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転生した勇者は、どこまでも営業マンだった  作者: 鶴嶌大晩
第1章 魔王様の夫婦問題
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第1話 不動産会社社員・真留村富士夫の死

2026/7/12 大幅に修正をしました。

 ブラックな不動産会社の営業社員だった男性はある日突然、命を落とした。


 そして西洋の雰囲気が漂うどこか不思議な世界を救う勇者に転生、これまでとは全く異なる身分の人間として生まれ変わったことに彼は戸惑いの感情が入り混じった産声を上げた。


 それでも新たな環境に新たな姿で降り立った男性は前世とは大きく異なる生活を送るはずだったのだが。


「おい勇者。……吾輩、妻に愛想をつかされて出て行かれてしまったんだ。ちょっと相談に乗ってくれるか?」


「ええ、もちろんです。まずはどうしてこんなことになったのかお話しください」


 何故だか勇者は世界ではなく、魔王と魔王の妻との仲を救おうとしていた。


◇◇◇


 5月にも関わらずその日はとても暑かった。


 それは夜になっても変わることがない。ネクタイを緩めたサラリーマンたちは真夏さながら、仕事帰りに立ち寄った居酒屋でキンキンに冷えたビールを喉元に流し込む。


 しかしある地方都市の小さな不動産会社に勤める男は、そのような些細で素朴な贅沢すらできず、時計の針が夜の11時を回ってもオフィスのキーボードを叩く。


 その男の名前は真留村富士夫(まるむらふじお)


 来月に40歳を迎える彼は冷えたビール、ではなくぬるくなったブラックコーヒーをがぶがぶと飲みながら資料作りに勤しむ。


「ようやく社長に提出する今月の営業報告書、ここまで書けましたね」


 狭いオフィスに1人残ってこう呟いた富士夫は、キーボードから手を離すと眼鏡も外して大きく伸びをする。ただこれで彼の仕事は終わったわけではない。


「後は部下達の進捗も確認しないといけませんね。日中はあの夫婦の取引完了に全ての労力を注いでしまいましたので」


 彼の主な業務内容は中古不動産の売買仲介、つまり売り手(不動産を売りたい人)と買い手(不動産を買いたい人)の間に立つ仕事だ。


 この道のキャリアは15年を超える富士夫。


 彼は投資を目的とした不動産の取り扱いには苦手意識があったものの、実際に居住用として使われる不動産の仲介は得意だった。


 取引をした顧客からの評判も良く、口コミで彼に仕事を依頼するも多い。おまけにその仕事ぶりは同業他社の人間からもひそかにリスペクトされていたほど。


 だがその労働環境は最悪。夜遅くまでの残業や休日出勤は常態化しており、そんな状況に耐えかねた退職者の尻拭いもいつものこと。ワンマン社長からの理不尽な要望も山ほど対処していた。


「でも。隣の席にいつもいた子が突然いなくなるのはまだ慣れませんね……」


 富士夫はすっかり片付けられた隣の机を見ながらポツリと呟く。


 そこはまだ20代中盤の若手社員がつい最近まで座っていたはず。だが彼はこの劣悪な労働環境に音を上げて会社を辞めてしまった。


 このようなシチュエーション、不動産業界では珍しいことではない。それにその若手社員に限らず過去何度も同じようなことを経験してきたのだが。


「彼も早く再就職先が見つかっていればいいのですが」


 富士夫は効率を求める男だが、ドライにはなり切れなかった。なにせ今まで一緒に働いてきた人物の名前と顔は今でも全員覚えているほど。とすると、どうしても退職した仲間のことも心配してしまう。


「私がもう少しフォローしてあげていれば。でもどれだけ言ってもあの社長は変わらないので意味ありませんけど……」


 ブラックコーヒーが入ったペットボトルを手にしながら富士夫は天井を見上げる。


 実は富士夫自身の心身も、実はもう限界に近い。


 彼はすでに両親を亡くしており、恋人もおらず、人生における時間をほとんど仕事に費やしていた。会社で朝を迎えることも珍しくなかった。


 それにこの会社には不満は多い。いっそのこと辞めてしまえばいい。


 しかし富士夫はそれができなかった。


 たとえ酷い労働環境の会社であっても業務内容自体にはやりがいを感じている。そもそもここは就職に困っていた学生時代の頃の自分を拾ってくれた場所。


 何度退職願を書いても、最後の最後でこの場所への『恩義』という余計な感情が彼の邪魔をしてしまう。


 それにこのタイミングで自分がここを離れたら、わずかにいる部下達はどうなるのか。


「自分というワンクッションがいなくなったら大変なことになるに違いない。だから私は辞められないんだ。でも……」


 だがこの時、富士夫の脳裏にはこれまで考えないようにしてきた言葉が浮かんできてしまった。


『別に私がいなくても会社は回るんじゃないか?自分は自分のことを買いかぶり過ぎではないか?』


 そう思った直後。彼は大きな音を立ててその場に倒れ込む。


 猛烈な痛みを襲う胸を押さえながらも、富士夫は不思議と「もう自分には死期が迫っている」ことを冷静に確信できた。そして意識が失われていく彼が最期に目にしたものは、倒れると同時に机の上から床に落ちた一通の便せん。


 それはこの日、富士夫の仲介によって念願のマイホームを購入できた若い夫婦から受け取った、深い感謝の意が綴られた手紙だった。


◇◇◇


 富士夫は悟った。


「ああ、私はもう死んでしまった」


 実はそれなりに後悔がある。恐らく周囲からは無趣味だと思われていただろうが、実は好きな映画のシリーズがあった。しかし自分はその完結を目にすることなくこの世を去るのか。


 意識を無くした後、肉体から離れた彼の魂は何もない空間をただ彷徨っていた。静かで、暗く、しかし……どこか心地いい。


 じきに後悔の念も薄くなっていき、ふわふわとした状態でしばらくボーっとする富士夫。しかし突然、聞き慣れない女性の声が耳に届いた。


『真留村富士夫。余が貴方のことを転生させます。喜びなさい』


 忙しい中でも寝る間を惜しんで深夜アニメも少し齧っていた富士夫はこの瞬間に色々なことを察し、しかしこう返答した。


「ああ、もしかして俗に言う女神様でしょうか?お気持ちは嬉しいのですが、もっと将来性や才能のある者を転生させた方がいいと思います。私はしがない中年ですから」


 彼は控えめな男だった。


『いいえ真留村富士夫。貴方は神々の手によって選ばれたのです。神に背くことなどできません』


「女神様。私のような人間など、このまま死後の世界へと送ってください。寂しい人生でしたが、最後にあの若い夫婦に魅力的なマンションを仲介できてよかったです」


『真留村富士夫。そういうのはいいので早く喜びなさい。……ある世界に非常に凶悪な魔王がいるのです。貴方をその魔王が煽動している、人間と魔族との醜い争いを止めるべき勇者に選ばれたのです』


「いや、あの。私は」


『本音を話しましょう。実を言うと、恋愛経験豊富なイケメンをハーレム世界へと転生させるのが余の担当でした。すごく楽しみだったのです。しかし急に退職者が出たので、嫌々、嫌々、嫌々、余が貴方のような者を転生させなければならないことになりました。いいから言うことを聞きなさい』


「女神様、知ってます?死んでも罵倒されたら涙って出るみたいですよ?」


富士夫の魂は死後にも関わらず泣いていた。


『せっかくこんな美しい女神の誘いを断るだなんて、これだから40手前まで恋愛経験皆無の悲しい男は。貴方に拒否権などありません、さっさと転生させます。余も早く帰って録画しているドラマを観たいんです』


「面倒な仕事扱いで人を転生するのやめてくれませんか?」


 こうして女神は文句やクレームなど全く聞き入れてくれず。






「見て、あなた。この可愛らしい顔。わたし達の子供ですよ。名前は……。ふふ。ずっと言ってましたよね。『レザ』にしましょうね」


「……!?」


 不動産会社に勤めていた真留村富士夫。彼は後に勇者となるレザとして転生した。


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