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21.神族の少年


 聖奈たちの前の地面に叩き付けられ転がってきた人影は、酷く小柄で、よく見ればまだ幼さの残る子供だった。

 歳はアリシアと変わらないか、それよりも下。衣服も薄汚れて裾は擦り切れ、むき出しの肌も汚れ、靴も履いていない裸足は黒く土塗れだ。薄汚れた服には黒い汚れがあり、体のいたるところに真新しい傷が刻まれている。


「だ、大丈夫っ!?」

「おい、セナ!」


 ウェインの制止も聞かずにその子供――少年に駆け寄る。線が細く、固く瞳を閉じながら痛みに呻くあどけなさの残った横顔は、一見しては少女と間違えてしまいそうだけど。

 と、聖奈がそっと手を伸ばしたところで、少年がゆっくりと目を開いた。

 目蓋(まぶた)の奥から覗いた瞳は、美しい金色。それと目が合った瞬間、聖奈は理解する。

 ――彼は神族である、と。

 根拠もないのに直感的にそう理解した刹那、カッと目を見開いた目の前の少年が飛び起きながら己の腰辺りに手をやり、しかしその手は空を掻いた。

 少年は一瞬だけ動揺しながらも、すぐさま両手を聖奈の方に伸ば――。


「おっと!」

「っ!?」


 その両腕は聖奈に届く前にウェインによって捻り上げられた。

 要した時間はおそらく数秒ほど。何が何だかわからないまま、瞬きを数回。それから、腕を捻り上げられた少年を見て、聖奈はウェインを見上げた。


「え、ちょっ、ウェイン!?」

「やっぱりかー! あのなセナちゃん、いまコイツに首絞められそうになってたんだぞ!?」

「へ? あ、ありがと。じゃなくて、そんなに乱暴しないであげて! 傷だらけなんだよ、その子!?」

「だからな!? なんでかは知らんがコイツはセナちゃんを殺そうと……!」

「セナ様、ウェインさん!」


 平行線の言い合いをしていると、アリシアの切羽詰ったような声が二人の耳を叩いた。

 振り返ると彼女は僅かに慌てた様子で、一点を指差しながら言葉を続けた。


「この方が飛ばされて来た細い路地に、人影が……!」


 言われて弾かれたように見遣れば、確かにそこには何かを探しているような風に見える男性が複数あった。

 吹っ飛ばされたか何かは知らないが、表通りの方にまで散乱する木片や木箱、(たる)に阻まれなかなか進めずにいるようだが、様子がおかしい。

 それに、と視線を戻せば先程までなんとか逃れようともがいていた少年がぴたりと動きを止め、男たちの方を青褪(あおざ)めた顔で見ていた。

 聖奈は理解するやいなや立ち上がり、ウェインに短く声を掛ける。


「ウェイン、その子を抱え上げて」

「は?」

「いいから、早く!」


 言いながらバッグを開いた。そこには隙間から外の様子を眺めていたらしいルキフェルの姿がある。

 聖奈は彼を無造作に抱え、その奥の外套を引っ張り出すとウェインに投げ渡した。

 ウェインは外套を受け取るとしばらく聖奈と少年を交互に見ていたが、ちらりと男たちを一瞥すると意を決したように少年の首筋に素早く手刀を叩き込んだ。彼の腕の中に、少年が崩れ落ちる。


「ちょっと!?」

「気絶させただけだ。暴れられたら面倒だろ? それより、ソイツはちゃんとまたバッグの中に突っ込んどけよ?」


 くったりとした少年を隠すように外套で覆って、ウェインは抱え上げた。

 それを見て聖奈も慌ててバッグにルキフェルを突っ込んで、先に駆け出したウェインをアリシアと共に追い掛ける。

 途中一度だけ後方を振り返ったが、ようやく路地から出てきた彼らは聖奈たちには気付いてないようで、賑わう人の波に隠れるのは難しくはなかった。



 * * *



 駆けるウェインを追って着いたのは、大通りから細めの路地を入った場所にひっそりと佇む宿屋だった。

 大通りにある宿に比べて客の入りが少ないのか難無く手短に二部屋を借り、鍵の一つを聖奈に手渡したウェインはもう一つの鍵で開けた部屋に入ると、ベッドに抱えていた少年を寝かせた。その際に外套を脱がせるのも忘れない。


「っと……、ひとまずこれでいいか」

「うん。ごめん、ウェイン。ありがとう」


 ふう、と息を吐いたウェインに答えながら、聖奈はバッグをソファに置いてベッドに寝かされた少年に毛布を掛けてやる。

 怪我の治療をしますね、と申し出てくれたアリシアに少年のことを頼んで振り返るとウェインはソファにどかりと座り、むすっとした顔で聖奈を見ていた。


「セナちゃん、お人好し過ぎー」

「そんなこと……」


 そんなことないとは言えなかった。

 と同時に、つくづく理緒と似たことをしていると思う。二卵性ではあるが、これも双子の神秘なのか。

 言葉に詰まらせていると、ウェインは小さな溜息を吐いた。


「まあ、らしいと言っちゃあらしいけどな。警戒心が薄くて無茶しいなお人好しみたいだし」

「な、なにそれ……」

「俺から見たセナちゃん。悪い人に騙されないかすげぇ心配」

「流石にそれはないよ!?」

「えー? コロッと騙されちゃうって。今だって自分のこと殺そうとした奴さえ、こうして連れてきちゃったわけだし」

「う……っ」


 反論の余地など無い。

 見ればウェインは未だ不機嫌そうで、聖奈はおずおずと尋ねた。


「……ウェイン、怒ってる?」

「んぁ?」


 すると、彼は何故かきょとんと目を丸くした。

 まるでこの問いが意外だったかのように。否、どうしてそんなことを聞かれているのか全くわからないといったように。

 そのまま数秒。そうしてようやく、ウェインは小さく首を傾げた。


「……俺、怒ってた?」

「え、違うの?」

「いや。あー、んー? 怒ってたか……?」

「そう見えたけど」

「おー。じゃあ怒ってたのかもなあ」


 どことなく他人事である。というか、他人(ひと)に指摘されて気付くとはどういうことなのか。

 今までも思ってはいたのだが、わりと変なところのある青年である。

 へにゃりと笑ったウェインを見てしみじみと考えていると、不意にソファに置いたバッグが揺れ、かと思えばそこからぬいぐるみが飛び出してきた。


「ええい、狭苦しい! 一度出しておきながら、何故また無造作に押し込められて移動せねばならぬのだ!」

「うるせえ」


 がなるぬいぐるみ――もとい、ルキフェルを短く一蹴したウェインが、まるで小さな虫にするかのように叩き落とそうとする。

 彼の手を軽やかに避けたルキフェルは、すかさず距離を詰め、至近距離でウェインに指――というより手――を突き付けた。


「貴様が余計なことを言わねば、あの時点で我は狭苦しい空間から解放され、」

「目の前で怒鳴るなやかましい。肉球ぷにるぞ?」

「貴様に触らせる肉球などない!」

「どんな喧嘩よ……。それより、怪我人のいる部屋で叫ぶなんて非常識だよ、ルキフェル」


 呆れながらルキフェルを両手でウェインの目の前から引き剥がし、ちらりとベッドを見遣る。

 丁度治療を終えたのか、アリシアがベッド近くにあった椅子に座ったまま、緩やかに振り向いた。

 視線を受けて、ルキフェルを離した聖奈は彼女のもとに近寄り、


「具合はどう?」

「外傷は目視出来た場所以外ないようだったので、全て治療たと思います。わたしが診た時には眠ってましたから、そろそろ起きるんじゃないでしょうか」

「そっか。ありがと、アリシアちゃん」

「いえ……けど、あの、セナ様……」


 おそるおそるといった様子で見上げてくるアリシアに、聖奈は首を傾げる。

 どうかした? と先を促すと、彼女はちらちらと眠る少年の方を窺いながら、小さく言葉を続けた。


「この方……おかしくありません?」

「おかしい?」

「ええっと……、人間じゃない感じがします。その、微かに臭いが……」

「ふむ、アリシアも感じたか」


 と、小さな羽を羽ばたかせてルキフェルが聖奈の隣りに並ぶ。

 腕組みしながら向けられる視線に、聖奈はああ、と納得して視線を少年へと落とした。


「〈神族〉だよ、この子」

「そ、それ、さらっと言うんですね……セナ様」

「うーん、まあね。普通の〈神族〉とはちょっと事情わけが違いそうだし……その辺、何か情報とかある? ウェイン?」


 苦笑するアリシアに曖昧に返して肩越しに目を遣ると、ウェインはソファから立ち上がり、にやりと笑った。


「お? なんだ、セナちゃん。俺の情報欲しがっちゃう? 高いぞー?」

「はいはい、そういうのはいいから分かることがあればすぐに言って」

「つーめーたーいー! ウェインさん、さみしい!」

「ああもう、後で何か言うこと聞いてあげるから! はい、情報!」

「おおっ、なかなかいい感じの報酬かもっ? つっても、俺も推測しか出来ないんだけどな」


 ふにゃりと緩みきった表情から一転、少しだけ引き締めたウェインは、ルキフェルとは反対隣りの聖奈の横に並ぶと少年を見下ろして言った。


「おそらく、コイツも()()だ」


 静かに告げられた言葉に、弾かれたようにアリシアがウェインを見上げる。


「奴隷、ですか……?」

「そ、奴隷。神族にもいるんだよ。種としての特徴が先天的にでも後天的にでも欠落してたり、足りなかったりすると人間――つまり奴隷商に売っちまうケースがよくあるんだ。その後はまあ、それでも天使だし見た目がいいやつが多いから貴族に買われて下働きをしてたり、良いとは言えねえけど娼館で働いてたり……不向きと判断されたら魔族と同じ扱いか、使い捨ての殺しの駒にされてたりだな」

「どうしてそんな……」

「おおかた、神族の奴らは自分たちは完璧でなければならんと思っているのだろう」


 そう言ったのはルキフェルだ。その言葉に聖奈は遺跡で教わった神族についてを思い出す。

 彼は言った。神族は他者への理解も情もないと。

 アリシアは言った。神族は、自分たちは他とは違うのだという誇示からその名を付けたのだと。そして他者や他種族を見下しているのだと。

 であれば自分とは違う、自分と同じ姿かたちをした同胞とは違う存在に奇異とし、排除してもおかしくはないだろう。


「まさしくそれ。神族は自分たちの姿に絶対的な自信がある、気持ち悪いことこの上ない話だけどな。そのせいで、本来あるべきものがない奴ってのは異物らしくて……たとえば生まれたばかりならともかく成長しても羽が小さいとか、そんなのでも異常だと判断されて弾かれる。我々は創世の神によって生み出されたその姿を未来永劫保つのだー、ってのが神族の行動理念で種族柄みたいなもんだからな」


 ウェインが告げる神族の姿は、聖奈の予想のほとんどを肯定していた。

 だが一つ、気になることがあって、首を傾げた。


「創世の神? そういえば、その神さまがこの世界を創ったとされていて、聖都でも奉られているんだっけ?」


 尋ねると、ウェインはアクアマリンの眼をぱちくりとさせたが、からかうこともなく答えを返してくれた。


「そう。創世の神、または創世神。原初の神とも呼ばれてたかな? この世界を創造して、命を産み出して見守ってたっつー神様。でも今はいなくなっちまったそうだ」

「どうして?」

「さあ? ヒトに愛想尽かしたとかこの世界を見捨てたとか諸説あるが本当のところはわからない。そもそも神さまに関してなんて結局、語られる事しか知らないからな。ただ神族は創世の神の帰還を願って行動してるし、聖都には創世神を信仰する人間の信者も多くて、地方に信仰を広めるべく神官が旅してたりもしてるそうだ」

「ふん! 創世の神の信仰などくだらぬものを広めおって」


 肩を竦めたウェインとは異なり、憤然と吐き捨てるルキフェルは中空を睨みつけながら不機嫌そうに続ける。


「そんなものは自分たちが如何に優れているかという誇示として、天使どもが用いているに過ぎん。神が創造した姿を保ち続ける神族と人間こそが世界に相応しく、緩やかに姿を変え続ける魔族は排除すべきだとな」

「さすがにそれは……とも言い切れないか」


 事実として魔族はもちろん、あるべきかたちを持たない神族は弾かれているのだから。

 もしかしたらこの信仰が広まったが故に魔族は滅ぼされそうになっていたのかとも考えはしたが、どうにも確信は持てない。

 過去には共存をし、聞く限りでは信仰の拡大も未だ進めている最中に思える。であれば、突然魔族の掃討を強行することはないだろう――頂点に君臨する者が推し進めない限りは。

 だがしかし現状では人間の国を治める王の意志は、魔族を危険視しているということくらいしかわからない。

 それが熱心な信仰者であるからで、それゆえに神族の王と結託して魔族を滅ぼそうと――と、そこで聖奈の中に不明な点が浮上した。


「人間の王が〈勇者〉が仕え従う、聖都に住んでいるであろう王様っていうのはわかるんだけど……神族の王様って誰なの?」


 ぽつりと呟くように疑問を口にすると、アリシアとウェインの表情が曇り、ルキフェルの表情はこれでもかというほどの嫌悪に歪んだ。

 本来かわいいはずの猫のぬいぐるもの顔が、とてつもない迫力を感じる形相に変わっているのだから、その迫力は推して測るべし。

 ルキフェルの謎の威圧感に気圧されていた聖奈だったが、その覇気は不意に緩んだ。


「……神族の王はおそらく今はいないはずだ。どうだ、アリシア?」

「あ、はい! いません!」


 アリシアが慌てながらも首肯を交えながら肯定する。

 どういうことなのかわからず首を傾げると、ルキフェルは小さな溜息と共に言葉を紡いだ。


「そもそもあれらには王などおらぬ。統べる者はおるが、そやつ――〈女神〉は、目覚めることのない眠りについているはずだからな」

「〈女神〉……? 神様が統べているの? それに目覚めることのない眠りって……」

「う……っ」


 ルキフェルの答えに問を重ねることは、微かな呻き声が耳に届いた事により出来なかった。

 視線を落とすと、ベッドに横たわる少年の目蓋(まぶた)が震え眼が開かれる。金色の双眸でぼんやりと天井を見詰める少年に、聖奈はそっと声をかけた。


「気が付いた?」

「っ!?」


 弾かれるように少年が飛び起き、聖奈の方を見ると襲いかかろうと身を乗り出してくる。

 聖奈は目を見開き立ち尽くしていたが、すかさずウェインが少年の襟首を掴んだことで両手が聖奈に届くことはなかった。


「お前、懲りないな。目の前で好き勝手させるかっての」

「離せ……っ!」

「そう言われて従うわけねえだろ。つか、セナちゃんはちょーっと警戒と抵抗って言葉を覚えようなー?」


 もがく少年に冷たく言い放ってから向けられたウェインの双眸には、やはり怒気が帯びていた。

 答える代わりにびくりと身を竦めると、ウェインは小さな溜息を零しながら少年へと冷ややかな視線を向ける。


「で? そんなお人好しを殺そうとするっつー恩を仇で返すにも程があることをしようとしやがったお前は? まずは言う事があるんじゃねえのか?」

「そんなのない! 離せっ!」

「お子様コルァ! もう意味のねえ命令に躍起になるよか礼のが大事だろーが!」

「誰も助けて欲しいなんて頼んでない。勝手にやったことに礼なんて言う必要ないだろ。図体はオレより癖にデカイ単細胞かよ」

「……っ、……っ!!」

「ウェイン、ウェイン! その子は子供だよ? 手は出しちゃダメだよ!?」

「わかってますとも!?」


 不穏な雰囲気に慌てて口を挟むと、ウェインは何とも表現し難い顔で振り返る。対して少年は仏頂面のまま襟首を掴む手から逃れようと必死で、ウェインの様子など気にした風もない。

 聖奈は眉を下げながら少年を見詰めた。


「ねえ、ちょっとだけお話を聞いてくれないかな?」

「必要ない。オレはアンタを殺して戻るんだ」

「戻るって、あの男の人たちのところに? しかも殺すって物騒な……」

「セナちゃーん、もう忘れたのかー? 命狙われてたろー?」


 呆れ果てた視線と共に言われて、ウェインを見上げた。それから少年を見て、もう一度見上げる。


「忘れてなんかないけど、こんな子に命を狙われる覚えは……」

「ところがどっこい。コイツがセナちゃんを殺そうとしてた暗殺者だったりするんだわ」

「……え?」


 言われている意味がわからず、聖奈は首を傾げた。

 正確にはわからないのではなく、理解しがたいだけで。更に言えば、冗談だとしても笑えないなと思っただけなのだが。

 そんな事を思っているとはもちろん知らないウェインは、はっきりと口にした。


「だから、コイツがエルリフでセナちゃんを殺そうとしてた暗殺者。声も同じだし、背格好も同じくらいだから、双子の兄弟か何かがいない限りはコイツで間違いないよ」



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