72.もう涙で濡れてなどいない
ヴァネッサは、空から降りてきた、恐らくは魔物の女性に、気づかれないように身を瓦礫の影に潜めた。その僅かな動きでも体が痛む。
「色んなところ観てたから時間かかっちゃったけど、多分この辺りだと思うんだけどなー」
空から降りてきた魔物と思わしき女性、フェアリーであるネイラなのだが、彼女は3m程の高さまで降りて停止し、何かを探すように首を左右に動かしている。
その姿は、一見すると瓦礫の中に降り立った女神の様であるが、実際はその真逆と言ってもいい。
恐ろしい雰囲気を纏っているくせに、綺麗な顔でニコニコと笑っているものだから、ヴァネッサは雰囲気と表情のギャップに困惑せざるを得なかった。
「んー、吹き飛ばし過ぎちゃったかなー」
ネイラは、そのままの高さを維持したまま、何かを探すようにゆっくりと動き始めた。
ネイラが探しているものはヴァネッサには分からない。しかし、見つかればまた吹き飛ばされるかもしれない。そんな危機感がヴァネッサを襲っていた。
(もう一度攻撃を受ければ次は助からないかもしれない)
見つかれば、いや、見つからなくても、ネイラがもう一度範囲攻撃魔法を使えば、確実にヴァネッサは死ぬ。
動くに動けない、動かなくても死ぬかもしれない。ヴァネッサは激しいストレスで、体が震えていた。
状況が動いたのは、ネイラが動き出して少し経った頃。
「ゔぅ……」
瓦礫の中から、1人の子供が顔を上げた。爆発から少し経って、意識が戻った、いや、戻ってしまったのだろう。
ネイラはそれに気づくと、指先をゆっくりと、体を起こした子供の方に向けた。
ヴァネッサは咄嗟に動いていた。
ネイラの指先から放たれた光を、ヴァネッサの結界魔法が弾く。弾かれた光は方向を変えて空に消えていった。
あれ、とネイラは少し驚き、結界魔法の出処を探すが、それらしい人物は見当たらない。
視線を戻すと、いたはずの子供の姿も見えなくなっている。
「認識阻害魔法かな。誰かわからないけど、やるねー」
ネイラの口角が上がる。
広範囲攻撃が出来るネイラにとって、隠れられたところでまとめて吹っ飛ばせるので、余り看破する能力を必要としていない。
しかしそれでも、半端な認識阻害魔法なら、ネイラはそれを看破できる。
度重なる魔力循環(対モフ)を受けたヴァネッサの魔力の流れは淀みなく、その淀みなさが、認識阻害魔法に大きく影響している。人は、自然なものには存外気づきにくい。魔力の流れの自然さが、認識阻害魔法の効果と上手く噛み合っていた。
ネイラは、先程結界魔法が張られた場所に近づいた。
やはり、子供はおらず、既に移動させられた後のようだ。
「んー、この匂い、どこかで…」
ネイラは、その場に残る結界魔法の僅かな気配に気づいた。(彼女は匂い、として認識しているが)
この匂いを知っている。知らなければ気づかなかったかもしれない。
「そっか。この匂いは彼の匂いに似てるんだね」
ネイラは、匂いの心当たりに気づくと、再び笑みを零した。
そして、両の手を水平に広げ、再びゆっくりと上昇した後、停止した。
来る。
ヴァネッサはそう直感して結界魔法を即座に展開した。
広域展開してしまうと強度が下がる。狭い範囲で、最大効率の防御をする為には、爆心地を囲うしかない。
ヴァネッサが結界魔法を展開するのとほぼ同時に、ネイラの広域攻撃魔法が炸裂した。
「そう、そこにいたんだね」
ヴァネッサの結界魔法は、ネイラの攻撃魔法の拡散をある程度は抑えることが出来たが、直ぐに瓦解した。
攻撃魔法の余波を何とか堪えたヴァネッサだったが、再び前を見た時には、ネイラが手が届く程の距離に立っていた。
ヴァネッサにはもう魔法を使う力は残っていない。先程の結界魔法に全てを使ってしまっていた。
「こんにちは。君も女神の関係者かな?」
近くで、より強く感じる恐怖、絶望感。ヴァネッサは動くことが出来ない。
「あ…」
「そんなに怖がらないでよ」
ネイラが指差すと、光がヴァネッサの左足を貫いた。
「っ……ショーマ…さま…」
「あ、やっぱりショーマくんの関係者なんだね。匂いが似てると思ったんだ」
ネイラはゆっくりと、倒れたヴァネッサに近づく。
「でも残念だね。ショーマくんはもう殺しちゃったんだよね。だから呼んでも来てはくれないね」
「……嘘です」
ヴァネッサは、痛みと恐怖による涙でぐちゃぐちゃなった顔を、必死にネイラに向ける。
「ショーマ様は…約束してくれたんです…」
ヴァネッサが必死に絞り出しているのは、ネイラに対してでは無く、自分の意識を何とか保つための言葉だった。
「必ず迎えに来てくれるって…約束してくれたんです…!!」
「そう。それは…本当に残念だったね」
ネイラの指先が、ヴァネッサの体に再び向けられる。
「バイバイ、ほんのちょっとだけ美味しかったよ、キミ」
ネイラの指先に、魔力が宿る。
ヴァネッサは、ぎゅっと目を瞑った。
「ショーマ様…!!」
「はい、ヴァネッサさん」
ネイラの側面から、錆びた剣による斬撃が飛び込んでくる。
ネイラはその一撃を辛うじて回避する。
距離をとったネイラと、倒れているヴァネッサの間に立った、その男の持つ剣は、もう涙で濡れてなどいない。
「迎えに来ましたよ」
いつもご閲覧いただきありがとうございます。




