四十六話
練習は順調というにふさわしいスピードで進んでいった。
あれから二日が経った今では、皆もうすでに最初の録音部分である『一番Aメロ』をほとんど完璧にこなせるようになり、智也たちの表情は以前より少し明るくなっていた。
しかし気を休めるには早い。まだ、本の一部分しかできないのだ。それに、このまま順調に事が進むとも限らない。一日でも一時間でも余白ができるように、自分たちはとにかく急ぎ足で練習をしていかなければならなかった。
「せっかく演奏できるようになったんだから、おまえも参加したらどうだ、ハク?」
智也は明かるげにそう告げた。
参加しろというのは制作に関してではなく、バンドの一員としてボーカルをやってみたらどうか、という意味。
しかしハクは、智也がしたその提案に首を横に振った。
「ちゃんと全部完成してからにしようと思います。とにかく今は完成まで急がないといけないですし」
「そうか。少し楽しみだな。全部出来上がった時、一体どんな曲に仕上がっているのかって想像したら」
「そうですね。きっといい感じになると思います。ホルンズみたいな、迫力のある最高にノレる曲に」
「ああ」期待のこもった表情で、智也は答える。
「ほんと、文化祭どんな感じになるんでしょうね」
何気なく口にしたその言葉に、智也は反応した。
「そう言えばおまえ、クラスの出し物何すんだよ」
智也がそう尋ねると、
「チョコバナナです」
「チョコバナナ!? ……それだけか?」
「はい。うちのクラス、みんなほかの出し物で忙しい人が多いから、なるべく負担がかからないようなものにしようってなって」
「……。おれが一年のときはたしかお化け屋敷だったよな、多分。二年ときはたこ焼きだったっけ」
「へ~。いいですねお化け屋敷。なんかすごく楽しそうです」
お化け屋敷と聞くと、やはり楽しそうに思える。特に、本番というよりも準備の方で。クラスメートたちとわいわいお喋りながら準備をしている姿が安易に想像できる。
最も、ハクがもしその立場だったなら、教室の隅にひっそりとサボり呆けているに違いない。クラスには喋る友達なんていないため、楽しいはずの準備もきっと面倒なものになっていることだろう。
「けど結構忙しかったな。準備とか面倒くせーのばっかだったし」
ハクは期待した。もしかすると、彼も自分と同じ側の人間ではないかと。
「まぁ、楽しかったけどな」
智也はわずかに口角を上げながらそう口にする。
(……ですよね)
あたかも期待を裏切られたような自分を思わず胸の内で嘲け笑った。
「智也さんのクラスは何やるんですか? 出し物」
「おれたちはそんなのねぇよ。三年だから」
「……たしかに、色々と忙しい時期ですもんね」
「おれはともかく、周りの人たちは忙しいだろうな」
まるで他人事のように。
そんな物言いをするものだから、智也はもうすでに進路のことをとっくに済ませているのだろうと思った。
智也と話したあの日、それはもう感激したことを今でもこころの中に大切にしまい込んでいる。
本当に、最後のパズルのピースがそのままぴったり嵌ったように、その野望は自身の中にあるあらゆる霧を吹き飛ばした。
――そうだ。そうであってほしい。
自分がやりたいことを将来もずっとずっとやり続けるべきなんだ。
どんなに周りに馬鹿にされようとも。笑われようとも。憐憫の目を向けられようとも。
挙句の果てに、『忠告』と言う名の『脅迫』を受けようとも。
自分を信じて、貫いて、野望を追い求めるその姿は、何がどうあれすばらしいものなのだ。すばらしくあるべきなのだ。
「智也さんはまったく間違ってなんかないです。ぼくはほんとにほんとに、素敵だって思います」
自分が智也の背中を押してあげられるような存在だとは微塵も思ってない。そんな影響力は自分には持ち合わせていないから。
ただ応援したかった。
叶ってほしいとこころから思って。
彼のような自分を貫いて生きている人間が、夢や野望を叶えるために努力する真面目な人間が、最終的に報われるのを本気で応援したかった。
そんな智也は「ありがとな」と小さく感謝を告げると、その後静粛が訪れる。
何となくこの静粛を破ってはいけない気がして、ハクはトイレに行くため部室を一旦離れることに。
やがてまた戻ってくると、智也はイヤホンを耳に着けた状態で一人考えに耽っているようだった。音楽を聴いているのか、それとも自分が渡した録音を聴いているのか。それがどちらなのかはわからないが、彼の表情はどことなく『今』ではないどこかにこころを巡らせているように思えた。最も、それが何であるかなどハクは知る由もなかったが。
△△ △
文化祭に向けて、本格的な練習を始めてから約一週間が経過した。
一日一日、土日も休まないまま地道な練習を重ねては、その度に試行錯誤を繰り返す。まさに、この作業は肉体的にも精神的にも相当な負担がかかるものだった。
毎日夕食を家から持参するのはもちろんのこと、ほとんどの休憩を挟まず約三時間に渡る練習をひたすらやり続ける。部活が中心的になる学校での授業は、ついついうたた寝をしてしまうくらいには疲労が溜まっていて――まさにこの一週間は地獄のような日々だった。
不思議なもので、自分たちの練習に対するモチベーションは日に日に増していく一方だった。
ホームルームを終え、部活が始まった途端急にスイッチが入ったように無我夢中に練習をし続ける。
そうした日々を重ねていくうち、気づけばもう終わりは近づいてきていて――すでに昨日から、明日にはもうすべての演奏が完成しているはずだと、口にはせずとも誰もがそう感じていた。
予想は的中し、見事今日そのすべてを成し遂げた。
一から全部、自分たちで曲を作り上げるということを達成しきった時の気の持ちようというのは、いまだに慣れない。どこか不思議で、本当にこれは現実なのかと思わず疑ってしまうほどだ。
まだ練習を開始してから一時間と経っていないにも関わらず、皆はすでに達成感、そして脱力感に襲われていた。各々壁に背中を預けては、皆上の空といった感じで、
「まだ時間あるね……全然」
すみれは時計を見た後、そう言った。
「そりゃあ、まだ練習始めたばっかだからな」
智也も、すみれの発言に続くように口を開く。
「なぁ、一ついいか?」浮ついた声で、智也は声を発した。「せっかく完成したんだから、この際ボーカルも入れてみんなで合わせてみねぇか? もう気になって仕方ねぇんだ、どんな曲になってんのか」
智也の提案にすみれは「私はいいけど」と賛同を示す。
「休憩しなくてもいい?」
すみれはハクと陸に目を向けた。
「ああ、おれは大丈夫だ」
「ぼくも大丈夫です」
二人も同意したところで、各自それぞれの持ち場に着き始めた。
ハクは今、持ってきたマイクスタンドを両手で握りながらその場に佇んでいた。
この練習の間、自分はただ録音して皆に指示を与えただけではない。ちゃんと皆の足かせにならないよう、歌の練習も欠かさずこなしてきた。
今、まったく不安や緊張を感じないのはおそらくそれもあってのことだろう。
歌詞カードがなくたって当然歌える。
帰り道、それから入浴している時も、とにかく練習を重ねた。
もうこの際、無駄なプライドは捨てきって。
自転車に乗っている時、すれ違いざまに変な目で見られようとも自分は歌い続ける。
お風呂で歌って母に聴かれようがどうだっていい。
それで、あの人たちの足を引っ張らないのなら。
練習したんだ、ちゃんと。
だから今は、自信を持ってはっきりとこう言える。
自分は、前の自分よりも確実に歌が上手くなっていると。
その自信を持つきっかけになったのは、きっとあの人のおかげ。
――やればできるじゃないか。
そう智也に言われた時、もう飛び跳ねたいくらいに幸福感に満たされた気がして。
ああそうだ。ちゃんと努力が報われたんだ。
(今なら……!)
「いいかー? ハク」後ろから智也が確認を取ってきた。
「はい。いつでも大丈夫です」
(今なら、歌える!)
――カッカッカッ




