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見送り、そして迎える時

 王丘での用を済ませたエヴィルソンが離宮に戻り、数日が経った。


 シェラーサは彼を、町に誘った。フランタからその目的を聞いていたエヴィルソンは、あまり気が進まなかったものの同意し、短時間ではあったものの町に下りて、散策を楽しんだ。


 その夜。


「お疲れさまでした」

 二人の部屋、並んでソファに腰掛けたシェラーサが、やや心配そうにエヴィルソンを見る。

「……あまり、楽しくなかった?」

「いや……」

 エヴィルソンはグラスを傾けてから、言った。

「まあ、最初はまるで化け物を見るように見られたからな。王族への(おそ)れと、それとは異なる『恐れ』も含んだ視線で。しかし、シェリと歩くうちに、それが徐々に薄れるのを感じた。悪い気はしなかった」

「それなら、良かった」

 安心したように、シェラーサもグラスに口をつける。

『冷酷王』が町に下りて、妻と腕を組んで歩いたのだ。町の人々の彼に対する印象も、多少は変わっただろう。


 エヴィルソンは、そんなシェラーサをじっと見つめて言った。

「シェリも、何か気にしていたな。やはりそういう視線が気になったか」

「私はそんなこと、気にしないわ。気になったのは別のことよ」

 シェラーサは、ふぅ、と小さくため息をつく。

「エヴィルソン様に、町長さんたちが話しかけてるの聞いたわ。私のこと褒めてくれてたのは嬉しいけど、『若く美しい』とか言われると気になって」

「シェリは、若く美しい」

「でも、百ウン十歳よ。それなのに皆は、二十代そこそこだと思ってる。嘘ついてるみたいで……ううん、みたい、じゃなくて嘘よね」

 グラスを置き、後ろにもたれるシェラーサ。エヴィルソンは少々呆れて言った。

「二十代そこそこで時が止まったのだから、それではいけないのか? それに、シェリは何も悪いことをしているわけではない」

「わかってるんだけど、なぜか良心がこう、ちくちく痛むんだってば」

 シェラーサは苦笑しながら、寝間着の胸元のリボンをいじっている。

 彼女は未だに、自分のような年齢の女がエヴィルソンに寄り添っていることに、罪悪感を覚えているのだ。


 エヴィルソンは一つため息をつき、トン、とグラスを置いた。シェラーサが視線を彼に向ける。

「あ、えっと、愚痴っぽくてごめんなさ」

「シェリ」

 エヴィルソンはぐっと腕を伸ばし、いきなりシェラーサを抱き上げて立ち上がった。彼女が小さく悲鳴を上げるのに構わず、腕に座らせるようにして歩き出す。そして、二人の居間の隅に行った。


 そこには、金細工で装飾された大きな姿見があった。


「見なさい」

 エヴィルソンはシェラーサを下ろし、鏡の前に立たせる。そして、自分はその斜め後ろに立って、肩を抱いた。

「どう見える。周囲の人々には、こう見えているのだ。本当の年齢を明かしたいわけではないのだろう?」

 ガウンを着た、背の高いエヴィルソンと、薄いシュミーズ様の寝間着を着たシェラーサが鏡に映る。

「それは、そうだけど……」

 シェラーサは苦笑して、鏡から目をそらした。

「せめて、もう少し陛下に近い年だってことにしようかしら。三十くらいとか」


「年齢のことなど、自由に想像させておけばよい」

 エヴィルソンは肩に置いた手を下ろすと、両脇からシェラーサの前に腕を回した。彼女の首筋に顎を埋めるようにして、抱きしめる。

「四十がらみのにやけた男が、若く美しい女にのめり込んでいる、それで良いではないか」

 少し酔ったのか、エヴィルソンの声はいつもより低い。その低音が、シェラーサの耳元を震わせる。

「に、にやけてなんか、ないわ」

 言うシェラーサの視線が泳ぎ、頬が染まった。

「エヴィルソン様は、そんな……若く見えるし……あの」

「どうした?」

 鏡に映ったエヴィルソンの唇が、シェラーサの耳に触れる。そのまま、首筋に何度か口づけながら、肩に下りていく。その肩までもがみるみる薄紅色に染まっていくのが鏡に映り、シェラーサは身を捩った。

「も、もういいですから、あっちへ」

 エヴィルソンが口の端を上げた。

「……寝室にも、姿見を置くか」

「嫌です!」

「ん? なぜだ?」

「可愛く首を傾げてもダメよ、ダメ!」

「ふっ」

「『ふっ』て! も、もうっ」


 二人の声が、寝室に消えた。



 それからまた、十数日が経った。


 陛下がお呼びです、と侍女に言われ、シェラーサは部屋を出て一階に下りた。廊下の途中から続くテラスには柔らかな陽光が差し込み、もう外で過ごしても寒さを感じない季節であることを知らせている。

 そのテラスに置かれたテーブルに、エヴィルソンの大柄な後ろ姿が見えた。彼が振り向いたので、シェラーサは口を開きかけ――


 彼の向かいに座っていた白髪の人物が、立ち上がるのに気がついた。

「ミラグ先生……!」

 シェラーサはあわてて、ドレスのスカートを摘み腰を落とす。


 エヴィルソンに連れ添い「公爵夫人」と呼ばれる身分になったとはいえ、ミラグは王太子妃リアンテの師であり、彼はシェラーサがリアンテの侍女として王宮にいた娘だと認識しているはずだ。そしてもちろん、彼女の本当の正体は知らないはずだった。


「こんな遠くまで、ようこそいらっしゃいました」

 シェラーサが挨拶すると、痩身のミラグは立ったまま深々と頭を下げた。

「お元気そうで何よりでございます。老いぼれが図々しくも、押しかけてしまいました」

「私が以前から、一度は来るようにと言っていたのだ。シェリ」

 エヴィルソンは自分の隣の席にシェラーサを促すと、言った。

「ミラグは、そなたの正体を知っている」

「へ?」

「魔女だったことも。そして、女王だったこともだ」


 座りかけていたシェラーサは、中腰のまま固まってしまった。エヴィルソンが軽く彼女の手を引き、腰を落とさせると、ようやくミラグも腰掛ける。

「そ、それって、どっどういう」

「シェライラ様、私などが、尊い方々と同席させていただく失礼をお許し下され」

 ミラグはまた頭を下げた。

「いえっ、あの、今はシェラーサと呼んで下さい。ええと」

 シェラーサがミラグとエヴィルソンの間で視線を往復させると、エヴィルソンが説明する。

「ミラグは、王丘で起こったことをおおよそ知っている。私が呪いに蝕まれていたことも。……ミラグがそれを隠し通してくれたからこそ、今、私は誰に糾弾されることもなく暮らせている」


「大臣たちに、そして国民に、陛下が呪いに蝕まれていることを知られてしまえば、王家は終わりだったでしょう」

 ミラグは語る。

「本当は、全てを明らかにし、王丘の皆様方を逃がすべきだったのかもしれませぬ。しかし、聖樹を失って以来、王家は国民の心の拠り所でございました。そうし向けてきたのは、まさに我々のような学者たちでございます。その王家までが崩壊すれば、国は大混乱に陥ったはず……どうしても、明らかにする決心がつきませなんだ」

「愚かだったのは私だ。呪いは必ずねじ伏せてみせる、だから言うなと口止めし、協力させたのは私なのだから。そなたが後悔することはない」

 エヴィルソンが静かに言う。


 シェラーサはまっすぐに、ミラグを見た。

「王丘から王族を逃がせば、助かった命もあるかもしれない。でも、解決にはならなかったでしょう。聖樹の根と淀みは残り、増大し続け、他の多くの命が失われたでしょうから。王族だけに被害をとどめられて、良かったのよ。国を守ってこその王家ですから」

 同意を求めるように彼女がエヴィルソンに視線を流すと、エヴィルソンもうなずき、そして言った。

「シェリの言う通りだ。それに、ミラグ師のような学者たちが連綿と伝えてきた魔法知識が、私やシェリに伝わり、あの時ミシスを操るのを助けたというのも事実。ミシスが薄れても、次の世に伝えていってほしい」


「は……」

 ミラグの口元が震え、彼は潤んだ目を伏せた。

「もったいないお言葉……下賎なこの身が、大きな歴史の中に確かに存在したのだと、身が震える思いでございます」


 そして彼は、シェラーサにまっすぐに向き直った。

「私は、陛下の苦しみを、ずっと傍で見て参りました。今までの王妃様方のことも……。そんな陛下に、教えていただきました。百年以上の時を超えて伴侶を得た、その奇跡を」

「嫌ね、トシのことは言わないで」

 軽く混ぜっ返すシェラーサに、ミラグは微笑む。 

「私にとっては、その月日さえ尊い。この離宮を訪れ、シェラーサ様に会わせていただいたのは、お二人の前でお誓い申し上げたかったからございます。私はシェライラ女王陛下の潔白を信じており、この秘密は墓まで持って行きます、と」


 シェラーサはもう一度、エヴィルソンを見た。エヴィルソンは手を伸ばし、テーブルの下で軽くシェラーサの手を握る。

 その手を握り返し、シェラーサはミラグにうなずきかけた。

「その誓い、私たち二人が確かに、聞き届けました」


 ミラグは嬉しげに微笑むと、深々と頭を下げた。



 シェラーサがミラグに会ったのは、それが最後になった。

 離宮を訪れて一年の後、ミラグは病を得て、この世を去ったのだ。



 テラスの椅子に座り、庭を眺めるシェラーサに、エヴィルソンが近づく。

「また、ここにいたのか」

 シェラーサはエヴィルソンを見上げ、うなずく。

「ここに座ってると、ミラグ先生のことを思い出すわ」

「ああ。……死期を悟って、その前に、我々に会いに来たのかもしれないな」

 エヴィルソンも庭を眺めた。シェラーサはつぶやくように言う。

「私の重ねてきた長い時間が尊いって、言ってくださった。あれから、自分のトシがあまり気にならなくなった気がする。これからの私の時間が尊くあるようにって、そっちの方に目が向いた気がするの」

 そして、視線を空に移した。

「私のミシスの器は壊れてしまったけど、こうして祈れば、少しは天に届くかしら」

「魔法学を修めたミラグなら、必ず感じ取るだろう」

 そうエヴィルソンが答えると、シェラーサは彼を見てにっこりと笑った。


 彼はそんな彼女の向かいに腰かけると、手紙を差し出した。

「リアンテから、シェリに手紙が来ていた」

 シェラーサは手紙を受け取りながら、エヴィルソンの手元を見る。彼はもう一通、手紙を持っていた。

「そっちは、イダートから?」

「そうだ。おそらく、内容は同じだろう」


「何かしら」

 手紙を広げ、目を走らせたシェラーサの顔が、ぱっと輝いた。

「リアンテに! 赤ちゃんが!」

 思わず立ち上がるシェラーサの様子に、エヴィルソンが目を細める。

「うむ」

「素敵! ああ、リアンテに会いたいわ。でも大事な時期だもの、こっちになんて来れないし……こんな時、猫になって王宮に忍び込めたらいいのに!」

 もどかしげに言って手紙を抱きしめるシェラーサ。


 エヴィルソンは笑って立ち上がると、シェラーサの肩を抱く。

「我々が重ねてきた時間の先に、また新しい命が生まれて、時を重ねるのだな。……ところで、イダートがな」

「何?」

「リアンテと視察旅行を予定していたのだが、そんなわけで当分行けなくなった。代わりに、私とシェラーサでどうだ、と」


 シェラーサは目を見開いた。

「私も? 王妃でもないのに視察についてくなんて、まずくない?」

「表向きは、夫婦の旅にしておいた方がいい。遷都候補地を、イダートとリアンテで全部見て回る訳にも行かぬ、少しは手分けしてやろう」

 わざと仕方なさそうな口調で腕を組むエヴィルソンに、シェラーサは笑い出す。

「なるほど、そういうことなら仕方ないわね」


「シェリと共に行くなら、楽しみだ」

「一緒に二人の時を、まだまだ重ねて行くんですものね」


 二人は笑い合うと、寄り添って歩き出した。

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