陰陽道
霧綱は白狼の忠告を聞いた上で名乗りを上げた。陰陽師に自分の名を教えるとは、命を差し出すのと変わらない事だった。
「何をしている!?汝は死にたいのか!?」
白狼の叱責が響いたが、時は既に遅かった。
「人の名前を語る化生か、名前を語りその姿を写すのか?面白い化生も居たものだな。さて覚悟はいいか?」
霧綱の足元が窪んだ、霧綱の周りの空気が重くのしかかる。
「待たれよ!我は鬼を倒しこの国を守りたいだけなのだ!姿形が化生でも信じられぬか!?」
霧綱の叫びも虚しい物に終わった。若き陰陽師は冷たく非情に告げた。
「信じられぬな、我が目に写るのは戯言を吐く化生のみよ。塵へ還るといい、痛みも無い世界へ。」
辛く厳しい言葉と共に、霧綱の鼻と耳にある変化が起きている、鼻は瘴気が満ち溢れている事を、耳は人々の怨念が叫びを上げている事を告げている。何時鬼が生まれ出でてもおかしくは無い。
「待て!汝には分からぬのか!瘴気が満ち溢れ、怨念が叫びを上げている事を!今にも鬼が生まれ出でるぞ!」
「それは汝の仕業で有ろう、この国を憂う事も無く、これ以上何も語る事は無い。」
その言葉に霧綱が叫びを上げる。
「何故我の言葉を信じぬ!人が死ぬ!汝が動かぬのなら!我が動く!」
霧綱の体が音を立てて動く、骨が軋み、肉が爆ぜようとも、呪縛を解きその場から動いた。体中から氷の様な血潮が溢れ出したが霧綱は構わず瘴気と怨念が立ち込める場所へ向かう。
「霧綱、我等の関係はまだ日が浅い、だがあのような軽挙は関心せぬ。術者に名を教える等……呆れて何も言えぬ。」
しかし霧綱の表情は明るく、笑顔に満ちていた。
「何が愉快なのだ?汝は自分の命が惜しくは無いのか?」
「白狼、我は嬉しい。京の都にあのような者がいる、言葉こそ冷たく非情だが。それこそ、この国の未来を憂う事だ。我はそれが嬉しくて堪らぬのだ」
霧綱はよほど嬉しかったのか、あの若き陰陽師を褒め称えた。そして瘴気が満ち、怨念が木霊する場所へ出る、
「むう……いつにも増して今宵の瘴気は禍々しい、それに引き寄せられた怨念も恐ろしい物よ。来るぞ!」
白狼が大きく声を出した、その時、月は雲に隠れ、風は止み、辺りは闇に染まった。
目の前の空間が膜の様に膨れ上がり、中から何かが出ようとする。
薄い膜が鬼の爪で破られていく、暗い、暗い闇の中から人を、生きる者全てを憎悪する目が光りを放つ。
生まれ出でた鬼の様相は人と蟷螂が混じった筆舌に尽くしがたい様相だった。
長い胴に人間の足が、腰が溶け合っている。巨大な鎌に歪に並ぶ返しが獲物を捕らえ離さぬ事を示している。
「何と……このような鬼が……」