聖女、降臨
平和を甘受していた頃…。いや、エリューシスだけは薄々予感していた。
雪がちらつき、もうそろそろ年の瀬の舞踏会だ、パーティだ、と生徒らがソワソワしだす時期。
突然、空が戦慄いた。
轟音と共に雲間から、眩いばかりの白光が降り注ぐ。王城の中庭が強く照らされ、一人の少女がふわりと光を纏いながら現れた。人々はあまりの事に王城を見つめ、祈りを捧げ始める。それは、平民も貴族も、この王国生きる全ての者が膝を折り、頭を垂れた。どんな遠方ですら、どんなに尊い身分とも。
エリューシスの記憶の通り、異世界から少女はきた。
「あまつがわ ゆいって言います…。」
目のくりっとした可愛いらしい少女であった。
黒髪をふんわりまとめ、ぽってりとした唇が、高めの声を軽やかに発する。どこか庇護欲をそそるような、可憐な少女。
王城は一時騒然としたものの、やがて彼女を保護した。
そのニュースは生徒間でもセンセーショナルなものとして扱われざわめく。年の瀬の舞踏会でもその話で持ち切りだった。
学園も冬季の休みに入り、年はじめから数週間経ったあたり。
その少女は、稀有な光魔法の持ち主であり、異世界から遣わされた聖女であると、国中へ発表された。
冬季休み明け
聖女ユイは、学園に通う事が決定した。聖女に取り入ろうとする評議会が、王家のみが聖女を囲う事を良しとしなかったからだ。だが、評議会と対立するように、王家は聖女を手放すことはしなかった。
シリウスと同じクラスへ編入させる、とエリューシスは側近より告げられる。(わたくしは原作を知っているから別にいいんだけれど。)何か胸に渦巻くものを無視して、エリューシスは側近へいたわりの言葉をかけた。
「散々迷惑をかけたわたしくしが言うのもなんだけど、貴方達もこれから大変になるわね」
と。それは予言めいていて、側近らは身震いした。
それからシリウスとエリューシスの追いかけっこはパタリとなくなった。
「シリウス様と同じクラスだなんてラッキ~!いつも一緒にいられてうれしい!」
キャラキャラと笑う聖女に、シリウスは無言だ。
腕にまとわりつく聖女。それを跳ねのけないシリウス。噂は一気に駆け巡った。
シリウスが学園の王族用執務室で、緊急の政務をしているときでも、聖女は遠慮なく部屋に押し入った。
「もー!シリウス様は学生なんだから、もっと自由にして大丈夫なんです!王族としての重圧、私が少しでも減らしてあげたい」
ピクリと反応するシリウスに、聖女は嬉しそうな様子を隠そうともしない。
「聖女様、これは非常に大切な案件ですので、どうか殿下が執務を終えるまでお待ちいただけますでしょうか?」
「はぁ?あのね、シリウス様は、まだ学生なんです!今でしかできない事がたくさんあるの!それを押さえつけるなんて可哀そう!」
側近が聖女に訴えるも、聖女はひかない。
シリウスの為だ、と学園の執務室に座るシリウスの手を取った。
「ね、城下に美味しいカフェがあるって、さっき教えてもらったの。息抜きは必要よ!行きましょ」
恐ろしいほど静かな、何も喋らないシリウス。側近らは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「兄上に回しておけ」
側近に書類を渡し、机を二回ノックする。けだるげなため息と共に、シリウスは聖女に促されるまま立ち上がった。
「光魔法の修練はどうした」
「聖女にも息抜きは必要なのよね~」
立ち上がったシリウスに抱き着く聖女。シリウスは目を細め、小さく舌打ちする。
「行くぞ」
まとわりつかれたまま、構わず歩き出す。歩幅が違うので、聖女の腕は振りほどかれてしまった。
さっさと執務室を出るシリウスに、聖女はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ねー、シリウス様ぁ、一緒に中庭に行きましょう?」
「シリウス様の事は、私が一番わかるわ!」
「ずっと寂しかったんですよね?これからは、私がいますから」
「私にもっと甘えていいんですよ?」
「シリウス様はそんな人じゃないです!いじわる言わないで!」
シリウスとエリューシスの接触は、一切無くなった。それでも聖女の声はよく耳に入ってくる。
ある者は、「逃げ回っていた、かのご令嬢より、よほど殿下を愛しておられる」と聖女の深い愛を賞賛し、ある者は「婚約者を差し置いて腕を組み、睦言を囁くなど、不埒だわ。はしたない」とハンカチの下で侮蔑を吐いた。
「ふん、エリューシス様!口ほどにもないですわね!シリウス様のご寵愛はすでに聖女様にありますわよ」
エリューシスを見下すように、カナリア・エントール公爵令嬢はつっかかる。
エリューシスに反論の余地はない。誰がどう見ても、そう、だったからだ。
「それはいいんですけれどね」
「いいんですの!?あーなた、何を弱気になっているんですの!?」
「いえ、本当に、それはそれでいいんですけどね」
聖女の来訪とともに、王子妃教育もストップしているため、エリューシスは珍しく放課後に学園の図書館へ寄っていた。
聖女が異世界より舞い降りたという事は、小説でいうところの第一章が始まったという事だ。
ここから、魔物が活発化していく。それを鎮めるための、聖女。
更に言えば、魔物が魔の森よりあふれ出る原因は瘴気である。
現在は瘴気の量が増加し、それに比例するように魔物の出現も増えている状態だ。
いずれ魔物の森の許容量を超えた瘴気が爆発的に増大し、スタンピードが起きる。
魔物自体はどんな魔法でも滅することができるが、瘴気だけは光魔法でしか打ち消すことができない。
今、聖女は突然の異世界転移に戸惑いながらも、王族や側近に見守られながら、光魔法を特訓するあたりだろうか。
エリューシスには危惧している事がある。
記憶しているより、魔物の活発化が早まっているのだ。
エリューシスの領地はやや国境寄りにあり、魔の森がある辺境にも近い。辺境伯からスカルタス当主へ、魔物討伐の応援要請がすでに入っている。それは三章あたり(つまり数か月後)のはずだった。
「このままいくと…」
聖女が力をつけるより先に、辺境が落とされるかもしれない。そうなれば次はスカルタス領だ。
スカルタス騎士団は氷魔法の使い手も多いため、夏季は弱体化しやすい。逆に今現在は絶大な力を発揮している。しかし原作でのスタンピード発生は卒業パーティーシーズン、つまり夏だ。あきらかに分が悪かった。
エリューシス自身は、氷魔法だけならば、スカルタス領騎士団の誰よりも強大である自覚はあった。極大魔法も魔力操作に、てこずっているものの、あと一歩のところまできていた。
魔法書を読み漁り、魔力操作についてひたすら調べる。
「エントール様…。」
「な、なんですの?!」
「わたくしに風魔法の指南をつけてくださいませんか?」
「……はぁ?!」
カナリア・エントールは、その大きな目を見開いて、氷の魔女を見た。
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