立っていた。


 わずかに。

 少しずつ、何かが削れていく音がする。


「父上。あなたが理解したかどうかは、どうでもいい。

 結果は──」


 そのときだった。


 アルカンが、初めて口を開く。


「……お前」


 ネフロディアスにではない。


 もっと奥の方、その視線の先。


 ストラーシュと呼ばれていた男。


「いつから、ここにいた?」


 静かな声だった。

 優しさはない。恐れも。嫌悪も。

 

 その声には、何も含まれていなかった。


 ストラーシュは、わずかに首を傾ける。


「ここ、とは?」


 アルカンは、そのままの表情でただそこに立つ。


 返事は返らない。ストラーシュもそれを理解していた。


「……永く」


 短い応答。


 二人の会話はそれだけだった。


「……何の話だ」


 苛立ちを抑えきれずに、ネフロディアスが吐き捨てた。


 だが、二人はそれ以上何も言わない。


 会話は、成立していない。

 最初から、そこにネフロディアスはいなかったかのように。


 その空気が、ほんの一瞬だけ場を支配する。


「……くだらん」


 舌打ちが落ち、ネフロディアスは(きびす)を返した。


「連れて行け」


 短く命じた声に反応し、兵たちが動いていく。


 最後までアルカンは抵抗しなかった。


 誰も振り返る者はおらず、後には兵だけが残される。


 外広間。


 埋め尽くすように群がる人々は、様々だった。


 叫び声と、罵声と、祈り。


 混ざり合いながら、

 どこか焦点を失った音の群れ。


 その上、高所にネフロディアスが立った。


 静かに呼吸を置く。


 一瞬の間に、

 その表情は塗り替わる。


 そこに立っていたのは、誰もが知る王子だった。


「──聞いてください」


 声は、よく通った。


 それだけで、ざわめきが一段落ちる。


「あなた達を……苦しめたものが何か」


 視線を落とすと、民衆の顔がよく見えた。

 どの顔も、等しく濁っている。


「アルカン・マグナレオール王は──」


 その名を、はっきりと告げる。


「旧王は、その全ての責を負い……その座を退きました」


 わずかに民衆の間にざわめきが起こった。


「この戦争は、終わらせます」


 力強く握った拳を、少しだけ見せる。


「私が、導きます」


 ほんの短い時間、沈黙に包まれてから。


 拍手が起きた。


 だが、広がらない。

 続かない。


 誰かが、形だけで手を打つ。

 それを見て、また数人が合わせる。


 もう全員が理解していた。


 まだ、終わりではない。


 期待も、希望も──


 ただ、それ以外を選べないだけだった。

”終わり”が来ないことを、誰もが理解している。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ