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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
始まりの国
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いつもの朝

2話目です。まだプロローグです。


 城下町の朝は、肩がぶつかるほどの人で(あふ)れている。


 通りの匂いは、いつも大体同じだ。

 パンと、(ほこり)と、何かを揚げる良い匂い。


 それらが混ざり合う喧騒(けんそう)の中を歩いて、リラはいつもの場所へ向かっていた。


 城下町の外れ。

 大通りから半歩だけ外れたところにある、小さな店。


 Liren。


 扉を押し開けた瞬間、落ち着いた声が飛んでくる。


「……ペン、持ったままよ」


「え?」


 右手を見ると、確かに握ったままになっていた。


「また考え事してたでしょう」


「……してたみたい」


 リラは苦笑して、ペンを机の(はし)に置いた。


 ルシアはそれを(とが)めることもなく、静かにカップを差し出す。

 湯気と一緒に、少し強めの苦味が鼻をくすぐった。


「豆、変えたの?」


「北の商人が持ってきたやつ。少し(くせ)があるけど美味しい」


「まさに私のためって感じがする」


「そう言うと思った」


 呆れたような声だったが、どこか楽しそうだった。


 この店は、いつも静かだ。

 城下町の喧騒が嘘のように、ここだけ空気が違っているようだった。


「今日もまた会議?」


「ええ……。西との交易問題、最後の詰め」


「いつもながら大変ね。……急がないといけないんじゃない?」


「だからこそよ。いつも通りの朝を送ることが大事なの」


 リラはカップに口をつける。


 ルシアは少しだけ目を細めて言う。


「座って飲んで」


「はいはい」


 分かってはいる。

 ただ、考えることが多くて、じっとしていられないだけだ。


「昨日も夜遅かったでしょう」


「……少しだけ」


「“少し”で、その顔?」


 ルシアはリラの目元を一瞥(いちべつ)する。


「また、徹夜(てつや)してた。違う?」


「……仮眠は取ったもん」


「それを徹夜って言うの」


 言い返せず、リラは肩をすくめた。


「どうせ栄養も(かたよ)ってるでしょう」


「ふふん。昨日は果物(くだもの)を食べたから栄養はばっちりよ」


「二日前に切ったあれ?

 まだあったの?……それ、大丈夫?」


「……忘れてただけよ」


「それを“偏ってる”って言ってるの」


 リラが口を(とが)らせると、ルシアは小さく鼻で笑った。


「ルシア、優しくないよね」


「失礼ね。私ほど優しい人、他にいないわよ」


 一拍おいて、続ける。


「ただ、甘やかさないだけ。ちゃんと学習させてるの」


 言い切る声は冗談めいているのに、本気だった。


 その言い方があまりにルシアらしくて、リラは小さく息を漏らした。


 その時、扉が勢いよく開いた。


「ルシア、ジャムあるー?」


 顔を覗かせたのは、近所に住む男の子だった。


「あるわよ。今日は(いちご)かな」


「やった!

 あ、リラ姉ちゃん、おはよ」


「おはよ。朝からお使い?」


「うん。お母さんに頼まれた。リラ姉ちゃんは、今日も仕事?」


「うん、そうよ」


「またむずかしいやつ?」


「そうよ!むずかしいけど、大事な話」


「ふーん。がんばって」


 素直な声に、ちょっとだけ笑みがこぼれる。


「生意気だなぁ」


 リラはカップを置き、立ち上がった。


「そろそろ、行ってくる」


「行ってらっしゃい」


「頑張ってね!リラ姉ちゃん」


 扉の前で振り返る。


 ルシアと子どもが並んで立ち、こちらを見ていた。

 変わらない笑顔。

 変わらない朝。


 その光景を胸に(きざ)むようにしてから、リラは外へ出た。


 *


 店の扉を閉めると、城下町の音が一気に戻ってくる。


 会議に遅れないように少し小走りになりながら、リラは深く息を吸った。

 冷たい空気が肺に入り、思考(しこう)が切り替わっていく。


 朝のこの時間が、好きだ。

 またいつも通りの一日が、始まる準備の時間。


「リラ様!」


 露店の前で、商人が手を挙げた。


「おはよう。もう開店?」


「ええ。今日は人が多そうで、早めに開けようかと」


 リラは周囲を見渡す。

 確かに普段より、人の流れが多い。


「──昼前に風が出るわ。

 布は、もう少し低めに張った方がいい。

 なんとなくだけど……感じるから」


「……そうですか?」


 商人は首をかしげる。


 リラは空を見上げた。

 薄く伸びた雲が、ばらけるように流れている。


「なんとなく、だけどね。

 高いところの雲が軽いの。

 こういう日は、風向きが急に変わる」


「なるほど……」


「重りも増やしておいて。

 備えて損はないって言うでしょ」


 商人は少し考え、それから頷いた。


「分かりました。ありがとうございます」


 背後で、布を結び直す音がする。


「リラ姉ちゃん!」


 少し弾んだ声が飛んでくる。


 振り返ると、荷車の横で青年が手を振っていた。

 20歳を少し過ぎた頃だろう。

 この辺りでは顔なじみで、昔からリラをそう呼ぶ子。


「どうしたの?」


「通りが詰まっちゃってさ。困ってるんだよ」


 視線の先を見ると、細い通りの途中で二台の荷車(にぐるま)が向かい合って止まっていた。

 片方は荷が大きく、もう片方は角を曲がりきれずに身動きが取れない。


「今、動かすと余計に(から)まると思う」


「え?」


「先に左の荷車が下がるはず。

 そのあと奥の通りが空いたら──そのまま進めるようになると思う」


「……もう少し、待ってればいいってこと?」


「うん。待ってて」


 リラはそれ以上言わず、歩き出す。


 少し先で立ち止まり、通りの様子を横目で見る。

 案の定、左側の荷車が方向を変え、止まった人の流れがほどけていった。


「……やっぱすげぇな。

 ……何であんな風に分かるんだ?」


 青年の独り言(ひとりごと)は、喧騒(けんそう)(まぎ)れて消えた。


 城へ近づくにつれ、人の気配が変わる。

 商人の声が減り、兵士や役人の姿が増える。


「おはようございます、補佐官」


「おはよう」


「今日は、いつもより早いですね」


「朝のうちに整理しておきたい案件があるの」


「……例の件ですか」


 兵士は、そこで言葉を止めた。

 それ以上は聞かない──そう判断したのだろう。


 “聞かない“という判断もまた、時に均衡を守ることに(つな)がる。


 城の正門をくぐると、空気が引き締まる。


「リラ!」


 廊下で、同僚に呼び止められた。


「昨日の条件整理だけど、

 西の要求、少し強すぎないか?」


「強いわね」


 歩調を(ゆる)めず、リラは続ける。


「北が黙ってない。

 だから──」


 その先は、同僚の耳元で短く告げた。


 同僚は一瞬だけ目を見開き、すぐに息を吐いた。


「……そこまで見えてるのか、流石だな」


 リラは立ち止まり、振り返る。


「考えないと、今日が長くなるから」


 そのまま会議室の前へ向かう。


 扉に手をかける。


 リラは静かに、扉を開けた。


 *


 会議室には、すでに人が集まっていた。


 年齢も立場もまちまちだが、ここにいる全員が、ノクスヴァイ王国の中枢(ちゅうすう)(にな)う人間だ。


 長机の中央、議長席に座る宰務官(さいむかん)が視線を巡らせる。


「始めよう」


 議題は重い。


 凶作の年。

 西方連合国家ヴァルデンとの穀物(こくもつ)流通に関する追加交渉。


 昨日の会議で、ノクスヴァイは一歩だけ前に出た。

 穀物を出す量はわずかだが、“調整に入った”という事実を示すための一手。


 それに対する、西の返答が今日の議題だった。


「西は、我が国が送る穀物の受け取りに、

 ヴァルデン国内の有力貴族を立ち会わせたいと言ってきています」


 報告役の声が、淡々(たんたん)と続く。


「加えて、穀物輸送と保管に関する技術協力、

 および人材の相互派遣を提案しています」


 室内に、低いざわめきが走った。


露骨(ろこつ)だな」


「圧力か……それとも探りか?」


「凶作の年に国外の人間を入れるのは危険じゃないか?」


 別の声も上がる。


「だが、技術協力自体は悪くない」


「物流が(とどこお)れば、こちらにも影響が出る。

 それにヴァルデンの交易技術には目を見張る物がある」


 意見は割れた。


 誰も間違ってはいない。

 だからこそ、結論に辿(たど)り着けない。


 リラは、静かにそれを聞いていた。


 机に広げられた地図。

 輸送路。

 国境線。


 そして、その裏にある流れを読む。


 一呼吸置いて、口を開く。


「整理します」


 自然と、視線が集まる。


「西が求めているのは、技術ではありません」


 資料に目を落としながら、淡々と続ける。


「欲しいのは……恐らく”安心”ではないでしょうか」


 誰かが、わずかに身じろぎした。


「ノクスヴァイ王国が、西の味方であるということを、

 “信頼のある貴族”を通して、西の国民に認知させたい」


 言葉を選びながら、続ける。


「国内の不満。

 周辺国からの圧力。

 物流が滞れば、それだけで混乱が起きる」


「だから西は、安心できるという事実が欲しい。しかも、分かりやすいものを。」


 リラは顔を上げる。


「ノクスヴァイが関与している。

 調整は始まっている。

 この取引は、制御されている」


「それを示したいだけです」


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 反論できなかった、という方が近い。


「なら、こちらが渡すのは必要なものだけでいい」


 リラは静かに言った。


「踏み込ませるのは、見える範囲までに。

 人材交流も、期間と役割を限定します」


「“関与(かんよ)している”という事実は動かす。

 それ以上は、渡さない」


 沈黙の中で、宰務官が頷いた。


「……では」


 短く言って、視線を(めぐ)らせる。


「この案で進める」


 誰も異を唱えなかった。


 会議はそれで終わった。


 椅子が引かれ、書類がまとめられていく。


 リラは資料を抱え、席を立つ。


「まるで、世界を救ったような顔だな」


 背後から、誰かが小さく言った。


 リラは振り返らない。


 救ったつもりはない。

 ただ、均衡が崩れないように、先に手を打っただけだ。


 会議室の扉を出る。


 廊下の窓から、城下町の屋根が見えた。


 いつもと変わらない風景。

 人がいて、暮らしが続いている。


 それを守るための一日が、また終わった。


 ──明日も、同じ朝がくる。


 でもそれは、いつまでも続く平和じゃない。

ルシアの冷静で冷たい雰囲気が好きです。でも彼女は、リラのことちゃんと大好きです。


次回は、リラの人間性に迫ります。

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