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リラ・ヴェルノアの選択  作者: 夜の現在地
始まりの国
2/19

いつもの朝

2話目です。1話目も少し変更しました。

城下町の朝は、音が重なる。


 石畳を叩く靴音。

 露店が布を張る音。

 遠くで呼び合う声と、焼きたてのパンの匂い。


 それらが混ざり合う喧騒の中を歩いて、リラはいつもの場所へ向かっていた。


 城下町の外れ。

 人の流れから半歩だけ外れた、小さな店。


 Líren。


 扉を押し開けた瞬間、落ち着いた声が飛んでくる。


「……ペン、持ったままよ」


「え?」


 右手を見ると、確かに握ったままになっている。


「また考え事してたでしょう」


「……してたみたい」


 リラは苦笑して、ペンを机の端に置いた。


 ルシアはそれを咎めることもなく、静かにカップを差し出す。

 湯気と一緒に、少し強めの苦味が鼻をくすぐった。


「豆、変えた?」


「北の商人が持ってきたの。少し癖がある」


「今日の私向きね」


「そう言うと思った」


 呆れたような声だったが、どこか楽しそうだった。


 この店は、いつも静かだ。

 城下町の喧騒が嘘のように、ここだけ空気が緩やかになる。


「今日は会議?」


「ええ。三国絡み」


「……また大きな問題ね」


「でも、朝はいつも通り」


 リラはカップに口をつける。


「ちゃんと座って飲んで」


「分かってる」


 分かってはいる。

 ただ、思考が先に行くと、体が追いつかなくなるだけだ。


「昨日も夜遅かったでしょう」


「少しね」


「“少し”で、その顔?」


 ルシアはリラの目元を一瞥する。


「また徹夜?」


「仮眠は取ったわ」


「それを徹夜って言うの」


 言い返せず、リラは肩をすくめた。


「栄養、偏ってるでしょう」


「昨日は果物を食べた」


「二日前に切ったあれ?

 まだそのまま置いてあったじゃない」


「……忘れてただけよ」


「それを“偏ってる”って言うの」


 リラが口を尖らせると、ルシアは小さく鼻で笑った。


「優しくないわね」


「失礼ね。私ほど優しい人、そういないわよ」


 一拍おいて、続ける。


「ただ、甘やかさないだけ。ちゃんと学習させてるの」


 言い切る声は冗談めいているのに、本気だった。


 その言い方があまりにルシアらしくて、リラは小さく息を漏らした。


 扉が軋んで開く。


「ルシア、ジャムある?」


 顔を覗かせたのは、近所に住む男の子だった。


「あるわよ。今日は苺」


「やった」


「リラ姉ちゃん、おはよう」


「おはよう」


「今日も城?」


「そうよ」


「むずかしい話?」


「むずかしいけど、大事な話」


「ふーん。がんばって」


 素直な声に、思わず笑みがこぼれる。


「ありがとう」


 リラはカップを置き、立ち上がった。


「行ってくるわ」


「行ってらっしゃい」


「またね、リラ姉ちゃん」


 扉の前で振り返る。


 ルシアと子どもが並んで立ち、こちらを見ていた。

 変わらない笑顔。

 変わらない朝。


 その光景を胸に刻むようにしてから、リラは外へ出た。


 *


 店の扉を閉めると、城下町の音が一気に戻ってくる。


 会議に遅れないように、少し小走りになりながら、リラは深く息を吸った。

 冷たい空気が肺に入り、思考が切り替わる。


 朝のこの時間は、好きだ。

 まだ一日が固まりきっていない。


「リラ様」


 露店の前で、商人が手を挙げた。


「おはよう。もう開店?」


「ええ。今日は人が多そうで」


 リラは周囲を見渡す。

 普段より、人の流れが早い。


「昼前に風が出るわ。

 布は、もう少し低めに張った方がいい」


「……そうですか?」


 商人は首をかしげる。


 リラは空を見上げた。

 薄く伸びた雲が、ばらけるように流れている。


「高いところの雲が軽いの。

 こういう日は、風向きが急に変わる」


「なるほど……」


「重りも増やしておいて。

 備えて損はないわ」


 商人は少し考え、それから頷いた。


「分かりました。ありがとうございます」


 背後で、布を結び直す音がする。


「リラ姉ちゃん!」


 少し弾んだ声が飛んでくる。


 振り返ると、荷車の横で青年が手を振っていた。

 二十を少し過ぎた頃だろう。

 この辺りでは顔なじみで、昔からリラをそう呼ぶ。


「どうしたの?」


「通りが詰まっちゃってさ」


 視線の先を見る。


 細い通りの途中で、二台の荷車が向かい合って止まっていた。

 片方は荷が大きく、もう片方は角を曲がりきれずに身動きが取れない。


「今、動かすと余計に絡まるわ」


「え?」


「先に左の荷車が下がる。

 そのあと奥の通りが空くから、あなたはそのまま進める」


「……五分くらい?」


「それくらい」


 リラはそれ以上言わず、歩き出す。


 少し先で立ち止まり、通りの様子を横目で見る。

 案の定、左側の荷車が方向を変え、人の流れがほどけていった。


「……やっぱすげぇな。

 ……でも、なんで分かるんだ?」


 青年の独り言は、喧騒に紛れて消えた。


 城へ近づくにつれ、人の気配が変わる。

 商人の声が減り、兵士や役人の姿が増える。


「おはようございます、補佐官」


「おはよう」


「今日は、いつもより早いですね」


「朝のうちに整理したい案件があるの」


「……例の件ですか」


 兵士は、そこで言葉を止めた。

 それ以上は聞かない――そう判断したのだろう。


 聞かない、という判断もまた、均衡を保つ一部だ。


 城の中庭に入ると、空気が引き締まる。


「リラ」


 廊下で、同僚に呼び止められた。


「昨日の条件整理だけど、

 西の要求、少し強すぎないか?」


「強いわね」


 歩調を緩めず、リラは続ける。


「北が黙ってない。

 だから――」


 その先は、同僚の耳元で短く告げた。


 同僚は一瞬だけ目を見開き、すぐに息を吐いた。


「……そこまで見えてるのか」


 リラは立ち止まり、振り返る。


「考えないと、今日が長くなる」


 そのまま会議室の前へ向かう。


 扉に手をかける。


 リラは静かに、扉を開けた。


 *


 会議室には、すでに人が集まっていた。


 年齢も立場もまちまちだが、ここにいる全員が、ノクスヴァイ王国の中枢を担う人間だ。


 長机の中央、議長席に座る宰務官が視線を巡らせる。


「始めよう」


 議題は重い。


 凶作の年。

 西方連合国家ヴァルデンとの穀物流通に関する追加交渉。


 昨日の会議で、ノクスヴァイは一歩だけ前に出た。

 穀物を出す量はわずかだが、“調整に入った”という事実を示すための一手。


 それに対する、西の返答が今日の議題だった。


「西は、我が国が送る穀物の受け取りに、

 ヴァルデン国内の有力貴族を立ち会わせたいと言ってきています」


 報告役の声が、淡々と続く。


「加えて、穀物輸送と保管に関する技術協力、

 および人材の相互派遣を提案しています」


 室内に、低いざわめきが走った。


「露骨だな」


「圧力か、それとも探りか」


「凶作の年に人を入れるのは危険だ」


 一方で、別の声も上がる。


「だが、技術協力自体は合理的だ」


「物流が滞れば、こちらにも影響が出る」


 意見は割れた。


 誰も間違ってはいない。

 だからこそ、結論に辿り着けない。


 リラは、静かにそれを聞いていた。


 机に広げられた地図。

 輸送路。

 国境線。


 そして、その裏にある流れ。


 一呼吸置いて、口を開く。


「整理します」


 自然と、視線が集まる。


「西が求めているのは、技術ではありません」


 資料に目を落としながら、淡々と続ける。


「欲しいのは、確信です」


 誰かが、わずかに身じろぎした。


「ノクスヴァイ王国が、西の味方であるということを、

 “信頼のある貴族”を通して、西の国民に認知させたい」


 言葉を選びながら、続ける。


「国内の不満。

 周辺国からの圧力。

 物流が滞れば、それだけで混乱が起きる」


「だから西は、“安全だ”という物語を必要としている」


 リラは顔を上げる。


「ノクスヴァイが関与している。

 調整は始まっている。

 この取引は、制御されている」


「それを示したいだけです」


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 反論できなかった、という方が近い。


「なら、こちらが渡すのは安心だけでいい」


 リラは静かに言った。


「踏み込ませるのは、見える範囲まで」


「人材交流も、期間と役割を限定する」


「“関与している”という事実は渡す。

 それ以上は、渡さない」


 沈黙の中で、宰務官が小さく息を吐いた。


「……では」


 短く言って、視線を巡らせる。


「この案で進める」


 誰も異を唱えなかった。


 会議は、それで終わった。


 椅子が引かれ、書類がまとめられていく。


 リラは資料を抱え、席を立つ。


「まるで、世界を救ったような顔だな」


 背後から、誰かが小さく言った。


 リラは振り返らない。


 救ったつもりはない。

 ただ、均衡が崩れないように、先に手を打っただけだ。


 会議室の扉を出る。


 廊下の窓から、城下町の屋根が見えた。


 いつもと変わらない風景。

 人がいて、暮らしが続いている。


 それを守るための一日が、また終わった。


 ――それが、当たり前だと信じていた。

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